シーン1:【溺愛の執務室】覇王の膝の上と、宰相が持ち込んだ『記録水晶』
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カリ、カリ、カリ……。
静寂に包まれた広大な執務室に、羊皮紙の上を滑る羽ペンのリズミカルな音だけが心地よく響いている。
窓から差し込む明るい日差しが、重厚なマホガニーの執務机を黄金色に照らし出し、空気中を舞う微小な埃すらもキラキラと輝かせている。
部屋を満たしているのは、最高級のインクの匂いと、背後から私をすっぽりと包み込んでいる、サンダルウッドの落ち着いた香り。
そして、私の背中に密着している、火傷しそうなほど熱く、分厚い胸板の感触だ。
「……あの、レオン様。そろそろ、降りてもよろしいでしょうか」
私は真っ赤になった顔を下へ向けたまま、消え入りそうな声で抗議する。
私の現在の居場所。
それは豪華なソファでも、客室のふかふかのベッドでもない。
この砂漠の帝国を統べる若き覇王――レオンの、たくましく引き締まった太ももの上だ。
あの大魔物襲来と奇跡の雨から、数日が経過した。
王都の地下水脈に直結された私の魔力は、今も尽きることなく無限の泉として清水を溢れさせ、かつて乾ききっていたこの国を、見渡す限りの緑と水が輝く『オアシスの大国』へと急速に作り変えている。
街を歩けば、誰もが私に向かって深く跪き、「真の聖女様」「水精霊の愛し子様」と涙を流して祈りを捧げてくる。
ただの浄化係だった私には、あまりにも身に余る、くすぐったくて圧倒的な感謝の波。
しかし、それ以上に私を戸惑わせているのは、この冷徹なはずの皇帝陛下からの、常軌を逸した『溺愛』だった。
「だめだ。君の体温がないと、どうにも政務に集中できなくてな」
「で、ですが、私が膝の上にいては、書類にサインがしづらいのでは……っ」
「問題ない。君は羽のように軽くて柔らかいからな。むしろ、こうして抱きしめながら仕事をしている方が、普段の三倍は筆が進むというものだ」
レオンの大きな腕が私の腰に回され、ギュッとその強い力で私をさらに自分の胸元へと引き寄せる。
彼の低いバリトンボイスが耳元で響くたびに、私の首筋に熱い吐息がもろに掛かり、全身の産毛が総毛立つような甘い痺れが走る。
背中に当たる彼の規則的な心音が、ドクン、ドクンと力強く私の背骨を震わせている。
長年の地下室での幽閉生活で、私は『誰かに触れられること』に強烈な恐怖を抱いていた。
けれど、レオンの体温だけは違う。
私を搾取するのではなく、ただ純粋に愛おしみ、壊れ物を扱うように大切に包み込んでくれるこの腕の中は、世界中のどこよりも安全で、甘く、私の心を溶かしてしまう絶対的な聖域だった。
『キュウ! キュキュッ!』
私の膝の上では、水色のハリネズミ――オアシス精霊のチクタクが、短い手足をバタバタとさせて無邪気に転げ回っている。
チクタクが転がるたびに、そのぷにぷにとした水色の棘から極上の純水が数滴こぼれ落ちる。
しかし、その水滴は私のドレスや書類を濡らす前に、淡い青色の光の粒子となって空気中に溶け込み、執務室の空気をひんやりと心地よく潤していく。
「ほら、チクタクもご機嫌だ。君がここからいなくなれば、この小さな精霊も悲しむぞ?」
レオンが空いた片手でチクタクのぷるぷるのお腹を撫でながら、悪戯っぽく笑う。
ずるい。チクタクをダシに使われると、私は何も言い返せなくなってしまう。
私は諦めて小さくため息をつき、彼の広い胸板にそっと背中を預ける。
その瞬間、彼が満足げに喉の奥で低く笑い、私の水色の髪の束にそっと顔を埋め、深く息を吸い込む気配がした。
「……あんな地獄のような場所で、よくぞこれほど純粋で美しいまま育ってくれた。君を俺のもとへ導いてくれた運命に、どれだけ感謝しても足りない」
髪に落とされる、羽のように軽い口づけ。
甘く、重たい独占欲が込められたその言葉に、私の胸の奥がキュンと甘く締め付けられる。
自分は無価値だという呪いは、彼がこうして毎日、何度も何度も愛の言葉を囁いてくれるおかげで、すでに跡形もなく消え去っていた。
コンコンコンッ!
その極上に甘い空気を切り裂くように、重厚な扉がノックされる。
ビクリと私の肩が跳ねる。
「陛下、グレンです。例の『品』が東の国境から届きましたので、お持ちしました」
扉の向こうから聞こえてきたのは、冷徹な宰相グレンの理知的な声だ。
レオンがチッ、と短く舌打ちをし、私を抱きしめる腕の力をわずかに緩める。
「……入れ」
ガチャリと音を立てて扉が開き、片眼鏡を光らせたグレンが、完璧に糊の効いた制服姿で足を踏み入れる。
彼は執務机に向かうレオンと、その膝の上で顔から火が出るほど赤くなっている私を交互に見比べ、大げさに深い溜息をついた。
「陛下。またルリア様を抱き枕代わりにしておられるのですか。真の聖女様をそのように私物化するのは、国の宰相としていささか頭の痛い問題なのですが」
「黙れ。ルリアが俺の膝の上を気に入っているんだから、問題ないだろう」
「き、気に入っているわけでは……っ! レオン様が離してくださらないだけで……!」
私が慌てて首を横に振って否定するが、グレンは「はいはい、ごちそうさまです」とでも言いたげな、呆れと微かな微笑みが混ざった顔で肩をすくめる。
グレンもまた、あの大雨の日以来、私に対して絶対的な敬意――というより、もはや狂信的なまでの崇拝――を向けてくれる一人だ。
彼が私に向ける視線には、かつての打算や警戒は微塵もなく、国を救った恩人への純粋な感謝だけが満ちている。
「それで、例の品とはなんだ。わざわざ執務室まで持ち込むということは、急ぎの報告なのだろうな」
レオンが声のトーンを一段落とし、為政者としての冷徹な顔へと切り替わる。
それに呼応するように、グレンの表情からも呆れた色が消え、極めて事務的で冷酷な光が片眼鏡の奥に宿る。
「はい。我が国の諜報部隊を、例の『干ばつ国』――ルリア様の祖国へ潜入させておりましたが、先ほどその第一報が映像記録として届きました」
グレンが懐から取り出したのは、大人の拳ほどの大きさがある、無色透明な丸い水晶玉だ。
『記録水晶』。
この大陸にわずかに残る、過去の映像と音声をそのまま空間に投影することができる、極めて高価で希少な魔導具。
コトン、と。
それがマホガニーの机の上に置かれた瞬間、部屋の空気が微かに冷え込んだ気がした。
「ルリア様を追放した、あの愚かで傲慢な者たちの現在の末路です。陛下にも、そして他ならぬルリア様にも、彼らが今どのような惨状にあるのか、しっかりとご確認いただきたく存じます」
グレンの言葉に、私の胸の奥で微かなさざ波が立つ。
祖国。
ザイード。アリス。そして、私を蔑み、ただの道具として搾取し続けた貴族たち。
私が国境を越え、魔力供給が完全に断ち切られたあの国は、水魔石文明の根幹を失ったはずだ。
あれから数日。彼らは今、どうなっているのだろうか。
「……ルリア。見るのが辛ければ、目を閉じていてもいい。あんな奴らの汚い末路など、君の美しい瞳に映す価値もないからな」
レオンの大きな手が、私の両耳を塞ぐようにそっと添えられる。
しかし、私はゆっくりと首を横に振り、彼の手を自分の両手でそっと包み込んで下ろした。
「いいえ、見ます。私には、彼らがどうなったのかを知る義務がありますから」
私の声は、自分でも驚くほど静かで、平坦だった。
そこにはもう、かつての怯えも、彼らに対する恐怖も、一切存在していない。
私はただ、自分がかつて縛られていた過去の真実と、完全に決別するために。
真っ直ぐに顔を上げ、机の上の水晶玉を見つめた。
グレンが水晶玉に指先を触れ、微弱なマナを流し込む。
キィン……という甲高い耳鳴りのような音と共に、水晶玉がまばゆい光を放ち始めた。
空中に投影されたのは、蜃気楼のように揺らぐ、ある王城の『現在の姿』。
そして、私の網膜に飛び込んできたのは、あまりにも滑稽で、無惨に干からびた祖国の信じられない光景だった。
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