温室で…①
その時、向こうから暗い顔をしたガーウィンが歩いてきた。朝食を食わんと勇んでいた歩がやや遅くなってしまう。クリスティーナは自分が少しだけ緊張したのを感じながらも朗らかに彼に挨拶した。
「あら、ガーウィン。おはよう!」
「おまえ、また後宮を逃げ出して…」
言いかけたガーウィンは口を閉じた。
側室は本来、王以外の種をもらわないために、後宮に閉じこめられるものだ。そのため、わざわざ男ではなくなった男達が後宮の管理にあたるものだ。けれども、クリスティーナはそんなことお構いなしに出入りしているらしいため、宦官達は探し回るのも諦め、まるでクリスティーナの塔は無法地帯となっている。
「まあ、いつものことか…」
「どうしたのよ。元気ないわねえ。いつもよりも山羊顔がひどくなっているわよ」
ムッとしたガーウィンはそのまま立ち去る気配を見せたが、立ち止まった。
「何していたんだ?」
「護身術よ。副隊長殿に教わっていたの」
そして、彼にウインクした。
「私が勝ったわよ」
しかし、ガーウィンは疑うような顔つきになっただけであった。
「どうせ、おまえの事だから変なことして勝ったんだろう」
「何よ、変なことって!」
クリスティーナはふくれた。ガーウィンが説明しようとするところを遮り、戸惑うニケの手を握り、すたすたと歩き出す。
「それでは、陛下。お忙しいところをお邪魔しました。失礼します」
「お、おい、ちょっと待て!」
「――そう言えば、ポケットからがさがさ音がしますわよ。たぶん、音からしたら毒サソリでしょうね。たぶん、昨日、私たちを狙った暗殺者が仕込んだものじゃないかしら。ポケットに手を入れなくて良かったですわね」
クリスティーナの肩に手をかけようとしていたガーウィンはぎょっとして立ち止まった。それから、身につけていた王に相応しいコートを脱ぎ、慎重に剣でポケットをすくい上げると、中から小さなサソリが尻尾を振り上げて現れた。
今まで何の気兼ねなく城をぶらぶら歩いてきたことにぞっとした。
クリスティーナは地面に潜り込んだサソリを冷静に見つめ、また歩き出した。
「お、おい」
後ろで聞こえるガーウィンの声にも振り向かず、隣で恐怖の表情を浮かべているニケを安心させることだけを考える。
「クリスティーナ、――ティーナ」
思わず、ドキリとして後ろを振り返るとそこには気まずげな顔をしたガーウィンがいた。
「いや、何、ありがとうな。あ、そう」
ガーウィンは今まで見たことがない、表情をしていた。
「話があるんだ。少し来てくれないか?」
城内に作られた、温室の中でも目立たない場所がある。薔薇や蘭など豪華な花が並ぶ温室ではロマンチックという理由で不用意に足を踏み入れると恋人達の逢瀬が目の前に広がっていたりするが、ここ、食虫草を栽培する温室では恋人達はおろか人であってもなかなかお目にかかれない。よく目にするのは餌である虫たちである。
ある特定の花の前を通り過ぎると腐った肉の匂いがした。目に染みる濃い緑や原色の花の色と、むせるようなクロロフィルの匂いに、好きな人と二人きり、という甘い気分などなく、呼吸をするのに精一杯というところである。
「陛下ぁ。もてない男のデート場所の選び方っていう本、知っていますぅ?」
幼児言葉とは裏腹に冷ややかな声色で言われた上に、なぜか漂っている人体に有害そうな刺激臭を思い切りくらい、ガーウィンは目を潤ませる。
「うるさい! 俺だって好きで来たわけじゃない! ここなら、誰にも話を聞かれないからだ!」
そう言って、一人歩こうとするが、ガーウィンははたと立ち止まり、クリスティーナの方を振り返った。
「逃げられたら困る」
緑に塞がれて視界さえ確かではない中、はぐれないようにクリスティーナの手を繋いでくれる。口ではそんなこと言っているけれども、クリスティーナの手を包む彼の手は決して、拘束するように強くはない。
二人を繋ぐ熱にクリスティーナはキュンとする。
とりあえず、虫がいない場所へと何もかも大きな葉をかき分け、進んでいく。
少し開けた所まで出ると、ガーウィンの身体は虫がたくさん張り付いていた。けれど、クリスティーナにはなぜか付いていない。
「なんで、おまえにはいないんだ?」
「――それは、たぶん、陛下が虫にとっても魅力的だからでしょう」
先ほど繋いでくれた感触の残る手を胸に抱えて、クリスティーナは恥じらいを含んだ上目遣いで見上げた。
けれども習慣というのは恐ろしい。
「俺が、虫に魅力的なほど汗くさいということか」
どうしても簡単にはうまくいかない二人である。
それについて、しばらく口論が続いた後、なぜかガーウィンにだけひきつけられる虫が国王の口内に入り、犠牲を払ったことによって終了した。
げほげほと咳き込み、大量の井戸水で口をすすぎ、とりあえず落ち着いたガーウィンを甘い気分など腐らして、クリスティーナは促す。
「それで、陛下、言いたかったこととは?」
「え?」
ガーウィンはクリスティーナを見返し、口を濁した。
「――クリスティーナ、おまえを正妃候補からはずして降嫁させようと思う」
温室はドキドキするところです




