プロローグ
僕は君に銃口を向ける。
君も僕に銃口を向ける。
涙を流して、震える指で、
僕らはその、引き金を引いた――。
―プロローグ―
「時雨ー!」
「ん……?」
いつもと変わらない穏やかな朝。僕、凜道時雨は、心地よく僕を呼ぶ声で目を覚ました。
「朝礼始まるよー! しーぐれー!!」
そう、いつもと変わらない穏やかな朝。僕の一日は、人によってはやかましく聞こえる、この声から始まる。
「時雨ー!!」
秋の始まり。少し肌寒く感じる気温。布団のぬくもりに負けそうになりながら、なんとか体を起こす。
けれど起き上がっても、声の主はそこにはいない。それでもなお聞こえてくる僕を呼ぶ声に足は自然と窓へと向かう。そうしてカーテンを開けて、窓の下に顔をのぞかせて。
にこにこと笑っている、僕の想い人を見て言った。
「……今日も規則ギリギリのラインだね百合愛」
「えへっ」
「笑ってるけど、あと一歩で男子寮踏み込むよ」
「その一歩はちゃんと見えてるから大丈夫!」
砂しかないはずなのに彼女――春告百合愛には何が見えているのか。想い人の視力を若干心配に思いながら。
「!」
肩に重みを感じて、視線だけをそちらに向ける。そこにはルームメイトの石蕗冬歌がいて、恨めし気に僕を見ていた。
「おはよう冬歌」
「おはよう時雨。そろそろ俺の幼馴染の目覚ましボリュームどうにかなんねぇ?」
それには動かしづらい肩を竦めながら笑う。
「起床時間に起きれて遅刻しないんだからいいんじゃない」
「おかげで男子寮の遅刻は減ったけども」
苦笑いの冬歌から、視線は百合愛へ。
「そろそろ迷惑で追い出されたりしないか、あいつ」
「今のところ組織には喜ばれてるから大丈夫だと思うけど」
こちらに手を振っている百合愛に手を振り返してから、彼女に告げる。
「すぐ準備するよ。そしたら散歩に行こう」
「え、あたしすぐ戻るよ!」
「ダメ、待ってて」
「えぇ……」
どこか照れたように顔を赤らめて、困ると言うように眉を下げる百合愛。それに微笑み、もう一度念を押してから窓を閉めた。
「相変わらずお熱いこって?」
「このくらい熱烈にしないとすぐ逃げられちゃうから」
完全に目が覚めて冷やかしてくる冬歌にそう返し。いろんな意味で今日も頑張ろうかと気合を入れて、僕は朝の支度を始めた。
世界中で争いが絶えなかった時代。各国では戦争に負けぬようにと、幼い子供を兵士へと育てる活動が盛んだった。そこでこの国が作ったものが戦闘特化組織・カラリス。
その名の通り戦闘訓練のみを受け、戦闘に特化した兵士が所属する戦争専用組織。当時はどの国でも子供が所謂“小学生”と呼ばれる年齢に達すると、強制的に組織が管轄する訓練学校に入り、本人の意思問わず兵士としてその生涯を国に捧げたという。
そうして世界に平和が訪れたのは数年前。僕らが住むこの国が勝ったことで、戦争は終わりを迎えた。
壊れた街を修復し、人々がまた生活を始め、戦争が始まる前の穏やかな日々へと戻るころになると、この組織の入隊制度も変わっていった。まずは強制入隊という制度がなくなり、誰彼かまわず兵士になることがなくなった。
そうして徐々に、組織で育った子供たちも途中で一般校へと転入できるようになり、今では組織の人口より一般校に通う子供たちの方が多くなったという。
その変化に伴って、段々と組織は自警団と、親のいない子を引き取るという孤児院としての役割を果たすようにもなっていった。
その理念に賛同し、平和になった今でも組織に所属している僕の朝は、想い人に起こしてもらうところから始まって。
「お待たせ」
「……待ってない」
気持ち早めに支度を終えて、男子寮の前まで下りて行った。そこにはさっきと変わらず困ったような顔の百合愛。それに微笑んで、彼女を促す。
「行こう」
「うぅ……」
背を押すと、彼女は照れたように歩き出した。なぜ来るときはあんなに熱烈と言えるのに歩み寄るとここまで照れるのか。それがかわいいところでもあるけれど。毎日のように繰り返されるこのやり取りに慣れることがない彼女を愛しく思いつつ、百合愛と共に朝の静かなカラリスの庭園の中を歩く。
今日は散歩だからと、足は庭園の奥にある湖の方へと向かった。季節の花々へと目を向けながら、時に百合愛を見て、また前を向く。それを繰り返していると、彼女が口を開いた。
「時雨、今日の予定は?」
「訓練かな。百合愛は?」
「今日あたし見回り」
そう、と返して、自分のスケジュールを頭の中で振り返る。
訓練と一言で言っても、それにはいくつか種類がある。
まず午前がバディ訓練。ルームメイトと一緒になってやるもので、二人一組が基本となったカラリスの任務をするうえで最も基礎たる訓練。座学で学んで実践するときもあれば、バディ同士で戦闘訓練をするときもある。今日はないけど、集団戦を想定したチーム訓練も内容としては同じもの。午後は対人訓練。これはサシで、人と交戦になったことを想定した模擬戦。
そしてこの対人訓練の方は、一種のランク戦のような要素も入る。
うちの組織では昔から優秀な成績を残すと、英人と言われるちょっとした賞をもらえる制度がある。もともとは「死に花」と呼ばれる、死後や死に際の活躍に贈られる栄誉から考えられたもので、戦場で命を賭した兵士や、帰ってきた彼らをたたえるために――要は「英雄」という意味合いで作られたものらしい。戦争がなくなった今ではその制度は少し形を変えて、訓練で優秀な成績を修めた人や、任務で活躍した人に与えられて、一定の数貯まったら組織から褒賞をもらえるものになった。
そして時代がさらに進むにつれて、隊員の中では組織からだけでなく個人――主に好意を持った者同士――で英人になれたら相手に褒美をあげるという戯れみたいなものが流行っていき。
「今日、午後対人戦なんだけど」
「うん」
僕も流行に乗って、百合愛に一歩、近づいて。
「英人になれたら、なんかご褒美くれる?」
彼女の心にもより近づくために、今日も覗き込んでそう言えば。百合愛は嬉しそうに笑って。
「じゃあ、今日の見回りでなんか買ってくるね!」
なんてとても、雰囲気とは違う答えが返ってきてしまう。正直予想もできた答えには苦笑い。
「……思ってたものとは違うんだけど?」
「でも今日ちょうど見回り出るし」
「仮になれなかったら無駄になるよ」
「そしたら頑張ったで賞にするよ!」
「ふふ、何それ」
かわいらしい発想に今度は目を細めつつ、彼女の髪に触れて。
「っしぐれ」
「僕としては、もう少し距離を詰めたいんだけど」
――そういうご褒美は、ダメ?
これに弱いとわかっていつつ、わざと近い距離で言った。それに彼女は顔を真っ赤にして、首を横に振ってしまう。
「だ、ダメ!」
「なんで」
「こ、恋人じゃ、ないし!」
「そろそろなってくれてもいいだろ」
「ま、まだ時雨十五歳でしょ!」
「いうて一つ違いじゃん」
「あたしこの前十七になったもん!」
それを言うなら僕も今月十六になるけども。彼女にとってはそういうことではないらしく、頑なに首を横に振る。
「時雨とは、ビジネスライクの関係なの!」
「こんなに顔赤くして照れてるのに?」
「時雨ほどかっこいい人にこんな風にされたら誰でもなるから!!」
そんなことはないと思うけれど。彼女はそこを譲ってはくれなさそうなので、「へぇ」とだけ返して。
「ほら朝礼!!」
「うん」
「行くよ!!」
照れて断るくせに、僕の手は引く。
彼女のちぐはぐな行動に笑いをこらえながら、百合愛に手を引かれるまま朝礼へと向かった。
「百合愛、そろそろ毎日男子寮まで来るのやめた方がいいんじゃねぇの」
「これのおかげで朝礼に遅れる子がいないって褒められたんだよっ? 感謝してほしいくらいだよ」
「勝手に来てるくせに何が感謝だよ……」
あのあと冬歌と合流して、朝礼を終え、三人そろって食堂で朝食を頂く。一口食事を運んでから、目の前に座る冬歌と僕の隣に座る百合愛を交互に見た。
この二人は組織に来る前から交流のある、いわゆる”幼馴染”というものらしい。百合愛の一つ上である冬歌は彼女にとって兄のような存在らしく、二人がカラリスに入ってきた当時、百合愛はよく「お兄ちゃん」と呼んでいた。それがうらやましくて皮肉を言ってしまったらいつからか呼ばなくなってしまったけれど。あのときの後悔は食事と共に飲み込んで、今では一緒にいるようになった二人を見つつ、また食事を口に運ぶ。
「いつか不法侵入で追放されるんじゃないか……」
「そのときは冬歌に命令されたって言うから」
「そこは時雨だろ」
「僕を巻き込むな」
『次のニュースです。戦闘特化組織地方地区の瀬賀原さんが先日階段から転落し――』
いつもと変わらない会話の途中、食堂のテレビのニュースが耳に入った。三人そろってそちらを見て、話題は百合愛の不法侵入疑惑から、このニュースへ。
「最近多いよね、上層部の謎の死亡事件」
「そうだね。前より頻度増えたし」
彼女の声に、食事に目を戻して頷く。
戦争は終わった。
けれど、だからと言って争いがなくなったわけではなくて。最近では国内の方が多いんじゃないかと思うくらい、殺人などの犯罪が増えている。僕たちの身近な場所で言えば、今流れていたニュース。
一年ほど前から、僕らがいる本部や地方の上層部が謎の死を遂げているらしい。
転落や事故など、死因が本人の不注意ととれることから最初は特に問題視されていなかったけど、あまりの頻度と特定の人間から事件として捜査されている。
最も、証拠が全くないことから捜査は手詰まりらしいけれど。
「早く……なくなるといいね」
まるで自分の家族を想うような百合愛に少し寄り添うようにして、なるべく気に病まないようにと微笑み。
「そうだね」
そう、こぼした。
その日の午後。寮から離れたところにある訓練所で、冬歌とナイフを交える。
「っと」
「っ」
振り下ろされた冬歌の刃を受け止めれば、彼は楽しそうに笑った。それに僕も笑い返して、彼が予備動作なしに入れてきた蹴りを、身を引いてかわす。
「お、さすが時雨」
「冬歌こそ」
開いた距離を詰めるように走り出し、また刃を交えた。
争いがなくても、毎日のように戦う僕ら。それはいつまた争いが起きてもいいようにという備えとしてである。――というのは事実でもあり、ひとつの建前でもあった。小さなころから訓練や戦場で実際に戦っていたからか、戦争という争いは嫌いだけれど、戦うこと自体は好きだった。
強くなれたら楽しいし、それに、頑張ればご褒美だってある。
「……」
「っぶね」
とくにこの対人戦は直接褒美に繋がるから、ナイフを振り下ろす力も強くなった。
「気合入ってんな時雨」
「ご褒美もらえるかもしれないから」
「百合愛から?」
「ご名答」
まぁ望んだ褒美じゃないんだろうけれど。そこにはもう慣れているのでよしとする。重要なのは彼女から褒美をもらうことだから。
「というわけで冬歌」
「っ、おわっ」
予想できる未来には微笑んで、冬歌へと踏み込み思い切り足を引っかけて、転ばせて。
「今日は僕の勝ち」
「ちくしょー……」
苦笑いの冬歌の首元にナイフを突き立てて、勝利をもらった。
「で? 褒美は何もらうんだよ」
「さぁ」
「決まってねぇの?」
あれから他の隊員も倒していって、無事本日の英人になり、いつもより足取り軽く寮への道を冬歌と歩く。
「僕は決まってるけど」
「あぁ、百合愛がそれをくれるとは限らないって?」
「そういうこと」
「なら今日は見回りに行ってるからその土産と見た」
「さすが冬歌、百合愛の兄分ってことでよくわかってるね」
だろ、と笑う冬歌に笑い返して、さて本当に何をくれるのやらと歩いていれば。
「時雨ー! 冬歌ー!」
「お、噂をすれば」
寮の方から名を呼ばれて、そちらを向く。そこには夕焼けの中、黄緑色の髪を揺らしている百合愛がいて。自然と顔がほころび、歩くスピードを上げて近づいていく。
「おつかれさま!」
「百合愛もおつかれ」
「ありがとう時雨!」
「おつかれ。ケガとかないか?」
「冬歌もありがとう! 大丈夫!」
「ほんとかよ……お前そそっかしいからな」
「ほ、ほんとだよっ!」
見た感じ嘘はなさそうなので、安心する。冬歌に頷くと、彼も確認できたようで頷いた。そうして冬歌はおもむろに歩き出す。
「んじゃ俺先に戻ってるから」
「え!?」
「あとは二人でどーぞ。夕飯で報告期待してるわ」
ひらひらと手を振って先に寮に入って行く冬歌に、見えていないとわかっていつつ手を振り返す。そうして百合愛に目を戻すと、予想外だったようで少し動揺していた。
「冬歌がいた方がいい?」
「そ、そういうんじゃないけど!」
わざと意地悪を言えば、彼女は夕焼けに負けないくらい顔を赤く染める。それに頬が緩むのを感じながら。
「百合愛」
「えっ?」
「今日、ちゃんと僕、英人だったよ」
彼女の顔を覗き込み。
「褒めてくれる?」
そう、言えば。
彼女は困ったように眉を下げて目をうろうろさせて、呟く。
「た、たくさん悩んだの」
「うん」
「ほんとだよっ。……見回り中、怒られたくらい」
「うん」
手の指を、落ち着かないというように合わせながら言って。
「それでね」
「……決まった?」
「……うん」
困ったように眉を下げて、上目遣いで見上げられる。それは期待させるようなしぐさでは? そう思うけれど、言うのは我慢して百合愛を待った。
すると。
「!」
そっと、手が伸びてくる。その、僕よりも小さくて細い手は、僕の頭に乗って。
「……頑張ったね」
ふわっと笑って、頭を撫でてくれた。きっと、もういない親にもされたであろうその行為。けれど僕の記憶には、どうしたってないもの。
それをやさしく、優しく与えてくれる。
「……」
こういう時の彼女はとても慈愛に満ち溢れている。名前の通り、純粋で、愛情に溢れていて。どこか、本当の姉のようにふるまうのが悔しくもあって。
「……百合愛」
「ん?」
「抱きしめたい」
「それは報酬外です」
「……」
ダメ元で聞いたら断られてしまう。こうなっては引くしかない。どうしたって嫌われたりする方が嫌だから。けれど引きながら、少しだけと思ってしまうのも男の性で。
「……頭」
「うん?」
「……肩に、乗せていい」
「……」
近づきたくて、この居心地の良さをまだ味わいたくて、願えば。
「……うん」
やさしく、受け入れてくれるから。
手は動かさず、宣言通り頭だけを肩に乗せた。少しすると、百合愛がくすくす笑って肩が揺れる。
「甘えんぼ?」
「……百合愛にだけだよ」
「ふふっ、かわいいね」
好きな人にかわいいなんて言われたくないけど。百合愛だからいいやと思ってしまうのはきっと惚れた弱みだろう。
「……そ」
だから、反抗することなく呟いて。
与えられる温かさを一秒でも長く感じられるように、彼女のやさしいにおいを感じながら目を閉じた。




