猛るサムエイム
リリーの事情を聞き終えてチッチのもとへ向かうファムとサムだが、既にどうすれば良いのかわからなくなっていた。
「ファムは街に行きたいと思う?」
サムの問にファムは首を振った。とんでもないことだった。ファムはみんなと一緒にこの集落で過ごしたいと思っていた。
「でも、この間やった犬耳占いで、ファムは街犬になるって結果になっていたよね?」
犬耳占いとは犬耳族の若者の間で流行っている占いだ。耳の形から未来を占うのである。真偽は不明だが、伝説の英雄オキタ・ソウジが犬耳族のために書き残したものと言われ、よく当たると噂されていた。
サムとニックは村犬になるという結果がでていた。だけど、ファムはニックこそ街犬になることを望んでいるような気がしていた。ニックはファムとサムを隊員にして村の周囲を探検する遊びが好きだ。事あるごとに連れ出された。
「サムこそ、ニックが街に行くといったらどうするの?」
「えーっ、ニックは絶対に街にいかないと思う」
サムが答えた。二人に自覚はないようだが、ファムはサムとニックは惹かれ合っている事に気がついていた。
それは、嬉しいことだと思っていたが、仲間外れにされているような気分になって、寂しい気持ちになるときもあった。
ファムにとって、そもそも人を好きなるということが分からなかった。夜ごと父親が枕元で語ってくれるフェアリーテイルにも大恋愛の物語があった。愛し合った者同士が結婚するというのはわかる。だけど、何故、人は人を好きになるのかということについて、知ることは出来なかった。サムとニックについてもそうだ。二人が惹かれ合っているのはなんとなくわかる。でも、何故、惹かれ合っているのかはわからない。
チッチの家に近づくと、木の棒で素振りをしているチッチの姿を見かけた。チッチはファムたちの姿に気がつくと素振りを止めて、彼女らに片手をあげて挨拶をした。
リリーと同じ白い毛の犬耳をしている。リリーとチッチは遠い親戚関係であった。犬耳族の子供は母親の犬耳を受け継ぐ。しかし、ときにして例外があり、両親の両方の特徴をもった犬耳の子どもが生まれることがある。ミックスと呼ばれ、希少種として非常に尊敬されていた。シュンの集落の長老がミックスであるが、帝国を超えた西の王国からも彼の姿を見るために訪れる者がいるほどだ。
チッチはファムが裁定者となっている事を知っていた。村役が既に知らせていた。
周囲には誰もいないようなので、その場で聞き取りを始めた。
「チッチはいつ街に行くの?」サムが問いかけた。
「これから冬になる。冬の間は集落で過ごす。春になったら街へ行くつもりだ」
「リリーが行かないといっても?」
チッチが硬い表情になって頷いた。
「分かれて過ごすことになっても、一年間、街で暮らして大丈夫なら、リリーを迎えに戻る」
「リリーはシュンと結婚するといっているけど?」
チッチが唇を噛みしめる。辛そうな表情へと変化した。
「俺が決めたことをリリーが止められないように、リリーが決めたことを俺が止めることは……」
彼が言いよどむ。チッチは意固地になっているとファムは思った。どうして素直な気持ちを伝え合うことができないのだろう。
「ちなみに、街に行ったら何をするの?」
「……冒険者だ。実はおかげ犬の時に教会で犬剣士の職業についた」
チッチの言葉にファムとサムは顔を見合わせる。
「それって、リリーが街に行ったとしても一緒に暮らせないんじゃ……」
リリーがためらう理由がわかったような気がした。チッチについて街へいくとしても彼が冒険に出てしまえば、リリーは街の中で一人きりになってしまう。集落の中での生活しか知らないファムとサムにとって、一人きりになると言うことは恐怖でしかなかった。
しかし、リリーをそうさせてでも、チッチは街に行きたいということだ。
ちなみにではあるが、集落は自由恋愛が基本で結婚相手も本人同士が決める。両親たちは勝手に盛り上がって子供の婚約者を勢いで決めてしまうことが多い。しかし、それに従う子供はいない。親もその場のノリで決めたことなので気にしていないし、いつの間にか覚えきれないほどの婚約を決められている場合も多いからだ。
「腕輪を、浅葱色の腕輪を見せて下さい」
ファムが始めてチッチに話しかけた。チッチは頷くと腕をまくり上げた。
それは質素な金属製の腕輪だった。そして小さな浅葱色の石がはめられていた。ファムとサムはその石を見て息を飲む。夏に宝石商が集落を訪れて光り輝く宝石を見せてくれたことがあった。小さな浅葱色の石の輝きは、宝石商が見せた石の輝きに叶うものではなかった。だけど、ファムたちにはどんな宝石よりもまばゆく美しく見えた。ファムはわかった。チッチは決めてしまったのだ。浅葱色の輝きが指し示す方向へ歩き始めているのだ。誰がなんと言おうと止められないだろう。
気がつけばファムは鳥肌が立った腕をさすっていた。
チッチは照れ笑いを浮かべながら、腕輪を隠した。
「最後の質問。いいかな?」
サムの言葉にチッチが頷く。
「チッチはエッチのときに、その腕輪をリリーにみせたの?」
彼女の質問にチッチの表情から感情のゆらぎが消えた。
「リリーが、彼女がそういったのか?」
静かな口調でチッチが尋ねた。
「しゅひぎむ? リリーの秘密については答えられない」
サムが答えた。
「いや、俺たちは……」「キャー、チッチのエッチ!」
チッチが答えようとしたが、サムは耳を塞ぎ、悲鳴をあげて逃げ出してしまった。ファムも同じように悲鳴をあげてサムを追いかけた。
シュンの住む集落までは、太陽の傾きがはっきりと分かるほどの時間がかかる。
馬車などが通れる道ではなく、獣道のような細い道を辿っていく必要があった。
ファムとサムは急ぎ足で道を歩いた。周囲は木々に覆われていて、不意に魔物や猛獣が姿を現しそうである。二人で歩くのは心細かった。ニックにいて欲しいと思ったが、彼は独房の中だ。
「逃げてきちゃったけど、大丈夫かな?」
ファムが呟いた。
「だって、チッチがエッチなことを言おうとしたんだもん」
サムが頬を膨らまし口を尖らす。それを言わせたのはサムだというツッコミをする者は不在だった。
「多分だけど、チッチはリリーとエッチをしていないと言おうとしていたと思う」
ファムの言葉に、サムの足がピタリと止まった。
「どういうこと? リリーが私達に嘘をついたということ?」
「もしくはチッチが嘘をつこうとしたか。でも、チッチが嘘を言おうとする感じはなかった」
サムがファムの顔を覗き込む。
「ファムがそう言うのだったら、そうなんでしょうね。多分。でもそうすると、嘘を言ったのはリリーになる。一体どうして?」
サムが顎に人差し指をあてて、首をかしげる。
リリーが嘘をつくことに何か理由があるようには思えなかった。ファムも同じように首をかしげた。しかし、いくら考えてもリリーの気持ちは分からなかった。
「とにかく、もう少しでシュンの集落だ。急ごう」
シュンの住む集落もファムの住む集落と同じく木の柵に囲まれている。集落の規模も同じくらいだった。
集落の入り口には、二人の筋肉質な男が立っていた。二人は双子のようにそっくりで、出で立ちも同じだった。スキンヘッドにピンと立つ尖った耳、黒いなめし革の肌にピタリと吸い付くようなピチピチのズボンに腕の部分が力任せに取り払われたチョッキ。寒くないのだろうか。そして棘のついた肩パッド。極めつけは鉄の釘が何本も突き刺さった木の棒だった。
「ひゃああああっはあああっ! よぉく来やがったな。ガキども! おめぇたちが、のこのこやって来るのは遠くからみえていたぜぇっ!」
体を震わせながら、男の一人が中指をたてた。
サムが涙目になってファムの後ろに隠れ、ヒクついた。ファムも隠れたかったが、勇気を出してサムをかばうように手を広げた。
「でぇえ? 今日は、何をしにきやがったんだぁああ?」
男が荒々しい声をあげて言った。ファムは恐怖で逃げ出しそうになったが、踏ん張って堪えた。
「わ、私は裁定者です。シュンの話を聞きに来ました」
「はああああん? その件かぁ、聞いているぜぇ。歓迎するぜぇ! 野郎ども、火炙りの準備だあ!」
男が叫んだ。道を空けられた。スキンヘッドの二人に連れられて集落の中へ連れて行かれた。ファムとサムは生きた心地がしなかった。リリーはこんな恐ろしい者たちがいる村に本当に来ていたのだろうか。
「あ、あの、迷惑なようなので、すぐに帰ります。でも、少しだけシュンと話をさせてください」
ファムが半泣きになって言った。
「なぁに言ってやがるんだあ? 子供は遠慮しちゃあいけねぇ。ちゃあんと、ついて来るんだ」
ファムたちが連れて行かれたところは、広場だった。中央には薪が高く組み上げられていた。ファムたちはそれをみて震え上がった。自分たちがそこに投げ入れられて丸焼きにされるのだと思った。
二人は逃げ出したが、すぐに首根っこを掴まれた。
「どおぉこに行こうてんだぁああ?」
「ひいいいっ」
ファムたちが必死になってもがいていると、騒ぎを聞きつけた村人たちが集まってきた。
村人は、ファムの村の人達と同じような格好をしていた。一人の年配の男が歩み寄ってきて二人組のスキンヘッドの男の頭を殴った。
「子どもたちを脅すんじゃない!」男が言った。
「へ、へぇ、すみません。二人の反応が面白くてつい……」
スキンヘッドの二人組がファムたちに頭を下げた。
「すまなかった。今から肉を焼いてお前たちを歓迎する。今日はスペアリブだ。お前たちがこの村に来たことを知らせる者をお前たちの村に行かせた。遅くなっても、俺たちが送って行くから安心してくれ。ギャハハハハッ!」
送ってくれると言う言葉を聞いてファムは余計に不安になったが、頷いて返事をした。
「崖の上からフライングディスクを投げて、二人に取りに行かせてやるんだから」
ファムの後ろに隠れているサムが、誰にも聞かれないように呟いた。
夜になった。広場では篝火が焚かれ、パチパチと音を立てるたび、火の粉が夜空へと舞い上がった。
ファムとサムはシュンの村の者たちから大歓迎の歓待をうけた。宴会が開かれ、スペアリブをご馳走になった。その甘じょっぱい味付けと肉の旨さがやみつきなって、口元が油でべとべとになるまで頬張った。他には「たまごふわふわ」も出された。これは伝説の英雄であるオキタ・ソウジが犬耳族に伝えたという料理で、彼自身が好んで食べたという。卵を泡立てて土鍋で焼いたもので、各家庭によって微妙に作り方や味付けが異なった。ファムの集落でも盛んに作られており、彼女にとっては母親の作ったたまごふわふわが一番だった。過去にはどの家庭のたまごふわふわが一番美味しいかという論争になり、品評会が行われたこともある。住民総出で投票が行われたが、皆が皆、自分の家の味に投票した。結果、13人家族の家のたまごふわふわが一番となった。ファムの村で起こった唯一の争いとして記録が残っている。
宴会が盛り上がる頃には、スキンヘッドの二人組みともすっかりと仲良くなっていた。男たちはただただ野蛮で口と態度が悪いだけだった。
ファムは彼らが自分たちの飲むアイランに何かを注いでいることに気がついた。
「これは、蜂蜜酒だ。こうやって加えて飲むと、うめぇんだ」
スキンヘッドの男が得意げに蜂蜜酒入りのアイランを飲み干したあと、「ハァーッ」とうまそうに息をつくのでファムも味が気になった。
「私も一口、飲んでみたいです」
「ヒャッハー、お前はいける口かぁ? でも子供だから少しだけだぞ?」
スキンヘッドの男がファムのアイランに蜂蜜酒を少しだけ注いでくれた。ファムはそれを飲んでみた。
「こっ、これは、とても、なんというか、ふわふわの気分になります」
顔がほてり、体がぽかぽかと暖かくなる。
「ファムだけズルい! 私も、私もっ」
サムはスキンヘッドから蜂蜜酒の入った瓶を奪うと、自分のアイランにどぼどぼと注いだ。そして、スキンヘッドが止める間も無く一気に飲み干した。
「喉が焼ける……、ヒック!」
サムは顔を真赤にしてしゃっくりをした。目が座っている。そして、バタンと派手な音をたてて机に突っ伏してしまった。スキンヘッドの二人が心配そうな眼差しを彼女に向けた。
ファムも心配になって彼女の背中を撫でた。すると、サムは突然立ち上がった。
「ヒャアアアアーッ、野郎ども! 最高にいい気分だぜぇ!」
彼女が叫ぶと、村人たちが一斉に遠吠えをした。ファムとサムも気持ちが高揚して遠吠えに加わった。そうしていると、サムは再び机に突っ伏して眠ってしまった。
彼女をどうやって集落に連れて帰ろうかと悩んでいると、一人の青年がやってきた。リリーと同じ真っ白のふわふわの耳を持っていた。中性的で、優しそうな眼差しだった。
「えっと……」
サムを起こすのを手伝ってくれるのだろうか。ファムがそう考えていると、青年は困ったように微笑んだ。
「僕がシュンだけど……」
ファムは自分たちがこの村に来た目的を完全に忘れていた。
ファムの集落へ戻る夜道である。
スキンヘッドの男たちに挟まれて、ランタンの小さな灯りを頼りに進む。サムはシュンの背中で幸せそうに眠っている。
昼間の暖かさが嘘のように冷え込んできている。強い風が吹いていた。
冷気を吸った空気はどこまでも冴え、夜空に散りばめられた星たちはちらちらと輝いていた。
ファムは空を見上げて一つの星を見た。他の星の輝きに比べたら、昏く頼りない小さな輝きだ。しかし、その星は浅葱色の光を放っていた。昼間のチッチの腕輪についていた石の輝きと重なる。
あの輝きが忘れられない。私にも心に決める人と出会う日が来るのだろうか。
集落を出て遠くへ旅立つ日が来るのだろうか。彼女の白い吐息で星が隠れた。浅葱色の星はもう見つけることが出来なかった。
「明日には雪が降るかもしれねぇ」
前を歩くスキンヘッドが呟いた。
冬が始まろうとしていた。
「僕に質問があるみたいだけど」
シュンが言った。子供とはいえ、サムを背負って歩くのは体力をつかうのだろう。彼からも白い息が漏れている。
「シュンは、リリーの事が好きなのですか?」
ファムは今日の出来事に混乱していて、何を聞いていいのかよく分からなくなっていた。一番重要だと思うことを聞いておく。
シュンはその質問を答えるのにしばらく時間がかかった。
「僕はリリーが好きだ」
そう答える彼の表情は暗闇に紛れており確認することができないが、しっかりと断定する口調だった。
ほかの質問はなかった。ファムは困ってしまった。こういう時にどうしてサムは眠ってしまっているのか。
「どうしたら、私は人を好きになるのでしょうか?」
考え込んだ挙げ句、自分のことを聞いてしまった。
「……それは、難しい質問だな。僕は、君の、いやファムの事をよく知らない」
「シュンも最初はリリーの事をよく知らなかったのではないでしょうか?」
「そうだね……、困ったな……」
シュンも黙ってしまった。そのとき、先頭を歩くスキンヘッドが振り向いた。
「そんなの簡単だぜ。お前はお父さんとお母さんが好きだろぉ?」
スキンヘッドの言葉にファムは頷いた。
「いつからだ? 答えてみやがれ」
ファムは彼の質問に答えることが出来なかった。二人のことは大好きだが、明確な始まりを思い起こすことが出来ない。
その時、シュンの背中でサムが動いた。
「ううん……」
彼女はまだ眠り続けているようだ。考えてみればサムもそうだった。
サムの事を思う。彼女とはたくさん遊んで、少しだけ喧嘩をした。そこには、たくさんの好きと少しの嫌いがあった。その思いには始まりはなく、そして、終わりもなかった。ただ、彼女が好きという思いだけだった。
これから先、何があっても今までと同じで、サムは大好きな一番の友だちだ。
そんなサムがシュンの背中で寝言を言った。
「しゅんは……、シュンは、リリーと……エッチをしたの……?」
そういった後、彼女の呼吸は規則正しいものへと変わった。
「エロガキめ」スキンヘッドが言った。
「した」シュンがスキンヘッドの声に紛れるように小さな声で答えた。