【09】ブランチ
支度を終え、遅めの朝食のために通された食事室では、きっちりと服を着たレイヴンが先に待っていた。
なお、この場合の「きっちり」と言う表現は、「半裸ではない」という程度の意味しかない。
ジャケットは椅子の背にかけてあり、シャツの首元のボタンが開いていた。
タイはおそらくジャケットの内ポケットかどこかにあり、完全に気を抜いているように見える。
――これが、昨夜の私を一分の隙もなく脅してきた男なのか……。
女で学生とはいえ、私とて帝国中央貴族の一員である。護身の術は学んできた。
護衛に守られるための心構えや行動については当然のこと。そして、自らの魔法を用いて敵へ相対することも含めて。
それでも、私は何もできなかった。
教師や指導係から出来を褒められる一方、訓練と実戦は違うとよく諭されたが、私はようやく彼らの言葉を理解した。
昨夜のことはレイヴンにとって、文字通り赤子の手をひねるようなものだったろう。
そんな事を考えている内に、私の入室を確認したレイヴンが素早く服装を整える。
表情も朝の緩んだものとはまったく違い、これが彼の公的な顔なのだと思える。
いや、「私の入室前にやっておけ」という感想がどうしても先にくるのだが。
作法として、決して正しいものではないため、無性に気になる。
「ジャスティーナ様、改めてご挨拶を申し上げます。私はケイロン王国アルナスル公爵家が四男、ジャック・ボリスと申します。ケイロンにはジャックという名がありふれておりますので、私のことはどうかレイヴンとお呼びください」
「ご丁寧にありがとうございます。私はアストライア公爵家が長女、ジャスティーナ・ライブラ。……以後、お見知りおきを、レイヴン様」
レイヴンから思いがけずに高い地位の名乗りがあり、できるだけ顔に出さず内心で驚く。
要望通り大鴉の名で呼べば、目を細めた嫌味な……そして満足そうな笑顔が返ってきて、してやられた気分だ。
本国のアストライア公爵家と属国のアルナスル公爵家は、同じ公爵家といえども帝国法上では家格が違う。
当然、本国貴族であるアストライア公爵家のほうが上である。
しかし、ケイロン王国のアルナスル公爵家といえば、武門で有名である。
武を尊び、知を侮らずという当時のアルナスル公爵に随分と辛酸を嘗めさせられたとは、帝国史の余談としてよく聞く話だ。
ケイロン王国は、先々代皇帝の晩年に帝国へと下った。
代替わりをしたケイロン国王が帝国への恭順を誓った後も、先々代皇帝はアルナスル公爵家の牙をあえて折らなかった。
決して、無策で下に見て侮って良い相手ではない。
そんな家の者を相手に、ただの無能な小娘である私が、実家に不利益をもたらさないためにどこまで対応できるのか。
レイヴンの堅い手によって短い距離を導かれ、私は不安な気持ちを抱えて席についた。
「――よし、堅苦しいのはこの位にして。俺は、食事は楽しく美味しくがモットーなんですよ」
「私と貴方は初対面よね……?」
「えっ、うん。そうですね?」
着座後、整えたばかりの服装をさっさと着崩し、レイヴンがきょとんとした顔で私の疑問を肯定する。
出会いから三度目の相対だが、今のところは彼のペースに飲まれっぱなしである。
なんとかして軌道修正をしたいところだが、何を言っても成功の気配はない。
今まで身近にいなかったタイプであるため、対応策に検討がつかない。
そんなふうに身構えて始まったブランチだが、食事中は当たり障りのない軽い雑談に終始した。
流石は外交官といったところか、レイヴンはまだ学生である私よりも、よっぽど社交界に詳しいのだ。
これから流行りそうな事柄や、ちょっとした楽しいだけの噂話。
私も現状の学園内についての小ネタを提供してみれば、レイヴンには喜ばれた。
なお、彼が在籍していた頃の学園裏庭の池は、鯉が大繁殖して大変なことになっていたらしい。
もしかしたら、ルフィカさんが落ちたと主張する池のことかもしれず、本当に池に落ちていたのなら彼女は大量の鯉に揉まれた可能性がある。お気の毒に。
そんな会話を楽しんだ後に食後茶が供され、レイヴンが改まった態度で口を開いた。
「……貴女には、俺のお人形さんになって欲しいんです」
「今何と?」
無作法であるにも関わらず、思わず食い気味に聞き返してしまった私は、何も悪くないと思う。