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少年は図らずも異世界に足を踏み入れた  作者: かまたかま
三章 掲げた旗は振り下ろされる
20/22

一話



 木陰に寝そべったまま、ダリア・トールドは晴れた空を眺めている。

 寝転がって見る空は遥か高く、とても手が届かない場所にある。どんなに頑張っても届かないのは、優しい事だ。


 だから眺めるのには丁度良い。そう思って、ダリアは目を瞑った。


「おい、ダリア」


 聞こえる男の声を無視して、ダリアは目を瞑り続ける。

 一向に返事をしないダリアに痺れを切らしたモッズは、長く伸ばされた脚を蹴りつけた。


「いてっ」


「そんなに痛く無かったろうが。起きろ、仕事だ」


 渋々、ダリアは上半身を起こす。不満気な表情を隠そうともせず、モッズの仏頂面を睨んだ。


「やっと取れた憩いの時間なんだ。上司を労る気持ちくらい持ちやがれ」


「……お前はここの最高責任者だろう。不本意だがな」


 モッズは怒りを押さえ込むように両手を組んだ。鍛えられた筋肉が服を押し上げる。


「しかし、姫様の命令だから仕方が無い。ほら、立て」


「その姫様への敬意の十分の一でも俺に向けてくれたら……いや、気持ち悪いな」


 軽口にモッズは顔をしかめた。よっ、と勢いをつけて、ダリアは立ち上がった。


「で、何があったんだ?」


「第二神官が来た」


 整備された街並みの一角。芝と若い木々が緑を競う公園を後にし、二人は会話を続ける。さっきまでのやり取りとは一変、ダリアもモッズも既に仕事の表情だ。


「けっ、やっとかよ。カイロウに着いてから三日、待たせるだけ待たせて急に来やがって」


「それには俺も同感だ。ここの空気は、好かん」


 建物の屋根の向こうの遠く先。モッズが横目で見た先に、塔はそびえ立っている。

 しかし、それは塔では無い。この街、カイロウの端にある教会の先端だ。


 宗教都市カイロウ。その象徴である教会は、山を削って造られている。故に壮大で、その威容は街のどこからでも確認出来た。

 その教会からの使者。落ちぶれたとはいえ、皇帝の寵愛を受けたマリレアに挨拶へと来るのは当然だ。もっとも、随分と遅い来訪だが。


「モッズ、一番良い酒とアレ、用意しとけよ」


「…………分かっている」


 アレとは、いわゆる賄賂。立場や身分はマリレアが上だが、ここにはここのルールがある。

 遠くに離れたリズを想って、モッズは溜め息混じりに呟いた。


「この世で一番金が好きなのは、商人ではなく神だな」


「お、言うようになったな」


 段々と口が上手くなってきた相棒の言葉に、ダリアは笑った。


 カイロウ教。街と同じ名前の教えは、フラムベイン帝国に数ある宗教で最も勢力が大きい。『剣を捨てれば分かり合える』と説いたカイロウを教祖とした宗教だ。カイロウでは、人を傷付ける事が出来ない。もし人を傷付ければ、自分も同じ傷を負う。教会で常に発動している巨大魔具が、この街をそういう特殊な空間にしているからだ。

 その特性のせいで、この街に信徒はあまり多くない。この街の特性を利用しようと、信心などない貴族や富豪ばかりが住み始め、土地の価格が異常なほど高くなってしまったからだ。

 信徒である住民も居るが、教会が優先するのは金持ちである。この街では暴力が無くなった代わりに、金が一番力を持った。


 この街の様相が、初代皇帝カタルの妹、カイロウの本当に願った世界なのかは、今となっては誰にも分からない。


「あ、ダリアさん見つかったんですね」


 屋敷の前で待っていたラミは、二人を見て胸を撫で下ろした。

 アリスナの皇居に比べれば幾分か小さい扉を開け、二人を奥へと促す。


「早く行ってあげて下さいっ。侍女長がお相手してますけど、いつ堪忍袋の緒が切れるか分からないので」


「了解」


 屋敷へと入りながら、ダリアは肩を回した。


 仕事をしなかった男は今、忙しく働いている。









 第二神官を上機嫌に帰らせて、この街に住む障害はひとまず無くなった。付き合いが法より重要な時は多々ある。


「それで、リズ様から連絡は来たんですか?」


 疲れた顔で椅子に座るダリアに紅茶を出しながら、ラミは心配そうに言った。


「いや、ファフィリアからどこに行くのかは俺も知らない。向こうも一息ついたら連絡くらい寄越すだろ」


 椅子にだらしなく座ったダリアは紅茶を一口飲んだ。紅茶の良し悪しなど分からないが、豊かな香りが体を癒やしてくれる気がする。


「というか、連絡が無いと困る」


 それはダリアの偽らざる本音だ。

 リズを皇帝にするために、やらなければいけない事はいくらでもある。皇位の継承が皇帝の一存で決まるとはいえ、ただ天に祈って待つのは馬鹿でしかない。

 しかし、意思の疎通が出来ていなけれは下手に動く事も出来ない。和解、決裂、交渉。どれにしても一歩間違えれば破滅と同義だ。

 真剣さとは縁遠い、ラミの相槌を計ったかのように、部屋の扉が開いた。


「ここは、どこ?」


 舌足らずな声だが、その声質は女性の、それもある程度歳を経た声だ。

 現れたのは、ダリアもラミも良く知っている人物。この街に来る事になった要因の、大半を占める女性。


「あなたは、どこ?」


 その女性、マリレア・クライスは折れそうなほど細い腕で扉にしがみつき、虚ろな視線を彷徨わせた。

 細く、量の少ない金の髪。ぼろぼろに荒れた肌と、頬骨の浮き出た顔。鼻や目の形がなまじ良い分、悲壮さが前に出る。かつて栄華を誇った美貌は影も無い。


「マリレア様!?」


 風が吹けば倒れそうなマリレアを見た途端、ラミがその体を支えに駆け寄る。


「駄目ですよ、お身体に障りますっ」


 ラミの手がマリレアに触れる。今気付いたかのように、マリレアはラミへと怯えた目を向けた。


「あなたは、だれ?」


「大丈夫、私は使用人です。皇帝閣下の所に戻りましょう」


「そう……そうね。お腹の子供に何かあったらいけないものね」


 マリレアは嬉しそうに膨らみの無い腹部をさする。ラミはダリアを一度見て頷き、マリレアを支えながら部屋から出て行った。


「ほんっと、難儀なもんだな」


 麻薬に破壊された体と精神。いや、精神が破壊されたから麻薬に手を出したのか。どちらにせよ、もう元には戻らない。

 気分の悪さを誤魔化すように、ダリアは温くなった紅茶をちびちびと飲んだ。


 紅茶も飲み終え、静かな時間が訪れる。ダリアが大口を開けて欠伸をした時、ラミが部屋に帰ってきた。隣にモッズもいる。


「大丈夫だったか?」


 常套句に近い質問。マリレアの容態の変化と、そのマリレアに何もされなかったか、という二重の意味を込めたダリアの問いかけに、ラミはぎこちない笑みを返した。


「はい」


 モッズの無表情に嫌な色が混じる。


「俺が通りかからなければ、大丈夫では無かったがな」


「モッズさん!」


 ラミに見つめられ、モッズは口を閉じた。

 ラミの亜麻色の髪は、薄緑の紐で緩く片側に括られている。その結び目の方向が変わっている事に目ざとく気付いたダリアは、大体の事情を察した。

 しかし、その事には触れずに、新しい話題を切り出す。


「で、モッズ。お前はどうしてここに?」


 間違ってもモッズは用事も無く遊びに来るような性格ではない。モッズが来るのは何かがある時だけだ。

 その予想通り、モッズは懐から数枚の紙を取り出した。


「報告書と人事の書類。まだまだ追加で来るから覚悟しておけ」


「げっ…………ちょっと休憩してくるっ」


 ダリアはそう言って止める間も無く部屋から出て行く。相変わらずだ、とモッズは肩を竦め、ラミはカップを片づけ始めた。


 部屋から出たダリアは、屋敷内で自分にあてがわれた部屋に戻った。

 そのままベッドに飛び込もうとしたが、ダリアは思い直して机へと近付いた。


 上から二段目の引き出しを開け、奥に手を突っ込む。普通に開け閉めしただけでは見えない、突き当たりの固い感触を掴み、取り出す。

 そこにあるのは一本の鍵。見る限りでは何の変哲もない、ただの鍵だ。

 だが、これがそんなありふれた物でない事は分かっている。ダリアの嗅覚は正しかった。


 この鍵は、特殊な魔具である。

 ただ、普通の魔具とは違い、素養のある者が触れてもそうだとは分からない。その身で魔力を変化させる事も無く、微弱な魔力が宿るだけだ。

 この鍵を鑑定した裏商店の老人は、対になる特殊な鍵穴がある、と言っていた。鍵なのだからその発想は当たり前だ、と言ったらその老人は大笑いしていたが。


 今、この鍵についての情報はそのくらいしかない。肝心要の『開くべき錠』と『その中身』についての情報は全く得られなかった。


 しかし、ダリアにはある考えが浮かんでいた。とても低い可能性だが、やってみる価値はある。


 鍵を隠すように持ち、ダリアは部屋を出た。

 目指すのは、マリレアの休む部屋。


「ああ、はやくうまれておいで、シア。きっとしあわせにしてあげる」


 扉を開けると、マリレアはベッドの上で上半身を起こし、安らかな顔でお腹を撫でていた。マリレアの立場に比べれば随分と質素な部屋だが、それでもダリアの目には悪い意味で不釣合いに見える。

 今更、何も思わない。ダリアは躊躇無く近付き、マリレアの目の前に鍵をちらつかせた。


「そばにいるわ。ええ、ずっとそばに」


 反応は、無い。虚ろな目に鍵は映り込まない。

 こんなもんか、とダリアは納得して鍵を握り込んだ。元より期待はしていなかった分、落胆は少なかった。


「あれ、あなたはどなた?」


 マリレアが初めてダリアの姿を認める。いつもの事なので、ダリアは一礼して去ろうとした。


 その時、ダリアは鍵を服に引っ掛けてしまった。床に落ちる鍵。


 変化は劇的だった。虚ろだったマリレアの目は見開かれ、這いずるように落ちた鍵へと手を伸ばした。


「ああっ、やっと会いに来てくれた! 私、ずっと寂しくて、一人で。本当に嬉しい!」


 激しく、愛おしく、鍵に頬ずりを繰り返し、目からは壊れたように涙が溢れる。服が捲れて肉の薄い太ももが露わになるのも構わず、マリレアは床に転がったまま鍵に口付けをした。


「愛してるわ、あなた!」


 ダリアはぎょっとして鍵を取り返そうとするが、マリレアは離さない。無理矢理掴んで引っ張っても、骨の出た指は恐るべき力で鍵に纏わりついている。爪に挟まっていた亜麻色の髪がゆっくりと床に落ちた。


「ねえ、あなたは覚えていないって言ったけど、私は覚えてる。初めて出会った時のことを。パーティーで休んでいた私を誘ったあなたの手は、震えていたわ。ふふっ、一度断った時のあなたの表情があまりにもおかしくて、笑っちゃった。でも、だから思い直して手を取ったの。だから怒らないで?」


 壊れたように紡がれる言葉。昔のような、自信たっぷりで、明朗な話し方。それが逆に狂気をダリアに感じさせる。


「くそっ、知るかよっ」


「怒らないで、って言ってるじゃない。もう昔の話よ。それより、シアの顔を見ていってあげて? あなたに似て、紅い瞳がとても綺麗よ。リズも仲良くしているみたいだし。なのに、なぜ他の女の匂いがするの? ああ、そうよね、わかってる。しかたのないことって、わかって…………」


 始まりと同じく、唐突に終わりは訪れた。

 へばりついていた力が無くなり、鍵はダリアの手に戻った。急いで懐に隠し、息を大きく吸う。

 沈黙したマリレアは、横たわったまま虚空を見詰めている。ダリアは少し安心してマリレアをベッドに戻した。


「あなた……か」


 自分の部屋に戻り、鍵を元の場所に隠して、ダリアは掠れた声を出した。背中の汗を自覚する。

 マリレアの突然の変化。狂人の吐いた言葉に意味などあるはずがない。

 しかし、マリレアは魔具の素養を持っていた。使うことは無かったが、その素養は随分と優秀だったと聞く。鍵に宿る微弱な魔力を、もしかしたら嗅ぎとったのかもしれない。だとすれば。


 想像よりも、事態は複雑かもしれない。

 ダリアは認識を改めながら、モッズとラミの待つ部屋へと早足で歩いた。








 目の前に見えてくるのは大きな断層。せり上がった大地の断面に、くりぬいたような大きな口がついている。

 その口の先は暗闇が続いており、まさに『大空洞』と言うべき空間が広がっていた。


 じゃり、と英二は地面を踏みしめる。広い荒野には緑が少ない。岩と僅かな起伏だけの風景は、どこか寂しい。


「あれが大空洞か」


 英二は感心したように呟く。何万年もかけて出来上がったであろう自然の建造物は、それだけ迫力があった。


「俺も見るのは初めてだが、こりゃ凄えな」


 ライヤーが片手で日差しを遮りながら零す。その姿に疲れは見えない。

 ファフィリアから大空洞まで、歩いて丸一日。見晴らしの良い平野は徐々に変わっていった。

 英二はあまり疲れていない。それどころか歩き疲れたシアを背負って進んでも、まだまだ余裕がある。

 それも体の異変の一部だろう、と英二は変に納得している。というより、自分の中で納得させざるを得ない。そもそも異変の原因であろう『異世界から来た』という事実は誰にも言っていないのだ。今更混乱させても仕方ないので、言う予定も無い。

 だが、長く歩いた道のり以外の要因で、英二は精神的に疲れていた。


「…………死ね、変態」


 突き刺さる視線。猫のようなの一対の瞳。


「いやだから、俺はそんなんじゃ無いって。リズとライヤーはもしもの時に手が空いてないと困るし、ルルは力不足。俺が持つしか無いだろ?」


 背中には寝息を立てる小さなお姫様。起こさないように静かに反論する。


 何度目になるか分からない弁解も、また無駄に終わったらしい。ルルの視線はぴたりと背中に張り付いたままだ。完全に目の仇にされている。


 ルルはファフィリアでの夜の事を覚えていなかったらしく、自分が背負って部屋まで運んだ、と言ったら何故かケダモノを見るような目で見られた。以後はずっとこの調子だ。


 英二は大空洞の入り口を見る。この先には長い洞窟が続き、抜ければ次に目指す町があるらしい。

 右も左も分からない英二が口を出してもしょうがないので、ルートに関してはリズに任せっきりだ。遺跡の関係で一般人は立ち入り禁止らしいが、リズがそこを通る、と言えば通れない場所は無い。


 空を見上げていたリズが振り返る。長い金の尾がくるりと弧を描いた。


「雨は降らないようだ。今日は入り口の前で一旦休もう。無理をさせてしまったみたいですまない」


 英二は特に疲れていない。後ろから相変わらずの高い声。


「あたしは大丈夫よっ」


 きっと無理してるんだろうな、と英二は思いながら歩を進める。意地を張りすぎるのも考え物だ。かと言って弱音を吐く姿を見たら逆に心配するが。


 風が吹く。少し冷たい、季節を運ぶ風だ。実りの時期は近い。

 五人は大空洞の前で、野営の準備を始める。









 ぽっかりと開いた入り口を見上げた後、英二は視線を落とした。

 月明かりと力無い火の光では、到底奥まで照らせはしない。身震いがするほど深く、大きな暗闇の空間。


「エイジ、そろそろ眠ろう。日が昇れば嫌と言うほどその中を歩くんだから」


 英二は振り向いて、話しかけてきたリズを見た。


「ああ、分かってる」


 片手を上げて返事をしながら、火の光に向かって足を出す。

 二人は無言のまま野営地点に戻る。ルルとシアは食事の後、早々に眠ってしまったし、ライヤーもいびきをかきながら眠っている。周囲に習い、横との距離を取って、英二は寝転んだ。


 リズは火の近くに立ち、ぼそぼそと何かを呟く。


「……うん、これで朝まで燃える筈だよ」


 地面に点る魔術の火。さっきまでとの違いが英二には分からない。

 英二は自分の毛布にくるまって空を眺める。

 満点の星空。点と点でどんな絵でも描けそうなほど、空には光の粒が溢れている。それに元の世界よりもずっと大きな月。何度見ても吸い込まれそうで、とても美しい空だ、と英二は思う。

 しかし、同時に怖さも感じてしまう。異世界を歩く覚悟は決めた筈なのに、配置の違う星と大きすぎる月が、ここはお前の世界ではない、と圧力をかけてくる気がするのだ。


 地面は堅く、寝心地が良いとは言いづらい。それに疲れにくくなった体質のせいか、眠気もやってこない。


 風の音と静かな空気。なかなか眠れずに、英二は何度か寝返りを打つ。仕方なく遠くの暗闇を見ていると、寝ずの番を自ら買ってでたリズが小さな声で話しかけてくる。


「眠れないのかい?」


 上半身を起こして頷く。

 どうせ眠れないのなら、話でもしよう。そう思って英二は毛布をマントのように肩にかけて、膝を抱えるように座るリズの近くへと腰を動かした。


「なんか疲れにくい体質になったらしい。おかげで元気が余ってる」


「それは……傷つきにくい体になったのと、何か関係があるのかな」


「さあ、どうだろう。ま、不便はしてないしな。なんなら俺が見張りをしようか?」


 英二の提案をリズは笑顔で受け流す。


「いや、大丈夫だよ。ありがとう」


 予想していた答え。寒いわけではなかったが、英二はなんとなく、火に向けて手をかざした。

 魔術の火は普通のそれと変わりが無い。ただ、何もない地面からゆらゆらと燃え上がる姿は、どこか幻想的だ。


「しかし、一体どうなってるんだろうね、その体質は」


 膝を抱える腕に頭を乗せながら、リズは呟いた。その言葉は夜に溶けるような質感を持って、英二へと届く。


「リズ?」


 強い女性。英二のリズに対するイメージはその一言に尽きる。だが、うずくまるような体勢のリズは、そのイメージとずれている。

 そんな英二の戸惑いに気付かず、リズは思考に没頭する。


「繰魔術の類……にしても英二に魔術の素養が無い事は実証したし……。生まれつきそういう体質だった、って訳でも無い。考えられるのは誰かに呪いの類でもかけられたか、あるいは……全く未知の現象か…………」


 話しながら落ちる瞼。長い睫毛が閉じていく。


「リズ、眠いのか?」


 英二が話しかけると同時に、ビクリとリズの体が反応する。


「っと………………眠ってないよ?」


「はいはい」


 誤魔化すように背筋を伸ばして宣言するリズ。英二はそれ以上の追求を止める。

 ここまでの旅の手配は全てリズが行っている。つまり、リズに一番負担がかかっているのだ。疲れがたまって当然だ。

 それでも、番をする、と言ったらリズはするのだろう。

 すっきりと背筋を伸ばし、少し恥ずかしそうに毛布を肩にかけ直しているリズを見ながら、英二は話題を変える。


「なあ、魔術って何が出来るんだ?」


「何が出来ると言われても……そうだね」


 リズが人差し指を立てると、そこに小さな光が灯った。


「色んな事が出来る。私が出来るのは、せいぜいこういうちょっと便利な事くらいだけど、専門の人間ならそれこそ何でも出来る、と言って良い。勿論、制約や限界はあるけれど」


「専門の人間って、魔術師ってやつか?」


「まあね」


 ふっ、と人差し指の光が消えて、そのまま指先は地面の小石を拾う。

 微かな音を立てて描かれるのは、簡略化された人。


「そもそも魔力とは何か。エイジ、分かるかい?」


「…………分からない。魔力なんてこれっぽっちも感じれないしな」


 英二は首を横に振った。魔力なんて、つい最近まで空想の産物だったのだ。分かる筈が無い。

 その答えを予想していたのだろう。リズは頷いた。


「そう、それが大半の人の認識なんだ。魔術における命題でもある」


 リズは地面に描かれた人の内側に斜線を引いていく。


「実は、魔術を使う人間も『魔力が何か』なんて分かって無いんだ。ただ、君よりも少しだけ自分の中の魔力を感じ取れて、それを辛うじて体の外に誘導出来るだけ」


 地面の人の横に三角の図形が描かれ、人の手から細い線が伸びる。そして、その図形を通った線は火のような絵に変わる。どうやら、この線が魔力を表しているようだ。

 眠気は飛んだらしい。リズの紅い瞳には説明を出来る喜びが見え隠れしている。


「魔術師はただ『こういう構造に魔力を流せば、こういう風に魔力は変化する』と知っているだけ。それ以上の事は殆ど何も解明出来て無い。魔力は未知なるモノなんだ。繰魔術を使える人間が極端に少ないのも、魔力を魔力として扱える人間がごく僅かだからさ。まあ、こっちの魔術関係の発展がクレアラシルに比べて遅れてる、っていうのもあるけどね」


 眠気を吹き飛ばした説明好きは、少し残念そうに呟いた。

 魔力について。フラムベインにおける魔術の立ち位置。クレアラシルとの差異。そういう部分を含めてリズは説明してくれた。もし魔術師の試験があるなら、それはとても重要な事なのだろう。

 だが、英二が気になっている事は、ただ一点。


「じゃあ、人間が魔術で遠くに転移したりは出来るのか?」


 不可思議な現象は、不可思議な力で起こすしかない。

 ゲームで良くある移動魔法。どこにでも一瞬で移動出来る、そんな奇跡。もしそれがあるならば、元の世界にも案外簡単に帰れるかもしれない。

 質問を受けたリズは少し考えて、ゆっくりと口を開いた。


「出来るよ、一応ね」


 歯切れの悪い言葉。どことなく悪い予感が駆け巡る。


「なんだよ、一応って。近くにしか移動出来ない、とかか?」


「いや、その魔術なら一度行った場所ならどこにでも行けるし、距離なんてあってないようなもの、だけど」


 まさに英二が求めるものと一致している。それをどうにかして使えるようになるか、あるいは誰かに使ってもらえば、もしかしたら元の世界に帰れるかもしれない。

 だが、次のリズの言葉はそれを否定する。


「ただ、転移させた物は粉々に砕けていたり、裏返しになっていたり、無事な姿ではすまないんだ。だからその魔術は禁止されている。それでも挑んだ魔術師がいたけど、結果は散々なものだよ。人間だと尚更。自身を移動させようとした魔術師が何人かいたけど、皆例外なく命を落とした」


 転移させた物は無事ではすまない。人も物も、例外はない。

 その魔術師の末路を想像して、英二は振り払うように頭を横に振る。


「そっか。じゃあ転移は難しい、か」


「そうだね。ただ、クレアラシルの研究機関やクジュウの秘法なら、もしかしたら何か見つかるかもしれないけど。そこまで行ったら探してみよう。手伝える事なら手伝うよ」


 リズは英二の目を見る。真っ直ぐな視線。

 その紅い瞳を見返しながら、英二は何気なく口を開いた。


「なんで、そこまでしてくれるんだ?」


 英二とリズは出会って間もない。最初こそ調査の手伝いをしていたが、実質二人が一緒に居る理由は無いのだ。この旅にしても、英二にとっては帰る為の方法を探す、というメリットがあるが、リズにとって英二と旅をするメリットは無い。ただ足手まといの食い扶持が増えるだけだ。

 どうして。そんな素朴な疑問。リズは視線を外して、魔術の火を見つめる。


「責任、かな」


「俺を守る、って言った? それこそもう調査が終わったから、意味の無いものだろ。生活まで面倒みて貰うのは有り難いけど、なんかそれだと貰い過ぎてる気がする」


「いや、いいんだ。私がやりたくてやってる事だから。君は受け取ってくれればいい」


 どうにも納得出来ない。しかし、貰う側の英二は文句を言える立場では無いのだ。

 けれど、せめて何かを返そう、と英二は思った。


「じゃあ、何か困った事があったら言ってくれ。出来る事なら何でもする」


 夜のせいで、少し大袈裟になったかもしれない。しかし、出した言葉を引っ込める事はしない。


「ありがとう」


 何故ならば目の前の紅い瞳が、淋しげな曲線を描いていたから。

 ちっぽけな約束かもしれないが、破る気にはなれなかった。


 会話が途切れて、英二はまた空を見上げる。溢れるほど多い星と巨大な月は健在だが、もう怖さは感じなかった。


 リズも何も話さない。英二も特に会話をしようとは思わない。

 長い時間、飽きることなく空を眺めていると、とん、と背中に軽い重みがかかる。


「ん? シア?」


 続けて首に回される短い腕。シアから返答は無い。

 耳元にこすりつけられる子供特有の柔らかい髪と、鼻にかかった声。


「……お姉さま……あったかい…………すぅ」


 どうやら寒くなって起きてきたらしい。しかし、寝ぼけて標的を間違えている。もしくは無意識の内に、長く居座っていた英二の背中を目指して来たのか。

 どちらにせよ、無碍にする訳にもいかない。仕方ない、と英二は首に回された腕を解き、シアの体を正面に持ってくる。そして自分を背もたれにすると、シアは身じろいで丁度良い場所を探す。

 シアが自分の良いように収まるのを待って、英二はそっと上から毛布をかける。子供と酔っ払いの相手は手慣れたものだ。


 とすん、今度は横からの衝撃に、英二は驚いて首を動かす。

 見れば、リズが倒れるようにして横腹にもたれかかってきている。


「おーい、リズ?」


「…………ん」


 返事は曖昧。やはり疲れていたのか、リズは眠っているらしい。文字通り、倒れるようにして。

 首を曲げた、寝苦しそうな体勢。英二は自分の体をずらして、どうにか太ももに頭を乗せた。

 姉妹仲良く、英二に寄り添って眠る姿は微笑ましい。だが、太ももの熱さのせいで、英二本人の心情は穏やかとは全く言えなかった。


(駄目だ駄目だっ! 変な方向に考えを逸らすなっ)


 夜、というのは恐ろしい。

 少し手をずらせば触れられる、柔らかそうな肩。感じる身じろぎ。そういうのが、とてつもなく近くて遠い。

 こうなったら、自分が起きているしかない。冷静に考えると、これだけリズが近ければすぐに起こせるし、案外合理的なのかもしれない。そうとでも思わないと駄目だ。色々と。


 高宮英二は健全なる男子高校生。この世界に来て二週間近い。溜まるものは溜まっている。


 英二は深く息を吐いて、疲れていない事とは別に、眠れなくなった夜を過ごした。




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