八十七話 幼い蒼佑(その二)
ガラの悪い男から離れてしばらく、気が付けばアシュリーはユニオンのある地域から離れていくことに気が付いた。彼女が蒼佑を見ると、彼はどこか困った顔で視線を返す。
アシュリーが男と揉めていたことは理解しているが、呆気に取られてしまいなにもできない彼は手を引かれるままであった。
ふと彼女は、場をなごませるために蒼佑に質問をなげかける。
「そういえばソウスケ、兄弟っているの?」
努めて落ちいた声色のそれは、弟という言葉が印象に残ったアシュリーの純粋な疑問。そんな問いかけだったが、蒼佑の逡巡は思いの外長く、アシュリーが自分の質問に不安になったところで、蒼佑が小さく頷いた。
「多分、います」
「多分?」
本来ならば、肯定か 否定か、その二択。しかし返ってきたのは判然としない肯定。現在進行形でもなく、なんなら過去形でもない。多分ということはどういうことかと、アシュリーはただオウム返しをした。
「多分、です。向こうはおれのこと、知ってるかも分からないし」
「えー、ん?ごめん、どういうことかちょっと分かんない」
返ってくるべき答えでないそれに、アシュリーは困惑の意を隠せない。しかし、蒼佑としても答えあぐねた様子。
「えっ、えっと……妹がいるとは思うんですけど、お父さんもお母さんも、妹?のこと知らなくていいって言ってて、おれのことはあの人って、妹に呼ばせてました。一緒の家にいたと思うんですけど、ほとんど顔も見てないし会って欲しくなさそうだったから、妹でいいのかなって──」
親の真意を量りかねているのか、蒼佑はたどたどしく説明をする。その内容から、アシュリーはだんだんと眉間にシワを寄せていく。
そんな彼女を見て、蒼佑は自分の説明が悪いからだと焦りを徐々に強くしていき、泳ぐ視線が激しくなっていた。
「ちょっとまって、妹なんでしょ?それなのにアンタの親はお兄ちゃんって呼ばせないどころか、ロクに会わせもしなかったの?」
声を低くしたアシュリーの表情は、どこか怒りを滲ませていた。名も顔も知らぬ、蒼佑の両親に。そんな彼女に若干の恐れを抱きながら、蒼佑はコクリと小さく頷いた。
一転して悲しげに目を伏せたアシュリーは、その言葉の意味をゆっくりと咀嚼した。明確に隔離を目的とした行為は、あまりにも残酷な親のエゴそのもの。
兄弟間での扱いの差というのは、ナチュラルエリアでも聞かない話ではない。しかし、蒼佑の受けたそれは、もはや差などというありふれた話ではなかった。
もはや、家族とさえ扱おうとしていないことなど、考えるまでもない。
アシュリーの胸中は、困惑や悲しみから怒りへと変化していく。家族に対してあの人呼びだなんて、あまりにも侮辱しているだろうと。
本人よりも、話を聞いた彼女の方が許せない話。
「ねぇソウスケ。私ね、弟がいたの」
そっと優しく、蒼佑の肩を抱くように手を添えながら、アシュリーがそう語り始める。そんな彼女の様子に、蒼佑はえっ?と返す。
彼は理解していないが、アシュリーの言い方含みのようなもの感じたのだ。過去形であるその言い方に。
「私が小さい頃ね、住んでいた村が魔物の群れに襲われたの。その時に、まだ小さかった弟が魔物に殺されて、父も母も深い傷を負って、すぐに死んじゃった……それからはずっと一人。もし弟が生きていれば、多分ソウスケと同じくらいだったと思う」
今は亡き家族を瞼の裏に浮かべながら、ソウスケの頬にそっと手を添えるアシュリー。十七歳という若者である彼女にとって、その心の傷は癒えていない。
だからこそ蒼佑と弟を重ねて、彼を支えたいと思ったのだ。例え傷が癒えなくとも、その苦痛が和らぐことを無意識に理解しているから。
「だからってわけじゃないけど、私はソウスケの力になりたい。会ったばかりの人間がなに言ってんだって思うかもしれないけど、なんとなく、そう思ったの」
蒼佑の瞳を真っ直ぐに見つめながら、優しく撫でるような声色で、どんな理屈でも説明できない思いを伝えるアシュリー。そんな優しさに触れた彼は、感じていた不安も忘れて、ゆっくりと首を縦に振る。
感情か本能か、互いに通じ合うその優しさに、ぐっと二人の心は近付いていく。ただの世話役ではなく、こちら側での彼のかけがえのないパートナーになることを、アシュリーは目指すことにした。
"蒼佑をまず、この国に馴染ませよ"
エクロマ王がアシュリーにそう指示を出して数日、今日も今日とて二人は町に繰り出した。フラシア王国からすれば、蒼佑は勇者という立場。扱いは国賓級だった。
そんな彼の面倒を見る役として、アシュリーの扱いも相応となる。二人が今生活しているのは城である。
幼い彼だが、国としてはいつか魔族と戦ってもらう必要がある。そのためには、まずこの国に愛着をもってもらうことが最善であった。
フラシア王国を守りたい故郷として、彼の心に在るために、最初に行うのは国民たちとのコミュニケーションだ。勇者であることは伏せているが、いち人間として人々との交流は重要だ。
アシュリーが傍にいたこともあり、人々からは顔も覚えられ始めた蒼佑。まだ幼いこともあって、彼を可愛がる人々は多かった。
幸先はよく、彼がこの国に馴染むのもそう難くないとアシュリーが感じ始めたとき──
──とある悪意が彼の元に訪れた。




