シーン4:【無自覚な奇跡】枯れた水筒から溢れ出した、水晶の如き『無限の水』
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私の震える指先が、ひび割れた古い革の水筒にそっと触れる。
太陽の熱で温まっているはずのその表面から、わずかに残った水滴の冷たさが伝わってくる。
(……ああ、なんて心地いい冷たさ)
意識が朦朧とする中で、ただ「水を口にしたい」という純粋な生存本能だけが私の心を支配している。
その瞬間だった。
私の内側で行き場を失い、細胞の隅々で暴れ狂っていた莫大な『水魔力』が、明確な出口を見つけたのは。
ドクン、と心臓が破裂しそうなほど大きく跳ねる。
肺の奥底から、指先の毛細血管に至るまで。
全身を駆け巡っていた清らかな魔力が、まるで意思を持っているかのように右腕へと一極集中していく。
それは、祖国の巨大な水魔石へ無理やり魔力を注ぎ込まされていた時と、似ているようで全く違う感覚だ。
あの薄暗い地下室では、目に見えない太い鎖で魔力を無理矢理引き摺り出されるような、内臓を抉られるような激痛が常に伴っていた。
しかし、今は違う。
塞き止められていた清流のダムが、限界を迎えて決壊したかのように。
あまりにも自然に、息を吐くのと同じくらい滑らかに、私の体内から魔力がこぼれ落ちていく。
「……ん?」
私を抱きかかえているレオンの喉から、低く、怪訝そうな声音が漏れる。
彼の大きな手が握る革の水筒が、不自然なほどパンパンに膨れ上がり始めているのだ。
チャプ、チャプ、という微かな水音が、水筒の内部から響き始める。
中身はもうほとんど空だったはずなのに。
その音が、数秒もしないうちに、ゴポォッ、ゴポポォォッ!という激しい沸騰音のような響きへと変わる。
「なっ――!?」
レオンが驚愕に見開いた金眼のすぐ目の前で。
水筒の飲み口から、あり得ないほどの勢いで透明な液体が噴き出した。
バシャバシャと激しい音を立てて空中に舞い上がったのは、容赦なく照りつける太陽の光を乱反射し、水晶の破片のようにキラキラと煌めく、極上の純水だ。
「ひゃっ!?」
あまりの勢いに、私の顔面にも冷たい水飛沫が勢いよく降り注ぐ。
火照りきって熱を持っていた頬を、氷のように冷たい水が滑り落ちていく。
乾ききってひび割れていた唇の隙間から、ほんの数滴の水が舌の上へと転がり込んでくる。
(甘い……そして、なんて冷たいの)
それは、私が今まで生きてきた十八年間で味わった、どんな高級な果実水よりも美味しく、干からびた細胞の隅々にまで染み渡るような圧倒的な生命の味だった。
喉の痛みが嘘のように引き、視界を覆っていた黒い靄が一瞬にして晴れていく。
だが、水は一向に止まらない。
ドババババッ!という小さな滝のような音を立てて、片手で持てる程度の水筒の口から、無限の泉のように水が溢れ出し続けている。
レオンの漆黒のマントをずぶ濡れにし、私の薄汚れたドレスの砂を洗い流し、そして、足元の灼熱の熱砂へと容赦なく滝のように降り注いでいく。
ジュゥゥゥッ……!
数百年、いや、もしかすると千年もの間、雨の恵みを知らなかったであろう熱砂が、大量の冷水を急速に吸い込んでいく。
歓喜の悲鳴のような蒸発音が周囲に響き渡る。
むせ返るように乾燥していた空気に、雨上がりの深い森のような、清浄で湿った匂いが爆発的に広がっていく。
肌を刺すような熱気はどこかへ消え去り、私たちの周囲だけが、まるで避暑地の湖畔にいるかのような涼しい空気に包まれていく。
「へ、陛下!? 一体何が起きているのです!?」
「その水筒は、すでに空だったはずでは……いや、それどころの量ではありませんぞ!」
周囲を警戒していた護衛の兵士たちが、剣を構えたまま信じられないといった顔で駆け寄ってくる。
だが、彼らは足元まで広がってきた冷たい水に気づくと、まるで雷に打たれたようにその場に立ち尽くした。
「み、水だ……本物の、清らかな水だ……ッ!」
一人の兵士が、たまらず砂の上に膝をつき、両手で水を掬い上げて口に含む。
「美味い! 砂漠の泥水じゃない、極上の水だぞ! 一体どこからこんな水が湧き出ているんだ!」
彼らの視線の先で、私が触れたままの水筒から生み出された水は、ついに足元の砂漠の地形を変え、小さな水溜まり――いや、澄み切った『オアシス』を形成し始めている。
「……君が、やったのか?」
レオンの低く震える声が、私の耳元に降ってくる。
恐る恐る見上げると、先ほどまでの冷徹な覇王の顔はどこにもない。
猛禽類のような鋭い金眼は見開かれ、私の顔と、流れ出し続ける無限の泉とを、信じられないものを見るような目で行き来している。
その瞳に浮かんでいるのは、恐怖や警戒ではない。
まるで、灼熱の地獄に舞い降りた救済の女神でも見つけたかのような、深い畏敬の念だ。
「え……? あ、あの、私、何も」
違う。私は何もしていない。ただ、水筒に少し触れただけだ。
これはきっと、この立派な水筒が、隣国の素晴らしい魔導具なのだ。
そうに決まっている。だって私は、ただの『役立たずの浄化係』でしかないのだから。私にこんな、空間から無から有を生み出すような凄い魔法が使えるはずがない。
「申し訳ありません、私……貴重な魔導具を、壊してしまったのでしょうか……」
震える声で謝罪を口にする。
こんなに水を出してしまって、後で高額な弁償を求められたらどうしよう。そんな的外れな恐怖が胸をよぎる。
「……違う。これは、魔導具なんかじゃない」
レオンがゆっくりと、首を横に振る。
そして、彼は水筒を握っていた手を、そっと離した。
「あっ」
水筒が砂の上に落ちるかと思った。
しかし、水筒は私の指先が触れた状態のまま、空中にピタリと静止している。
いや、激しい水流に押し上げられるようにして、空中に浮かび上がっているのだ。
私の指先から水筒へと、目に見えるほどの濃密な青い光の帯――高純度の水魔力が流れ込み、それが直接、物質としての『水』へと変換され続けている。
「信じられない。ただ魔力を流しただけで、空間のマナからこれほど純度の高い水を、これほどの規模で直接『物質化』させるなど……神話に謳われる水精霊でもなければ、不可能なはずだ」
震える彼の声。
過酷な砂漠の国を統べる強き皇帝が、今、一人の娘を前にして完全に言葉を失っている。
レオンの大きく温かい手が、私の濡れた頬にそっと触れる。
「君は……一体、何者なんだ?」
熱を帯びた、祈るような問いかけ。
自分が何を引き起こしたのか全く理解できないまま。
急激な魔力の放出による心地よい疲労感と、彼に守られているという極限の安堵感から、私の意識は今度こそ、深く甘い眠りの底へと溶け落ちていった。
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