9話 最果ての蝶
──
空が泣いていた。
地面に散らばるのは仲間たちの亡骸。地面を覆い尽くす、緋色。
「鬼」の末路。
体に鉱石の角を持つ者を、この世界では「鬼」と呼んだ。
人とは違う見た目によって恐れられ、ある時は美しい鉱石角を目当てに狩られた。
私はそれが許せなくて、「鬼」を率いて、「奪う者」と戦ってきた。
だが、その度に仲間は減っていき、その事実はやがて心を折った。
抗うことでは何も守れなかった「鬼」は、最期に全てを受け入れた。
里のわずかな民が別の世界へと逃れられるように。
その男──夜峰竜胆は、最後の鬼の長である銀杏を徹底的に弄び、穢しつくし最期に鉱石角を折り取った。
「鬼」は無力に散ったが、その口元は微笑んでいた。
里にはもう鬼の気配はなく、異界への門も閉ざされた。
抗い続けてきた「鬼」は、全てを受け入れることで今度こそ守ることが出来たから。
痛みも苦しみも、これまで積み上げてきた犠牲への罰だ。
──
だから、抗ってはならない。受け入れることで、俺だけが苦しんでそれだけで済むのならそれでいい。……大切な人を守れるのなら、それでいい……
───
「鬼」は知らない。
愛しい弟「蘇芳」の末路も、鉱石角と自らの死体からやがて生まれた「銀杏」の末路も、「最果ての蝶」を待つものも。
あの狂った男を受け入れた結果、歪み切ってしまった者たちを。
──本当は、何ひとつとして守れなかったという事実を。
──
「……」
研究所の培養層の中、半鬼は紅と紺の瞳を開いた。
(……何故こんなところにいる?雨に濡れておかしくなって……それから?)
記憶が欠落していて、うまく繋がらない。
とにかく、こんなところからは出なければいけない。
早く、ここから出て……殺さなければ。
今度こそ全てに抗うのだ。
受け入れたからうまくいかないのであれば、この力を使って壊してしまえばいい。
そして今度こそ大切な人を守るのだ。
大切な、人?誰だ?
自らの思考に首を傾げる。
そんな存在などいないはずなのに、なり損ないの「半鬼」を受け入れたものなどいたのだろうか?
(いるよ。俺が護りたい……たったひとり……)
「ようやく目覚めたのね、紺──いいえ【銀杏】。美しき孤高なる鬼の長。今培養層からお出しします」
「……」
一糸纏わぬ姿で、培養層から降りた。見慣れない建物。見慣れない絡繰。
見慣れた魂の色。闇より深い、淀んだ黒。
「……お前は夜峰竜胆か。……また私を穢すか?もっとも、もう好き勝手に弄ばれてやるつもりもないが」
「ああ、昔と違う冷たい瞳も素敵ですわ。ですが今の私にはエクリプスはんがいますので。……ところで、あなたはあなたの体があのあとどうなったのかを知りたくないですか?」
竜胆が目を細める。ここはあえて話を聞いてやることにする。
「聞いてやる。手短に話せ」
「では。竜胆は鬼の里を潰すという目的を果たしたのち、あなたの体を自らの屋敷に持ち帰り──鉱石人形【ホムンクルス】に仕立てあげました。仕方ないのです。あなたの体はあまりに美しく、あのまま朽ちていくのがあまりにも惜しい手駒でしたから。竜胆は自らの体液を混ぜて従順な手駒を作り上げたのですが、やがて彼は恋をして、あろうことか巫女であった女と交わり、逃走し──最期に私がこの手で殺しました。もっとも返しの刃で竜胆も死にましたけど」
「……なるほど、その【銀杏】は【抗った】のか。私の性質を持つのに、愚かにも。だが、何故抗った?唆したのは誰だ?」
その言葉を待っていたとばかりに、竜胆は──黒橡は微笑う。
「それはもちろんその巫女と逃走先の隠れ里の長である炎竜でございます。現世の名を【円 瑠花】、そして【錦 臙脂】。あ、私のことは黒橡とお呼びくださいませ、【銀杏】様」
──
声が、聞こえる。
これはきっと欠落した記憶の一部だ。
「とりあえずこの4体にも融石魔術を行う。輪竜実験については成功体が一体。今はある研究者に預けてあるので、成功不成功は問わない。失敗したなら【外】に廃棄するか、研究所職員の玩具にでもすればいい」
研究所のベッドの上で眠るのは4人の少年たち。
漆黒の髪、金糸雀の髪の色を持つ双子、そして火のような赤。
「あの女が執心している銀杏の魂には、炎竜のマナが混ざっている。だからまずはそこを切り離せるだけ切り離す。その赤い髪の子どもでいい、やれ」
ふわり。
緋色の結晶の赤が薄くなり、赤い光が少年の体に吸い込まれる。
ふたつめの赤い光は、黒髪の少年の中へ消える。
続いて金の光が金糸雀の髪の少年ふたりに吸い込まれる。
役目を終えたように、緋色の結晶は砕けた。
「あとは経過観察だが……やはり混ざったマナを切り離すのは難しいか。……実験体4番の赤髪の子どもは山奥の小屋へ運べ」
ああ、そういうことか。
俺は前世で薊を選んだ。だけど、銀杏にも助けるために炎を与えていた。
だから、紺に惹かれたし、やがて巡り合ったのか。
……だけど、今の紺は生命の炎を喪っている。それはつまり──
──
青い蝶が舞う水面に、紺が立っている。
「……臙脂。君になら、欠片の魂の声でも届くと思った。……目が覚めてしまったから、【銀杏】が故郷へ瑠花と君を呼ぶと思う。
もしそうなったら迷わず俺を殺して。俺の魂ごと、終わらせて」
蝶が舞う。世界を分つように。
「待て!俺は……俺はもう目の前でお前を失うなんて──」
紺はひどく寂しげに微笑んで、
「ごめんね。意識が戻ったら……なるべく決着は自分でつける……か……ら……」
世界が、砕けた。
──
「……紺……お前はどうあってももうその終わりを変える気はないのかよ……」
ベッドに拳を叩きつける。
「そして俺はまた……仲間ひとりすら……守れないのか……」
どうして。どうして俺は喪うのか。このままではいつかナノカも喪うのだろうか。
「……臙脂。行ってください。紺さんの魂は確かにもうボロボロですけど……諦めないのが臙脂でしょう?どんな結末になるとしても、きっと後悔するよりはいいですから」
「ナノカ」
「……私の護りの証もありますし……どうか無事で……」
「ああ」
ナノカに口付けて、アパートの部屋を後にする。
メールボックスには紺の言葉通りに、銀杏からの呼び出しが届いていた。
──
「……覚悟はいいか、瑠花」
「ああ。しかし、私は本当に……紺のことを何も知らなかったのだな」
近くの公園に出現した転移門の前で、臙脂は瑠花に紺と自らのことについて話した。意図的に隠していただろう紺には悪いが、瑠花には知る権利がある。
「……瑠花。お前は紺のことはどうなんだ?いなくなってから落ち込んでいたみたいだったが」
「……そうだな。そばにいるのが当たり前過ぎて、感覚が麻痺していた。……今は素直に、紺がいなくなることが怖いよ。昔に感じたよりももっと……」
そう、当たり前だったのだ。
あの閉ざされた屋敷で、お互いがお互いの支えになりながら生きてきた。
「……紺は、よく言ってたよ。瑠花が笑っていてくれるならそれで良いって。どんなに自分が傷ついても良いからって。だけど、もうボロボロだから、きっと最後まで一緒にいることはできないって」
「……馬鹿だ……本当に……馬鹿だ……紺がいなくなったら……私は……!」
どこかで安心できていたのは、今までいなくなっても帰ってきてくれたからだ。
だが、それが叶わないというのなら。永遠に喪われるというのなら。
「……行こう、臙脂。紺を引っ叩きたくなった」
「ああ。心配するな。……紺に勝つのは無理でも、その想いをぶつけるぐらいの隙は作ってやるよ」
──
「……初めまして。瑠花、そして臙脂。貴船の奥、私の故郷へようこそ。ここで【銀杏】は散った。よってここでは私の力は増すというわけだ」
転移門を潜った先、荒れ果てた集落の広場に【銀杏】は静かに佇んでいた。
【紺】と緋色に変わった片目を除くと全く同じ姿のままで。
「初めまして、【銀杏】さん。俺が前世で仲良かったのはあんたから作られた方の陰陽師の【銀杏】だからな。良い子だったよ。あんたとは違ってな」
臙脂が拳を構える。
「ああ、初めまして、【銀杏】……御託はいい。紺を返してもらう!」
瑠花は刀を構え、素早く斬りかかる!
「おっと。よほど【紺】は愛されていると見える」
軽い口調でそう言った銀杏は、緋色の結晶の盾で斬撃を弾いた。
「後ろがガラ空きだぜ!」
「……貫け!」
「っ!」
後方に出現した結晶の槍をすんでのところで臙脂はかわす。結晶の刃は薄く彼の甲を裂いた。
「言ったはず。ここは私が穢され、殺された地。あの男は皮肉にも優れた術者ではあった。だからこの里中に……血と体液──あの男はマナと呼んでいたが──それが染み込んでいる。そして「鬼」である「石守の民」、その上純血である銀杏の力を持ってすれば──」
「避けろ!瑠花っ!」
地面から無数の結晶の槍が現れてふたりを襲う。
「貫け……緋晶葬槍!」
──
「……臙脂……?」
「……伝えろ……瑠花……あいつに……」
言い残して臙脂はその場に倒れた。避けきれなかった結晶の槍は彼に致命傷を与えている。
「……さて、あなたを殺せば、【紺】は消えるでしょう。元々、この体は私の器として作られた。【紺】なんて人格はイレギュラーにも程があったのです」
じゃり、と砂が音を立てる。銀杏がゆっくりと近づいてくる。
「……さよなら。瑠花。そして【紺】。どのみち【紺】の魂はもう消えかけている。仲良く黄泉で結ばれなさい」
「……あ……」
瑠花の首に振り下ろされたはずの刀は、寸前に軌道を変えた。
「……させ……ないよ。……あなたと違って【紺】は……抗うことを知ったから……大切な人を……知ったから……」
「……お……まえ……」
刀が貫いたのは、【銀杏】の心臓。
「……結末は……【最果ての蝶】の俺の結末は変わらないけど……俺の勝ちだよ……」
「紺!」
崩れ落ちる紺を、瑠花が抱きとめる。銀杏の刀はすでに腐食し、砂になっていた。
「愛してるよ、瑠花」
そっと口づけが落とされて、瑠花の返事も聞かないままに、
「……ありがとう。さよなら」
腕の中で静かに紺は目を閉じた。




