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更級 美邦は平凡な17歳の女子高校生だ。
大手企業に勤めるサラリーマンの父、専業主婦の母、5歳下の弟、の4人暮らし。
父はいわゆるエリートで、忙しいけれど稼ぎは良い、中流と言うには少し裕福な家。
新築の時より少しくすんだ青い屋根が目印の一軒家に住んでいる。
通う高校は通学時間で選んだ、家から歩いて30分の女子校。
大学まではお金を出してくれるという父の薦めで、進学コースを選んだ。
進学率や行事にさほど特徴の無い学校だけれど、紺地に白いラインのセーラー服に赤いリボンがかわいい。
中学のときはブレザーだった美邦は入学当初、新鮮さにはしゃいだものだ。
それも2年目になってくると、セーラーは温度調節しにくくて暑いやら、都度洗濯できないから匂いが気になるやら、愚痴の方が口をついて出るようになる。
そのくらい、何事も無い日々を過ごした。
強いて悩みを挙げるなら、服装検査の厳しさだろうか。
お堅い校風で、染髪禁止はもちろん、化粧禁止に髪型の指定やスカート丈の制限、靴下の色指定なんてものもある。
そうお洒落に凝る性質でない美邦にとっては制限の1cmを踏み越えてスカートを巻くほどの熱意なんかは無く、メイク用品はお小遣いには高く、靴下も色を迷わず買い置きが出来て助かるくらいだった。
が、頭髪検査がいつも厄介だった。
父母弟、家族は3人共に黒髪黒目の平均的な日本人だったが、美邦は外国の血を引いたとかいう母方の曽祖母からの隔世遺伝で、赤みがかった茶髪、同じ色の透き通った瞳で生まれてきた。
小学校では意地悪な男子に揶揄われ、中学高校では不良生徒かと目をつけられる。
地毛の証明書をとってからは説明が楽になったものの、ケチをつけるのが趣味らしい生活指導の教師からは「実は染めているんじゃないの?」と疑ってかかられ、まったく良いことがない。
家族写真を撮るときも何だか1人だけ貰われっ子のようだし、クラス写真でも浮いて見えるし、美邦にとって髪と目の色は日常にふと顔を出す疎外感の象徴だ。
軽いコンプレックスと言っても良い。
ただ、悩みといえばそんなもので、友人には恵まれて孤立することなく、受験に向けて勉強量が増えていくことを憂い合う。
美邦の毎日は波立つことない平穏なものだった。
この日この時までは。
秋は夕暮れが早い。
美邦は受験対策の特別講座を受講していて、学校を出たのは18時前だった。
遠く山の向こうに赤い日の落ちて、星光る藍色の夜が降りてくる。
車通りの多い道を急がず抜けて、住宅街へと家路を辿る。
クリスマスはまだ一月ほども先だというのに、もうイルミネーションで飾りつけた住宅があって、暗い帰路は退屈しなかった。
そうやって足元を気にかけずに歩いていたのが災いしたのか、美邦は不意に足を踏み外す。
ガクンとバランスを崩して、穴の淵で足を擦りながら落ちる。
穴、人一人が入るくらいの、マンホールのような。
こんなところにマンホールはあったか、蓋が外れていた? いたずらか、工事中の看板は……。
そう考える間に穴は美邦を体ごと飲み込んで、美邦の視界は闇に閉ざされる。
美邦は悲鳴をあげたが、落下の風切音に合わさって自分の声さえ聞こえなくなる。
どこかに勢いを殺せる突起物でもないかと怪我を覚悟で腕を伸ばしたが、何故かマンホールの壁にも当たらない。
落下の衝撃を覚悟して目を瞑った美邦はやがて気づく。
いつまでも落ち続けている。
何十秒も、あるいは何分もだろうか。
街中にあるはずもない深さで、まるで地球の中心に向かっているかのごとく終わらない落下であった。
落ちて落ちて、浮遊感を覚えた頃に、足元に白く光る扉が見えた。
扉は既に開かれている。
美邦が落ちてくるのを口を開いて待ち望んでいる。
そう感じて、美邦は空恐ろしさに逃げようと手足をバタつかせるも、何の抵抗にもならなかった。
光の扉は美邦を受け入れて、その意識を刈り取ると同時に、満足げに閉じた。
次に美邦が目を開くと、白い空間の中、白い人々が美邦を囲んでいた。
美邦が意識を得たのを認めて、白い人々は一斉に高揚した声をあげる。
異様な光景に思わず体を起こして周囲を見回した。
窓のない白い壁、パルテノン神殿に似た白く太い柱が立ち並び天井を支えている。
美邦のいる場所は他より数段高く作られており、場所の雰囲気も相まって祭壇めいていた。
人々は一様に歴史の資料集にでも出てくるような、白い布をたっぷりと余らせて体に巻きつけた、他に例えるなら美邦の弟が遊んでいたRPGの回復役のような服装だろうか。
格好が妙なのに加えて、美邦の赤毛が霞むくらい色とりどりの髪色をしている。
そんな奇妙な人々がひとしきり興奮した様子を見せていたかと思うと、急に美邦へ向かって跪いて頭を垂れた。
場所にも、当然周りを囲む人々にも見覚えがない。
呆然としているうち、人の囲いの中から少女がしずしずと進み出てきた。
異国風の顔立ちで、正確な年齢は分からないが、体つきから美邦の弟と同じくらいの年回りでないかと思われる。
その少女は所作一つとっても、そこらの小学生と比べるまでもなく優美で、輝くような細い銀の髪が美しい顔をいっそう神秘的にしていた。
少女はエメラルド色の目を伏せて、美邦へ向かってゆっくりと膝を曲げた。
「此度の召喚に応じてくださいました、神の救いの御手、輝ける天の使い、神子様に、ご挨拶申し上げます」
少女の声は高く澄んでいて、流麗で芝居がかったところもなく、そして一つも意味が分からなかった。
美邦に向かって言われたようだが、輝く天の使いというのはむしろ、少女の方に似つかわしい言葉のように感じられる。
ただ、これだけ文化圏の違いそうな顔ぶれの中、言葉が通じるのは僥倖だと美邦は思った。
とはいえまず何を訊くべきか、考えている間に少女が再び口を開く。
「唯一なる神子様、どうか世を襲う魔を打ち払い、わたくしたちをお救いくださいませ」
ここで美邦にも何となく伝わった。
これはファンタジーの王様の言う、「勇者よ、さあ冒険に出て魔王を倒すのだ」みたいなやつだ。
RPGの類は弟が楽しんでいたし、母の蔵書の中に女子高生が古代エジプトだかに来てしまって大変! という漫画もあった。
とはいえ、まさか自分がその勇者やヒロインの位置に据えられるとは、妄想したことさえなかった。
木の棒一つ持っていないのだ。
何だか強そうな刺青が手の甲に浮き出ていることもなく、右目も左目も疼くことはない。
これは劇か何かかもしれない、と一縷の希望をもって辺りを見回してみた。
残念ながら舞台袖もカメラも無かったが、部屋の奥の方に金髪碧眼の世にも美しい男性がいた。
男性は美邦を囲む人々とは違って、金の刺繍のされたシャツやベストの上にこれまた豪奢なコートを羽織っている。
彼は美邦が凝視しているのに気づくと、光り輝かんばかりの笑みを向けた。
これが少女漫画だったら羽根のエフェクトが舞っていたかもしれない。
どんな劇団にも、テレビの向こうにも見たことのないほど、美しい男性だ。
男性の美しい夢のような微笑みで、逆に美邦はこれが現実であり、ここが異なる世界であることを受け止めざるを得なかった。
美邦の平凡な世界には、あんなにも美しい男性は存在していないからだ。
当然、考えていた「電話貸してください」や「ここは何県ですか」といった疑問は声に出せず、美邦は乾いた口をパクパクと開いては閉じて、狼狽えるばかりだった。
こうして美邦の平穏な日々は世界ごと隔たれ、受難の日々が始まったのである。




