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仁義なき側室  作者: モーフィー
番外編
29/48

爽やかな朝

 暗殺劇の次の朝、クリスティーナは自室のベッドですっきりと目覚めた。


 顔を洗い、熱い紅茶をいただきと、昨日、自分が殺されそうになったなど思えない姿である。それでは彼女の昨日の恐怖は何だったのか。


 これがクリスティーナを理解する重要なポイントである。


 恐怖はすべての動物が持っている本能であり、クリスティーナであっても例外ではない。目の前で自分を殺すために掲げられたナイフを見て、彼女は確かに恐怖を感じ、疲労困憊で運ばれた後、寝込んでしまった。


 問題はその後だ。


 経験は人を育てるとはよく言うし、味わった恐怖も過ぎ去った過去へと変わる。人によって、それはトラウマへと変わるが、クリスティーナの場合、外界から得られた経験はすべて心の肥料となる。他の者に対しては毒であるものも、寝ている間に貪欲に吸収し、精神を並以上に成長させる。


 そして、本来備わっている才能を更に開花させるのだ。


 クリスティーナの花がもし見えるとしたならば、すべての色を混ぜた毒々しい花びらをもつ大きな花が見えるだろう。花からは一歩間違えれば悪臭にとなる匂いが放たれている。そして、その匂いや色は様々な虫をひきつけ、そして足一本残さず養分とするのだ。


「護身術を学ぶわよ!」


 昨日、自分の命の危機を感じて、クリスティーナは立ち上がった。そしてその足で王兵の練習場を訪ねた。そして、男達の奇異の視線をものともせずに、王兵副隊長に剣の師を頼んだ。

恐怖を知り、それを土台にして、敵に対抗する手段を考える。


 昨日は不覚にも誰だか分からない刺客に負けてしまった。けれども、一度は負けても、泥の底からでもはい上がり、勝つまで勝負を仕掛け続ける。


 我が道を突き進む彼女には様々な障害がつきものだ。昔を思い出せば涙無しに回顧は出来ない。春画読んでいて怒られた。恋に恋していることを理由に父親に馬鹿にされた。それでも、すべて乗り越えてきたからこそ、今の自分がある。


 努力をすれば、神は微笑んでくれる。


 いや、こちらが無理矢理笑わせるのだ。好色な神を漏れ出す色気でおびき寄せ、椅子に縛り付け、一晩中喜劇を見せ、笑い茸を腹一杯食わそう。


 クリスティーナは不穏な考えを感じさせないぐらい爽やかに笑った。彼女が立っているのは闘技場だ。対峙しているのは王兵達から恐れられている熊のような容貌を持った王兵副隊長だ。


 勝負を知らせる鐘がなる。


 クリスティーナは手に持っていた短めの木刀を躊躇わず急所に突き出す。そこが物慣れた手つきだったので、馬鹿にした顔つきの王兵副隊長も慌てて本気で受け止める。


「側室様もなかなかやりますな」

「女の勘ね。どこが、相手にとっての急所かってことを探すの。無駄な筋肉を作るより、自分の長所を使った方がいいわ」


 また、女は男よりも相手の殺気に感じやすい。それをうまく利用するのだ。


「それと、頭。相手の心をかき乱すの。例えば、――ねえ、副隊長殿、あなた、今夜、自分の愛人のところに行くんでしょう?」

「え?」


 何でそれを知っていると思わず身体を強ばらせたところに、クリスティーナの不確かな突きが入る。愛人の存在は誰にも知られないようにずっと隠してきたはずなのに。


「まだまだよ。ねえ、あなた賭博で息子さん達の教育費をすっちゃったでしょう。それ奥さんにばれているわよ。帰ったら折檻されるわ。けれども、愛人の所に行っちゃダメよ。奥さん、それも知っているんだから。奥さんは愛人ごとあなたに油をかけて燃やす気よ」


 王国中を探しても右に出る者は少ない副隊長も妻には敵わない。


 彼の妻は城の単なる侍女だったが、財布の紐はしっかりと握られている。剣が強くたってお金がなければ何も出来ない。結局の所、家では彼はその巨体を縮め、できるだけ妻を怒らせないようにしている一人の中年男だった。


 そんな家庭の事情をどうしてクリスティーナが知っているかと言えば、更に細かくした情報網のおかげだ。昨日、暗殺の存在を気づけなかったことを悔やみ、クリスティーナは彼女の最大の武器とも言える情報網を強化することに決めたのだ。


 こんな情報は星くずのようなものだ。それでも組み合わせてみたら利用価値はある。


「あとねえ、末の娘さん、あなたの前では我慢しているようだけれど、お父様の体臭が最近臭いから近寄りたくないと友だちに言いふらしているわよ。もうそんな年頃だから仕方がないわね。お父さまなんか大嫌いって」

「なんと…!」


 彼は振り下ろされたクリスティーナの刃に物理的な衝撃以上のものを感じて倒れ込んだ。

末の娘、家族の中で孤立した彼の唯一の天使でもある。そんな彼女がその愛らしい唇で嫌いと言えば、副隊長は一匹の蟻のごとく無力だ。


 クリスティーナは立ち上がることが出来ないよう喉元に木刀を突きつける。しかし、その前に副隊長は戦意を喪失していた。


 これぞ、クリスティーナが編み出した戦法である。女の勘で相手の弱点を探り、それをつつく。それを使いこなすには完璧な女でなければいけないが、恋にすべてをかけて生きるという女子力の高いクリスティーナだ。上級者の戦いとは腕力ではないとはよく言うが、まさに頭脳戦といえる代物である。


 周りで副隊長とクリスティーナの戦いを観戦していた侍女や王兵達は驚きの声を挙げ、夢中で拍手を送る。彼らには遠すぎて側室と副隊長の個人的な話は聞こえない。勝利は完全にクリスティーナの物だった。


 歓声を堂々と受けてクリスティーナが颯爽と戻ると、ニケが布を渡してくれた。汗を拭い、後ろにまとめていた黒い髪を宙に放つ。それに見惚れた周りの王兵達にウインクを返してあげる。


「クリスティーナ様、もう朝食の時間です。帰りましょう」

「ええ、そうね」


 木刀を預かってもらい、颯爽と門をくぐる。


 そこには昨日までのクリスティーナはなく、パワーアップした彼女がいた。


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