第一話 泥の中の覚醒
「__おい、起きろよ無能。安倍家の面汚しが」
どす、と腹に重い衝撃が走り、俺は泥の中に崩れ落ちた。
「けほっ……! カハッ、ぐっ……!」
口の中に広がるのは冷たい泥と鉄の混ざった生臭い血の味。
痛みに耐えかねて身体を丸めると、頭上から心底見下したような嘲笑が降り注ぐ。
「兄上、もうそのくらいにしてあげなよ。零は霊力ゼロの役立たずなんだからさ」
「ふん、安倍家の三男として生まれておいて、式神一つ呼び出せぬ無能め!父上もお前の顔など見たくないとおっしゃっている」
視界が血と泥で歪む。必死で腕に力を入れ、殴りかかってきた「兄」と呼ばれる少年を睨みつけようとした。__だが、身体が驚くほど小さく、力が入らない。
ドカッ、と容赦なく顔面を蹴り飛ばされ俺の意識は真っ白な闇へと落ちていった。
(……あぁ、痛い……。頭が割れそうだ……)
激痛のなかで脳内に『あり得ない量の記憶』が怒涛の勢いで押し寄せてきた。
かつて令和の日本で『天才児』ともてはやされながらも、醜い容姿ゆえに周囲から酷いイジメを受け、さらにその圧倒的な頭脳を大人たちに都合よく利用されそうになって人間不信になり引きこもってゲームの世界に逃げ込んでいた前世の記憶。
(そうだ…俺はあの頭脳をもう一度活かすため、ゲーム漬けの引きこもりの毎日を捨てて東大受験に向かう途中で……トラックに跳ねられたんだ)
そしてもう一つ。『安倍侯爵家』の三男、わずか五歳の『安倍 零』として霊力がないという理由だけで家族からゴミのように虐げられてきた幼い記憶。
(……は? 嘘だろ。令和の俺が、大正時代みたいな世界の陰陽師の名門に転生したってことか……!?)
記憶が噛み合わさった瞬間、俺はゆっくりと身体を起こした。
全身泥だらけで着物はボロボロ。肘も膝も擦りむけて血が滲んでいる。
だが僕の心の中にあったのは絶望ではなく氷のように冷たい、令和の天才としての怒りだった。
「霊力ゼロ……ね。未だにそんなオカルトな血筋だけで人間の価値を測ってんのか、この時代の老害どもは」
ヨロヨロと立ち上がり、敷地の隅にある薄暗くて煤けた小さな「離れ」へと歩き出す。
そこが俺に与えられた唯一の居場所だった。
風呂場にあった桶に水を張り、泥と血を丁寧に拭い去る。
その時。水面に映った自分の顔を見て、僕は思わず目を見張った。
ボサボサの髪と汚れのせいで酷い有様だったが、その奥にある骨格と顔立ちは前世の自分とは比べものにならないほど、ゾッとするほど整っていた。
(……嘘だろ。手入れさえすれば、誰もが振り返るレベルの顔じゃないか)
前世でどれほど望んでも手に入らなかった『美しい容姿』。
そして、前世で誰も追いつけなかった『圧倒的な天才的頭脳』。
その両方がいま俺の手の中にある。
俺は鏡の中の、冷たい瞳をした自分見つめ返し、不敵に口角を上げた。
霊力なんてものはない。だが、俺にはこの頭脳と顔がある。
心理戦も、栄養学も、組織を動かす戦術も、全部俺の頭の中に詰まっているんだ。
「見てろよ、安倍家。俺を容姿や霊力で踏みにじってきた奴ら全員に利息付きで返してやる。……よろしくな、『僕』」
ボロい離れの部屋で、俺___いや、僕。安倍 零の、静かな反撃が始まった。




