告発文書 2
元の時代に戻った祐樹は疲れ切った体を奮い立たせて、横倒しになっている自転車に跨る。そしてライト兄弟宅への帰路へと着いた。
祐樹の体は重く、ペダルを漕ぐ足はなかなか進まなかった。祐樹はウィルとオービルが愛着をもって、ラングレーの話をしていた光景を思い出す。
祐樹の目から涙が零れた。ライト兄弟とラングレーの親しい間柄を壊してしまった。歴史に干渉して、自分が歴史を変えてしまった。祐樹はそう思うと涙が止まらなかった。
ライト兄弟の家へ帰ると梨奈が出迎える。ウィルとオービルは新しい飛行機の材料を買いに出掛けているという。梨奈はキャザリンに掃除の手伝いを頼まれていた。梨奈は祐樹へ陽気に話し掛ける。
「ウィルさんが祐樹のこと褒めてたよ。頭の回転も早いし、どんなことにも興味を持つ男だって」
ラングレーを告発する文書で、頭が一杯だった祐樹は、こう力なく返事をするだけだった。
「そう、なんだ」
「キャザリンさんが、掃除が終わったら、ケーキをご馳走してくれるって。祐樹も一緒にどう?」
祐樹は梨奈の誘いにも浮かない顔で、黙り込んでその場を後にする。そして祐樹は寝室に入ると、毛布を被って自分の殻に閉じこもってしまった。もうそこにしか逃げ場がないように祐樹は思っていた。
「何よ」
部屋から閉め出され、少しふてくされた梨奈の声が祐樹の耳に痛々しく響いていた。
それから数日経ったある日、祐樹は、朝から庭先でウィル、梨奈の三人と飛行機の点検をしていた。そこへ紅潮した顔のオービルが駆け寄ってくる。彼は新聞を強く握りしめている。
オービルの力のせいか、新聞はしわだらけになっていた。祐樹は「その時」が来たのを感じていた。オービルは怒りと失望がない交ぜになった表情をしている。「信じられない」といった様子だった。
「兄さん、祐樹、梨奈。この記事を見てくれ。想像出来る限り、最悪の事態が起こった」
ウィルが新聞を手にすると、祐樹達三人は記事を覗き込む。そこにはライト兄弟を批判するラングレーの論文が大きく取り上げられていた。ウィルもスパナを握り締めた右手で額を拭うと戸惑う。
「どういうことだ? これは」
「兄さん、とにかく中身を見てくれ。ラングレー教授が協力者から、俺達の敵になってしまった。今日がその分かれ目の日だ」
ウィルが開いた新聞の見出しには「世紀の大詐欺実験。ライト兄弟の捏造」とあった。
記事の中身はこうだった。
ライト兄弟から送られた飛行実験の報告には大きな過ちがあり、これでは実験は成功しない。ライト兄弟は世論を欺き、名誉欲を満たそうとしているとのことだった。
何よりもラングレーが指摘していたのは、ライト兄弟が飛行機を完成させるために使った数式だった。
それは紫紺の羽根団に祐樹が頼まれ、報告書に忍ばせた2枚の偽論文に書かれていたものと同じだった
ラングレーは、これでは飛行機は飛ばない。それは歴史が証明している、と指摘していた。
更にラングレーは、同封された「空を飛ぶ飛行機」の写真は、何らかの方法で合成されたに違いないと書き連ねていた。
ラングレーは自分の専門分野で、ライト兄弟の報告書に過ちを見つけ、批判していた。その文章からは、彼が妬みなどでそうしたのではない事が分かった。
記事を読み終えたウィルは考え込み、口元を左手で覆う。最大の理解者であり、友人だった人物が、ライト兄弟批判の急先鋒に立ったのだ。
ウィルの受けたショックは大きい。祐樹はこれからのことを考えると自然に口を閉ざしてしまった。
良く事態が飲み込めない梨奈が祐樹に訊く。
「どうなってるの? ラングレー教授ってウィルさん達を応援してた人でしょ? 『間違った数式』って?」
祐樹は静かな口調で梨奈に告げる。
「教授はウィルさんとオービルさんの報告書にミスがあると言ってるんだ。この数式では飛行機は飛ばないだろうって」
「でも実際、空を飛んだわ。祐樹も一緒に見てたでしょ?」
梨奈が祐樹の言葉に声を重ねると、オービルが考え込んで呟く。
「ラングレー教授が問題にしている数式。俺達には全く覚えがない。彼が俺達の名誉を傷つけるため、記事に使ったのか。それとも……、良く分からない。教授の真意が掴めないよ」
黙り込んでいたウィルが口を開く。
「とりあえず家に戻ろう。メディアと大衆は最後には真実に味方するはずだ。事実が明らかになるまで、無闇な反論は控えよう」
ウィルは整備していた飛行機にシートを被せる。
「新聞社の人間も大勢集まってくるはずだ。これほど大きなスキャンダルになってしまったのだから」
ライト兄弟宅へと向かいながら、祐樹の気持ちは沈んでいた。一人、事実を知っていたのに、何も言うことが出来なかったからだ。
ラングレーがライト兄弟を告発した責任は自分にある。そしてライト兄弟とラングレーの絆を壊した責任も自分にある。祐樹はそう考えていた。だが同時にこれから起こる論争を終わらせるキーパーソンになるのが自分自身であるのも祐樹は知っていた。
祐樹は、今は何ひとつ手出し出来ずに黙り込むしかなかった。祐樹は閉ざされた心に覆われながら、鍵は全て自分が握っている。そう強く感じていた。




