第八話
一瞬、冷たい静けさが場を覆ったが、誰かがひっと小さく息を呑んだ音をきっかけに、場内から一斉に非難の声があがった。
「人体実験だと! 本当にそんなことがこの国で行われていたというのか!?」
「つまり、それは……貧しい人たちの身体を利用して薬の効果を調べていたってこと?」
「なんと恐ろしい!」
「最下層の者たちだから何をしてもいいと思っているのか! 恥を知れ!」
男爵めがけて罵声が矢のように降り注いだ。
ぐっと唇を噛んで、ただその場に立ち続けることしかできない男爵だったが、不意に顔を上げると、罵声を上げ続ける傍聴席を睨みつけるように見渡した。
「……黙れ、偽善者どもが」
それは大きくはなかったが、地を這うような掠れた声には異様な迫力があり、一瞬で全員が口を閉じた。
「お前らが……お前らごときがよくもそんなことを偉そうに言えるものだな」
嫌悪と困惑がない交ぜになった表情を浮かべる傍聴席の人々に、男爵は構わず言葉を続けた。
「急に善人ぶって最下層の者どもをかばうようなことを言っているが、普段、お前たちは連中に何かしてやったことがあるのか? いつも汚いものを見るような目で……いや、それどころか存在そのものを認めてもいないだろうが。
少しでも自分より劣る者、異質な者がいれば当然のように虐げ、蔑み、排除する。貴族だ、上流階級だと偉そうな顔をして、お前らのやってきたことはそんなことばかりだ。今の今まで貧しい暮らしをしている者どものことなど考えたこともなかったくせに、それが急に正義の味方を気取り、私を非難するとは……滑稽すぎて笑うこともできん」
男爵の思わぬ反論に傍聴席の面々はお互いに顔を見合わせ、そしてすぐに気まずそうに目を背けた。そんな彼らに男爵は更に畳みかける。
「私が貧しい者たちを利用しているだと? ああ、確かにその通りだ。だが、利用して何が悪い?
私は確かに効果を知るために開発途中の薬の投与を最下層の者たちに行った。だが、それはお前たちが下世話に想像するような人体実験などではないぞ。事前に調べ、薬を受け入れる体力があるだろう者だけに投与した。そして、その後も定期的に検査を行い、体調を崩したものは医療施設に入れてきちんと面倒を見ている。そうして長年患い続けた病が改善し、助かった者も大勢いるのだ。彼らは私を神と崇めて感謝しているくらいだ」
男爵は呼吸を整えるようにそこで一旦、言葉を切ると、ゆっくり辺りを見回した。
「……私が開発している薬がどんなものか知っているか? 知るわけがないな。そもそも興味もないだろう」
ふんと鼻で笑うと男爵は言う。
「私の薬は、心の病を癒すものだ。……お前たちの身内にもいるのではないか? 繊細なばかりに心を壊してしまった悲しい人が。身分が高い家柄ほど心の重圧はひどいものだからな」
彼の言葉に心当たりがあるのか、居心地が悪そうに身じろぎする者が多数見られた。
「血筋をさかのぼって行けば、家系に一人や二人、心を病んだ者がいるだろう? そしてお前たちは、その存在を恥じて隠す。最初からいないものとして目を背ける。お前ら貴族の得意技だな」
「何を偉そうに!」
傍聴席から年配の男が一人身を乗り出すと、男爵に向かって怒鳴り始めた。
「王妃に爵位を恵んでもらっただけの、ただの成金商人が偉そうなことを言うな! お前こそ未完成の薬を貧しい者にばらまいていい気になっている偽善者ではないか! 心を病んでいる者が我らの身内にいるだと?」
男は邪悪に唇を歪めて笑うと、とどめとばかりに残酷な言葉を言い放った。
「それはお前の母親のことか?」
はっと息を呑んだのは、男爵だけではなかった。その場にいた全員が驚愕し、そして憮然として王族の席に座る王妃の顔を恐る恐る盗み見た。
コリックス男爵の母親、ということは同時にグレイシア王妃の母親ということになる。今まで彼ら姉弟の母親について言及することは禁忌とされていた。それが今、意外な形で破られたのだ。
怒りに任せ、つい発言してしまった男は一瞬、しまったという顔をしたが、もう取り返しがつかないと悟ったのか、すぐに開き直って言葉を続けた。
「お前の母親は正常ではなかったらしいが、そんな個人的な事情でおかしな薬を国中にばらまくのはやめていただきたいものだな」
「な、なんだと……!」
「ああ、それは確かにそうだ」
激高する男爵を無視して、別の貴族の男が大きく頷いて言った。
「さきほど殿下が仰っておられたが、『虹のかかる泉』の水のことにしてもそうだ。どうしてそんなありもしない水のために、一国の王子が命を懸けて危険な『黒の樹海』に探索に出なければならなかったのか。それがそんな薬のためだとすれば大問題ではないか」
「それは見方によれば、国の私物化、ではありませんか?」
「男爵の薬のために国のお金が使われていた、なんてことは……ないわよね?」
「それは……あり得るのでは……」
「そうなると、『黒の樹海』探索の件が王命だったというのもあやしくなるな」
彼らの、グレイシア王妃に向けられた畏怖の視線が、徐々に軽蔑のまなざしに変わっていった。




