10話 契り結び
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どれぐらい、腕の中で紺を抱きしめて泣いていたのかはわからない。
ただ、冷たい声で我に返った時にはもう、その体から熱が失われていた。
「ああ、本当に愚かな子……やはりこの子は……【紺】でしかなかった。初めまして、紅葉姫。いいえ、円 瑠花。いつもそばにいた彼を喪った気持ちはどうかしら?」
くすくすと女が嗤う。
「……何故、人の死を見て笑える?」
「だって、可笑しいでしょう?銀杏の時と全く同じ死に方なんだもの。大切な人を守るために、心臓を自ら貫く……自己犠牲が服を着て歩いているような男らしいわ。そのあと残された者の気持ちも考えずに、自分より強い相手に抗って……こうして無様に死んだのよ?」
「……死者を……紺を侮辱するなっ!」
素早く刀を一閃するが、
「……心の乱れがよく出ているわね」
女の鉄扇に受け止められ、刀を弾き飛ばされる。
「……大切な人を失えば、本来人もゆらもあやかしも……正気ではいられないさ」
会話で無理矢理隙を作り、刀を取り戻す。
「……それを涼しい顔は愚か、笑って見ている人間に……負けてたまるか!」
定まらない軌道のままで、闇雲に刀を振った。
意味がないと言われても、体が動いていた。
そうしなければ、壊れてしまう。紺がもういないという事実に打ちひしがれるしかない。
「……もう終わりにするわ。前世で銀杏を変え、巫女の身でありながらあの子と体まで繋げた淫らな贄姫……黄泉で結ばれなさい。その愚かな失敗作とともに!」
無数の緋色の結晶が瑠花の頭上に現れる。直撃すれば命はないだろう。
「終わらせないさ……お前だけは……【紺】を侮辱したお前だけは!絶対に許さない!」
刀を構えた。激しくうねる感情を水に変えて纏わせる。
「緋晶沙雨!」
「金紅石……力を!水鏡刃っ!」
無数に降り注ぐ結晶と水の刃が激突し、その欠片がそれぞれの肌を裂く。
だが瑠花は流れる血すら刃に変えて女に今できる全てをぶつける。
「くっ!」
女の衣服と網タイツが裂かれ、白い肌に、赤が咲く。
「……ここは退くわ。どのみち貴方、もうボロボロだもの。お似合いよ。ボロボロの羽の蝶と、血に塗れた人魚。化け物同士で仲良く眠りなさい」
捨て台詞を残して女は去った。
「仇は取ったぞ、紺……」
瑠花は力なく紺の側に膝をつく。
「……気づくのが遅すぎたな。私はいつもこうだ。だからこうして紺を喪ってしまった……」
頬に触れても、冷たいだけ。
「……臙脂も、紺もいなくなってしまった……そして、私もそろそろ限界だろう……」
血とともに体温が喪われていく。加えてほぼ暴走状態で石妖同化まで行ってしまった。その代償は大きい。
だが、どうしても抑えられなかった。
紺を侮辱されるのに耐えきれなかった。
同時に自分の愚かさにも耐えきれなかった。
「……ああ、だけどこれでずっと一緒だな、紺。私も、愛しているよーー」
切れて血が滲む唇のまま、最期に紺に口付ける。
そしてそのまま、意識を手放した。
瑠花は、まだこの時知らなかった。自らが何のゆらであり、その血にどんな力があるのかを。
――
「……あ……れ……?」
少しして、紺はその目を再び開いた。
間違いなく心臓を貫いたはずの刀による傷もない。
「間違いなく……俺はあの時に一度死んだはずなのに……?」
「……瑠花さんの力だよ。紺くん。君の体にはもう古傷すらないはずだ」
「……あなたは?」
銀色の髪の男はそっと睫毛を伏せる。
「ハルアキ、とだけ。それよりも急いだ方がいい。紺くん、君は瑠花さんを愛しているかい?」
「もちろんです。だけど、瑠花がどう思っているかは……聞けなかったから……」
紺は傷だらけでぐったりしている瑠花を抱き抱える。まだ、温かい。
「……これは本来なら瑠花さんが自分で言うべきことだけど、彼女は【人魚】のゆらだ。それも深潮くんよりも旧い血を持つ純血の人魚のゆら。その血や体液には特別な力があると……瑠璃姫さまから聞いたことがあったんだ」
――ハルアキ、念のために教えておくよ。僕には……ああ、もうこの一人称はクセのようなものだと思って欲しい。【人魚】の血が流れている。だからこそこうしてこの世界を少しだけ【鎮める】ことができているのだけど。ここからが本題。僕の血にも……僕と藤真の子である瑠花にも特別な力がある。本当に愛した相手に対して、長命な人魚の生でたった一度だけだけど。体液や血を与えることで、相手を死の淵から呼び戻せるんだ。そしてそのあと繋がって【人魚の鱗】を残すことで儀式が完成する。もっとも、この行為を行えば、相手を自分と同じ【人魚】に変えてしまうけど……それでも僕は、藤真に生きて欲しかったんだ――
「じゃあ……こうして俺が生き返ったのは」
「無意識か、本能か。彼女は血を与え、その血を君が飲み込んだ。そして瑠花さんの想いに従って、君は生き返ったのさ。紺くん」
「……瑠花。君は俺を選んでくれたんだね。銀杏ではなく、【紺】を」
紺は何かを決意したように頷くと、瑠花の体を抱え上げる。
「そう、君も彼女を選ぶんだね。心から祝福しよう。彼女の傷は塞いでおくよ」
ハルアキが小さく呪文を唱えると瑠花の傷は塞がった。
「……こ……ん……」
そしておぼろげながら意識を取り戻す。
「……ハルアキさん。臙脂を頼みます。俺は……ここで……瑠花を……」
顔を赤くしながら告げる紺を見て、ハルアキは優しく笑う。
「……若いねえ。臙脂くんは任せなさい。ひどい傷ではあるが、急所は外れている。では、ごゆっくりと」
――
雨が降っている。
静かな優しい雨音を聞きながら、紺は瑠花の体を畳にそっと横たえた。
「……ねえ、瑠花。本当に俺でいいの?ハルアキさんにはああ言ったけど……今ならまだ引き返せるよ?」
「……紺こそいいのか……?私は……人魚のゆらだ。……私と融けあえば、お前も人魚の血を引くことになる。ともに同じだが……長い時を生きなければならない……」
いつもより弱々しい声で、真剣に瑠花は問う。
「……聞かなくてもわかるよね?そして瑠花の答えもわかってる」
「あ……」
優しく落とされた口づけに、瑠花が答える。
ふたりの肌が少しずつ熱を帯びていく。
「……温かいな。……冷たく……ない……ちゃんと……生きてるんだな……」
瑠花の頬を一筋の涙が伝う。
「うん、ここにいる。そして、俺は瑠花を選ぶ。ああ、やっと……やっとこう言える。【紺】になれて、君に選ばれた今だから言える……ずっと、そばにいる。もう、どこにも行かない……!」
「ああ、約束してくれ。代わりに全てを捧げよう。長い人魚のゆらとしての命も、女としての純潔も、そして私の思いも……愛しているよ、紺」
黒髪が床に散り、柔らかな熱にふたりは融けていく。
(紺、あの日……あの幸石堂で、私が選んだのは……夜に舞う蝶の色の石だったんだよ)
思えば――あの時からもう心は決まっていた。
(蛹は蝶になる前に一度どろどろに溶けてしまうって聞いた事がある)
ああ、俺は一度死んで、蛹みたいにどろどろに溶けて……そして新しく生まれ変わるんだ。【銀杏】ではなく、正真正銘の【紺】として。
優しい雨は音を消す。ようやく結ばれた恋人たちを、ほんのひととき、世界から守るように。
――
「臙脂!」
市内に戻ったハルアキが真っ先にコンタクトを取ったのは青磁だった。
今、彼はハルアキの隠れ家のひとつでぐったりしている臙脂と対面していた。
体はまだ温かいが、息は荒い。もうあまり時間がないことは明らかだった。
「……青磁くん。本当にいいんだね?」
「……はい。借りたものは返さなきゃ。そもそも借りっぱなしは気分が悪いから嫌だよ、オレ。だから、返すね。もうオレ、戦えなくなるけど……臙脂は強いから大丈夫」
青磁がそっと臙脂の体を起こす。
「……前世であんなオレを愛してくれてありがとう。ハゼ。あんたの生命の炎、返すよ」
青磁はそう言うと、臙脂に口づける。
(うっ……あ……っ!)
青磁の中に宿っていた生命の炎が本来の持ち主である臙脂の元へ還っていく。
(でも、これでいいんだよ。オレは本来病弱で、こんなに動き回れること自体が奇跡だったんだから。あんたは、強い。みんなを……頼むよ……)
「青磁くん!」
気を失った青磁とは対照的に、臙脂の呼吸は落ち着きを取り戻す。
ハルアキはぐったりとした青磁を抱き抱えて、ある場所へ向かった。
――
「……そうか。それを青磁は選んだんだな」
ハルアキが向かったのは、今出川長春の住むアパートの一室だった。
長春は気を失った青磁をそっと抱き上げて、ベッドに横たえる。
「……長春くん。いや、精霊界の大魔術師マーリン。確かに君なら……彼を救えるだろう。でも、君の力がバレれば、あんまり平穏な暮らしは望めなくなるよ。それでも彼を助けるかい?」
「……約束したんだよ。昔。いつかふたりで海を見に行こうって。……まあ正直男だったのは初恋だったからちょっとショックだけどさ、俺は約束は破らない」
「そうですねえ。ご主人さんはそういう人です。不器用で真っ直ぐでとても一途な人。それに、青磁さんに消えられるのは世界の運命的にもよろしくないんですよね。というわけでハルアキさんはお引き取りください。これから色々準備があるので」
「はいはい。では任せよう」
ハルアキが立ち去ったのを見たモリオンは扉に鍵をかける。
「さて、ご主人さん。……さくっとやっちゃいましょう。モリオンは浴槽に石を沈めて準備をします」
「あ、ああ……」
モリオンがいなくなったのを確認してから、長春は震える指で青磁のシャツのボタンを外した。これは助けるのに必要な行為であり、他意はない。
「……先に治癒をかけよう」
ぐちゃぐちゃに巻かれた包帯を取り除き、傷口を塞ぐ。
このぐらいは大魔導師の転生である長春には造作もない。
「白くて、綺麗な肌だな……」
彼は初めて青磁の肌を間近で見た。だが、先ほどまでこの肌には無数の傷が刻まれていたのだ。
「……あんまり無茶して欲しくはないけど、青磁はきっと戦う道を選ぶだろう。だから、ちょっとは年長者にかっこつけさせてくれよ」
服を取り去った青磁を、鉱石で満たした浴槽に沈める。水深は体が浸かる程度。
「……モリオン。俺も戦うことを選ぶ。だから、封印を解いてくれ」
「承知しました。では体の力を抜いてくださいね?」
モリオンの姿が羽を持った黒髪の長髪の男へと変化する。
ワタリガラス。これが本来のモリオンの姿。
「それでは、失礼いたします」
モリオンは長春に口づけ、そのまま鉱石のかけらを飲み込ませた。
「……ああ……体が熱い……」
「貴方の本来の力をマーリナイトという鉱物の形で結晶化させたものですからすぐ馴染むでしょう。ああ、やはりその銀灰の髪こそが貴方にはお似合いです」
「どうも。褒めても何も出ないぞ。……さて、もう少しだけ頑張ってくれ青磁」
長春が静かに手をかざし、古い呪文を唱える。
「汝、天河石の加護を受ける者に我が血の下に命ずる」
指を噛み切って、血を一滴。途端に浴槽の中の天河石がとろりと溶けて、青磁の体を包み込む。
「我が血に宿るマナと石に宿る石素を受け入れよ」
溶けた天河石が青緑の光になって、青磁の体に吸い込まれていく。
「そして目覚めて、望む道を行け。我が約束と加護をその身に刻む!」
青磁の胸元に天河石とマーリナイトが結晶化し、儀式は終わった。
浴槽を湯で満たし、冷えた体を温めてやる。
「……ふう」
「お疲れ様でしたご主人さん。これでもう青磁さんは大丈夫ですよ」
――
長春はベッドですやすやと寝息を立てる青磁を見ていた。
「はー……まさか男だったとは思わなかったけどさ。約束は有効だから。全部終わったら海を見に行こうな」
「……なるほど。あの時に会ってたんだ」
「青磁?目が覚めたのか」
「まあね。なんで裸なのかと胸元に石があるのかは聞かないでおくよ。長春は見ず知らずのオレに海を見に行こうなんて約束するぐらいのお人好しだし。……助けてくれたんでしょ?髪の色銀色になってまで」
青磁は上半身だけ起こして長春の髪に触れる。
「……良かった。ちゃんと目覚めてくれて……よかった」
「ちょ、ちょっと……まあ、気持ちもわかるから、いいよ」
青磁の細い体を抱きしめる長春を、彼は優しい瞳で見つめていた。
「……行こうね、海。年は離れてるけど、長春は初めての友達だったから」
「ああ。約束は守るよ。そして俺も戦う。今回の一連の事件の相手には団結しないと立ち向かえない。詳しいことは【ある場所】で桜導、響華粋月、そしてシルーディア、リア・クロスに集まってもらって話す手筈になっている。まあ、今日は休め。あの雨の後に戦闘で、桜導のメンバーはもうくたくたなはずだ」
「うん……じゃあ、ちょっと甘えるね……」
青磁はそう言うと寝息を立て始めた。長春はそのままそっと彼をベッドに寝かせる。
「……いよいよ、か」
聞こえないようにそう呟いて長春は台所へ向かい、3人分のカレーライスを作り始めた。




