27:薬師の受難は、だいたい自分のせい
「よかった、こっそりアルカの指のサイズを図ったかいがあったわ」
とは、聖女の間にて、スタッグにアルカとの交際を報告された聖女の言葉である。
スタッグの隣でそれを聞いたアルカは、つい先日のことを思いだしていた。おまじないと称してアルカの指に、それも左手の薬指に、紙を巻いた聖女の姿を。
なるほどその真意はこれか。道理で指輪が寸分たがわぬほどにぴったりだったわけだ……。スタッグが恥を忍んで聖女に頼んだとは考えにくい。恐らく聖女が世話焼きのために行ったのだろう。
いや、それを思えば聖女の世話焼きはもっと前から始まっていたのだ。馬車の中での質問攻め、やたらとスタッグのことはどう思うか聞いてくる。いや、あれらは世話焼きどころか、聖女の策略だったに違いない。
とはいえ余計なお世話ではないから文句は言えず、しかしアルカは小さくため息をついた。スタッグが聖女の前で常に眉間にしわを増やしている理由が改めて分かった気がする……。
「それで、式の日取りは決めているのかしら」
聖女の発言に、スタッグとアルカはそろって咳き込んだ。
「いえ、その、今は結婚を前提に交際をするという時期で、今すぐにというわけでは」
「うふふ、わかっているわ、冗談よ」
ころころと笑う聖女にスタッグとアルカが向ける表情は『何だ冗談か』とほっと息をつくようなものではなく、『まったくなんてたちの悪い冗談を……』というそれである。二人そろってそんな表情で聖女を睨み付けている様子は司祭長に見つかれば「何と失礼なことを!」と叱られてしまう光景かもしれない。しかしそう叱る司祭長は、この場にはいない。
いや、そもそも司祭長が敬うべき『聖女』は、この場にはいないのである。
「アルカ、これからもスタッグを……ううん、これからもスタッグお兄ちゃんのことを、よろしくね」
スタッグの幼馴染である少女が、アルカを見つめてそう言う。それは、アルカが『聖女』に馬車の中で言われた言葉だ。あの時はその真意を理解していなかった。
しかし今はしっかりと理解して「はい」と返事をすると、少女は嬉しそうに微笑んでみせた。
聖女の間を後にしたアルカとスタッグが廊下を歩いていると、前方からやってきたバックに声をかけられた。
「あれ、医務部長に隊長。二人そろってどちらに行かれるんすか」
いつものように「お疲れ様です」等の挨拶を省くバックの頬には白い湿布。それは昨日、バックが惚れ薬改め恋愛方面に特化した自白剤を勝手に服用して幼馴染への長年の恋心を抑えきれずに幼馴染の働く食堂に飛び込んでいった際、突如公衆の面前で愛の告白をされ恥ずかしさと訳のわからなさに激高した幼馴染に思い切りビンタされた跡を治療しているものである。ちなみに幼馴染には「二度と顔見せんな!」と捨て台詞を吐かれたらしい。
「いや、聖女様のところから帰ってきたところだ」
「二人そろって?」
そう言うとバックはスタッグとアルカの顔を交互に見て
「結婚報告っすか?」
と言う。
その言葉にアルカとスタッグはうっと言葉につまった。それから恥ずかしげに視線をさまよわせる。バックが察したように薄笑いを浮かべて「ああー……」と言ったのが腹立たしいが、勘違いではないのでアルカもスタッグも何も言うことはできない。
いや、正確に言えば結婚報告ではなく、結婚を前提とした交際報告なのだが。しかしそう訂正するのも恥ずかしい。だいたい訂正したところで更にからかわれるのが目に見えている。
「いやあまあ、わかってたっすけど、ついに決心したんすねえ。そういえば、お父上には報告されたんすか?」
「いや……父に言えばいろいろと慌ただしくなりそうだからな、改めて時間をとって報告する」
なぜそんなことを聞かれなくてはいけないのか、と思いつつもスタッグはそう返した。父に知られるのは時間の問題ではあるだろうが、すぐに報告をすれば「やっと身を固めるか」だの「村に戻って式をあげるか」だのと結婚について慌ただしく言われてしまうに違いない。そしてそれは聖女と違って、決して冗談では無いのだ。
話の主導権をこちらが握る準備をしてから報告しなければいけない。
「ああ、だったらこっちの道はやめといた方がいいっすよ、今あっちでお父上が司祭長と立ち話してるんで」
バックの言葉に、スタッグに眉間にしわがひとつ増えた。
それと同時に、角の向こうから足音が聞こえる。
スタッグはアルカの手を取ると、くるりと方向を変えた。そうして足早に去って行く背中に、バックのからかい口調で「結婚式は呼んでくださいよー」という声が投げかけられる。
「……すまない」
スタッグが両目を片手で覆って申し訳無げにそう言ったのは、しばらく歩いた先の廊下の隅である。
「今父に捕まればややこしい上に長くなりそうだったからつい逃げてしまったが、その、決してアルカを紹介したくないというわけでは……」
「スタッグ隊長、わかってます。聖女様から、スタッグ隊長のお父上が息子の婚期をだいぶ心配していると聞いてましたから」
だから気にしないでください、とアルカが言うが、それはむしろスタッグの心労を増やしたようだった。項垂れて「そうか……」と言ったスタッグの声は弱弱しい。聖女はいったい何をどこまでアルカに暴露しているというのか……。いや、考えるのはよそう、精神がもたない。
そう考えてようやく両目を覆った手を外すと、心配そうにこちらを見上げるアルカの目と視線が合う。
野ウサギのようなそれは、見ていると心が安らぐようだ。
ああ、しかし、もうそろそろ行かなければ。
「そろそろ、医務室に戻らなければいけないだろう、俺は鍛錬場に向かうから、ここで別れるか」
「あ、そうですね、戻らないと……」
そう言った途端、アルカは心臓が少しだけぎゅっとなった気がした。そうしてあっと思ったときにはすでに、アルカの手はスタッグの服の袖を掴んでいたのである。
スタッグが少し驚いたような顔をしているのが見える。
「あの、すみません、まだ少し、名残惜しくてつい……」
アルカは恥ずかしげにそう告白すると、つい目を伏せてしまった。我ながらなんて面倒くさい女だろうか、と反省をするアルカは知らない。
アルカを見下ろしたスタッグが、その瞳に恍惚の色を宿したことを。
「ああ、なんて愛らしいんだろうか、俺のポニー……」
聞こえたそれにアルカが勢いよく顔をあげ、スタッグが勢いよく己の口を塞ぐ。
先ほどとはうってかわって何とも言えない気まずい空気が流れる中、口火を切ったのはスタッグだ。
「……いや、すまない、あれから何か、輪留めが外れてしまったように、時々自分で止められなくなってしまうんだ……」
スタッグが絞り出すような声でそう謝罪の言葉を述べれば、アルカはただただ心臓を痛めて「すみません……」と謝罪を返すことしかできなかった。
つまりそれは惚れ薬のせいで。だからやはり、そもそも惚れ薬を作ってしまった自分が悪いのだ。そう思ったアルカは嘆いた。
ああ、つまりこのある種の受難は、自分のせいだ、と。
いや、でも、と思う。
アルカは掴んでいたスタッグの服の袖を、少しだけ引っ張る。スタッグが口を塞いだまま、こちらを見るのがわかった。視線を合わせるのは恥ずかしいので、アルカは少しだけ目を伏せる。
「あの、でも、恥ずかしいですけど、それがスタッグ隊長の本心なら、そう言われるのは、嬉しい、とも思います……」
少しでもそう思ってしまったから、この受難は仕方がないのだ。
頬に手を添えられ、アルカは上を向いた。スタッグがこちらを見下ろしているのが見える。
その瞳に宿る熱に気付いたアルカは受難が降ってくることを察知した。こんな廊下の隅で、と思う。しかしスタッグにそうさせているのは自分である。それに、己の心には恥ずかしい気持ちはあれども、拒む気持ちは無いのだ。
スタッグの口が小さく動いた。三度目もまた同じように動いたそれがささやいた言葉は、アルカの耳に入って頭をしびれさせてしまう。
そうして降ってくる受難を受け入れるために、アルカはゆっくりと目を閉じた。