第三話
ベッドから腰を上げ、自分から離れていくセドリックに思わず身を乗り出すとケイトリンは言った。
「お待ちください! 国王さまはあなたさまのお父上ではありませんか。何故、愛する息子にそのような仕打ちをするのです? 私には理解できません!」
「愛する息子?」
初めて聞く言葉のように、セドリックは首を傾げてケイトリンを見た。
「簡単な話しだ。俺は愛されていないのだよ。それだけだ。俺より優秀な代わりもいることだしな」
「代わり?」
「俺に弟がいることは知っているだろう。例え俺が死んでも誰も困らん」
「どうして……そんなふうに思うのですか」
「真実だからだ」
「違います!」
自分でも驚くほど、強い声が出た。セドリックが怪訝そうに眉を上げるが、構わずケイトリンは続けた。
「誰なのです」
「ああ、何だと?」
「一体、誰がそんな悲しいことをあなたさまに思い込ませたのですか! 」
「思い込ませた? お前、何を言っているんだ?」
「あなたさまが愛されていないなんてこと、絶対にありません!」
セドリックは、恐らく何の根拠もなく断言しているだろうケイトリンの、その必死な表情を見て黙り込んだ。
何だ、何を言っているのだ、このみっともないドジ娘は。
そう思いながらも、いくらでも浮かぶ辛辣な反論の言葉を彼女にぶつける気にはなれなかった。
言うだけ言うとむっつりと黙り込んでしまったケイトリンを、興味深くセドリックはみつめた。
「……確か、お前の家は死んだ父親のせいで落ちぶれたのだったな」
「……そうですが」
「父親が賭け事に狂い、そのせいで所有していた土地のほとんどを失った。その挙句、なじみの娼婦から性病をうつされたことが原因で死んだのだったな? そんな情けない父親をお前は恨んではいないのか」
「それは……」
ケイトリンは目を伏せた。
確かに、父親のせいで母も自分も、そしてまだ幼い弟のアレンさえも辛い思いをしている。
だけど。
「恨んではいません」
はっきりとそう言って、ケイトリンは顔を上げた。
「ひどい父親だとは思います。でも、父親なのです。たった一人の父親なのです。私がここにこうして存在できているのは父親があってこそ。父が、そして母が私を愛して育んでくれたことは真実です。だから、誰も恨みません」
澄んだ声でそう言うケイトリンに、セドリックは溜息をついた。
「そうか。お前は幸せだな。愛された記憶がある者は強いということか」
「……セドリックさまもおありになるでしょう?」
「そんな記憶はないな」
「忘れておいでなのです。思い出せばいいのです」
しばらくの沈黙の後、セドリックは静かに言った。
「確かに、母には愛されていたと思うが、何も思い出せないんだ。俺が母といた時間はあまりに短い」
「あ」
慌ててケイトリンは口を両手で押さえた。
セドリックの母、エメリア妃は彼が幼少の頃に病気で亡くなっている。現在の王妃グレイシアは国王の後妻であり、国王と彼女の間には今年十三歳になる第二王子ショーンの存在があった。グレイシア妃が実の息子を思うあまりセドリックとの関係が良好ではないということは周知の事実としてあった。
「……申し訳ありません」
「何故、謝る?」
「いえ、その……」
俯いて、もごもごと口ごもるケイトリンをしばらく観察した後、セドリックは少し笑って言った。
「お前、変わっているな」
「え? そうですか?」
「何故、俺との結婚を拒む? 俺と大人しく結婚すれば、お前の家も助かるだろうに。他の娘たちなら求婚を即時に受け入れるぞ」
「それは……確かにそうですが、結婚をそのような道具に使いたくはありません」
「馬鹿な。結婚は古今東西、立身出世の道具と決まっている」
「違います」
そこはきっぱりと否定してケイトリンは言った。
「結婚は愛がなければ成立しません。自分の命を掛けてもお守りしたい方とでないと」
「守る? 守られる、ではないのか」
「守ってもいただきます。ですが、私も守って差し上げたいのです」
「何だ、それは」
「それが愛というものです」
そう言い切ると、初めてケイトリンは笑顔を見せた。その屈託のなさに思わずセドリックはたじろぐ。
「……まったく、変な女だ」
「そうでしょうか? 私から見ればセドリックさまの方が」
「よく言う。パーティ会場にいた時は借りてきた猫のように大人しくしていたのに、今はどうだ、この俺に意見しているではないか。これが変でなくてなんだ」
「意見?」
ぽかんとケイトリンはセドリックの顔を見た。
「私が、あなたさまに意見を?」
「違うのか。散々、俺を否定したぞ」
「そんな……そんなつもりは……」
「俺がさっき軍服を脱いだ時のお前もおかしかったぞ。年頃の娘が男の裸を目の前にして、目を背けるでもなく、恥ずかしがるでもない。意外と経験豊富なのか」
「な、なんてことを!」
顔を赤くしてケイトリンは言った。
「わ、私は看護師なのです! 殿方の裸を見るたびに恥ずかしがっていたら仕事になりません!」
「看護師? 働いているのか? 落ちぶれたとはいえ貴族の娘が?」
「はい……。母の実家からいくらか助けては貰っていますが、それに甘えてばかりもいられませんから」
「面白い」
「え?」
「お前はここに置いていくつもりだったのだが、一緒に来い」
「はい?」
「今からこの牢獄のような城を脱走するのだ」
彼は大真面目にそう言うと、ベッドの下から束になったロープを取り出した。
「行くぞ」
「行くってどちらに? そのロープをどうするのですか?」
「こうするんだ」
セドリックはロープの端をベッドの足に結び付けると、窓を開け放った。そしてもう一方のロープの端を地面に向かって落とす。
「あの、まさか、そのロープを使って外に出る、などと仰いませんよね?」
「おお、察しがいいじゃないか、ドジ娘。こっちに来い」
「い、嫌です!」
速攻、ケイトリンは拒絶した。
「私の運動神経の無さをあなたさまはご存知ないから……きゃあ! 何をなさいます!」
「四の五のうるさい」
ベッドの上に乗ると、セドリックは彼女を軽く抱きかかえた。
「俺もふたりで降りるのは初めてでな。ここは五階だ。落ちたら自分の不運だと思って諦めてくれ」
「そ、そんな無責任なことを!」
「口を閉じろ。舌を噛むぞ」
彼はぐいとロープを引っ張ってその強度を確かめると、自分とケイトリンの体にしっかりと巻きつけた。
「行くぞ」
一方的にそう言うと、彼女の返事を待たずにロープを手に、するりと窓の外に出た。彼は足を使って壁を蹴りながらゆっくりと慎重に下におりて行く。
ああ、誰か助けて!
ケイトリンは心で祈りながら、セドリックの首に両手を回し、必死で抱きついた。
「セ、セドリックさま……」
「しっかり捕まっていろ」
笑いながらセドリックは言う。あまりの怖さに彼の胸に顔をうずめると、微かに汗の匂いがした。それは何故だがケイトリンの心を安心させる。
少し寒気を含んだ晩夏の夜風が、ふたりの間を優しく吹き過ぎて行った。