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26:惚れ薬の正体

 机の上には、透き通ったオレンジ色の液体で満たされた小瓶。それからその隣には、透明な液体で満たされた小瓶がある。

 聖女の訪問から更に三日が経って、ようやく解毒剤が完成したのだ。

 ただし机の上のそれを見つめるアルカには、不安があった。その理由は、ピクシーによる実験の結果にある。



「血液検査の結果としては、ちゃんと効いてるはずなんだけどなあ……」



 訝しげに眉をひそめてそうつぶやく。

 以前のピクシーは相変わらず二匹ともいちゃついているため使い物にならず、新しいピクシーを二匹仕入れた。そうして一匹に惚れ薬を与えたのだが、どうしたことか求愛行動が無いのだ。個体差かと思ってもう一匹にも与えてみるが、やはり求愛行動が無い。

 しかし血液を採って見てみると、たしかに惚れ薬はその血液中にある。そして解毒剤を与えれば、血液中の惚れ薬が中和されていることも確認できるのだ。

 それでも症状が発露しないとは、まさかここまできてまた失敗したとでもいうのか。


 アルカが己の情けなさにため息をついたそのとき、医務室の扉が元気よく叩かれる。その音で、訪問者が誰だかわかった。



「医務部長ー、巡行で使った消耗品の補充終わったんで確認お願いしまーっす」



 疲れている時に、また疲れるのが来た……とは顔に出さないよう努めながら、アルカは扉を開いて入ってきたバックに「わかった」と返す。そうしてバックの差し出した書類を受け取ると、手元のそれに視線を落とした。

 ああ、包帯が少し値上がりしている。でも今のものから質を落とすわけにもいかないし、仕方がないか……。



「これ綺麗な色っすねー」

「ん? あー……それ、飲んじゃダメだからね」

「えっ?」

「あ?」



 不穏な返事が聞こえ、アルカは顔をしかめて顔をあげた。

 そこに見えたのは、手に持った小瓶に口をつけたバックの姿。小瓶の中身はすでに空で、バックの喉がごくりと動いたのが見えた。アルカは、ひゅうと息をのむ。



「このバカ! 何で飲もうと思うの!」

「え、いや、スタッグ隊長に用意したいつものやつかと」

「だとしてもなぜ飲む!」

「いやあ俺も最近疲れてて」

「ああもう! いいからさっさと水飲んで……」



 水を用意しようとアルカが動き出したその瞬間、がしりと腕を掴まれた。誰にとは言うまでもない、バックにだ。



「医務部長、俺……」



 遅かった。

 真っ直ぐにアルカを見据えるバックの頬は紅潮し、少し荒い息は興奮している証だ。見つめられて、昂揚する気はまったくしない。その後に衝撃的な言葉が続くのを予感するとむしろ血の気が引いていくようで、アルカの頬がひくりとひきつった。

 バックが大きく息を吸う。



「俺、物心ついたころから、ずうっと幼馴染に片想いしてるんすよ!」



 バックの口から出た言葉は、確かに衝撃的だった。しかしその衝撃は思っていたのとはまったく違うもので、アルカは思わず「は?」と声が出る。



「でも、今更真面目に好きだって言うのも恥ずかしいし、あいつは俺の事そんな目で見てないんじゃないかって、不安で、ずっと言い出せなかったんすけど、でも俺、今ならあいつになんでも言えそうな気がするんっす!」



 バックは驚いたような戸惑ったような複雑な表情のアルカを無視して、一方的に熱く語った。その表情は真剣そのものだ。今まで見たバックの真剣な表情の中でも稀に見るほどの真剣さではないか。



「ああ、そんならこんなことしてる場合じゃないっすね、はやくあいつのとこに行って、伝えないと……!」


 かと思うと急にはっとしたような顔をしてそんなことを言う。それと同時に、がっしと掴まれていたアルカの腕が離された。それにまた驚く間も無く、バックは真っ直ぐ扉に向かうとけたたましい音をさせて出て行った。

 アルカはぎいと揺れる扉を見つめて、呆然と立ち尽くす。


 いったいあれは、どういうことだ。

 そもそもこれは、本当に惚れ薬だったのだろうか。

 考えてみれば、惚れ薬の対象はいったいどうやって決まるのか。与えた人間だというのなら、始めのピクシーはアルカに求愛するべきではなかっただろうか。しかしピクシーは、隣のケージにいた別のピクシーに求愛をした。

 そして、それを同じ薬を飲んだはずのスタッグは、なぜかアルカに。

 更には三日前に出来上がったそれを与えたピクシーは求愛行動を現さず、そして、それと同じものを飲んだバックは今、なぜか幼馴染への長年の片想いを告白して走り去っていった。


 こうした事実から導き出される仮説とは、いったい。



「……いや、いやいや、自分でこういう仮説をたてるのは、恥ずかしすぎでしょ」




 思わずそう独り言が出たその時、扉が叩かれる音がした。

 アルカがはっとそちらに視線を向けると、扉が少し開いていたせいで訪問者の顔がすでに見えている。



「すまない、今、いいだろうか」



 そこに見えたのは、すでに眉間にしわを刻んだ状態のスタッグだった。

 なんとも最悪なタイミングでの登場に、アルカの心臓が跳ねる。心の準備など何もできていないというのに。

 しかし、だからといって『忙しいです』とうそをついて追い返すこともできず、アルカはぎこちなく「はい」と返事をした。医務室に入ってくるスタッグの顔は見る事ができない。

 だからアルカは気づかないのである。スタッグの表情が、緊張に強張っていることを。



「その、まずは惚れ薬の事なんだが」



 どき、とした。



「俺は、あれは本当は、一種の自白剤だったのではないかと思っている」



 聞こえた言葉に、アルカは思わず気まずさも忘れてスタッグの顔を見た。それは、アルカが頭で考えはしたが言葉にするのをためらった仮説である。

 スタッグは相変わらず眉間にしわを刻んでいて、しかし、その表情には見慣れない緊張の色がある、気がする。



「俺は、いや、普段からああも小恥ずかしいことを考えているわけではないが、その、アルカを栗毛のポニーだと思ったり、野ウサギのようだと思ったりしていたことは、事実だ」



 あまりに衝撃的な告白に、アルカは声が出なかった。いや、そもそも衝撃的すぎるあまり、理解が追いついていない。何度かまばたきした後にようやく理解できたのは、そういえば野ウサギは初耳だということくらいだった。




「他の誰に言われるよりも、アルカに自分の疲労に向き合ってくれと言われたことが、忘れられなかった」



 それは、たしか、この医務室でアルカが初めて会ったスタッグに訴えた言葉だ。



「必死に訴える姿が、忘れられなかったのかもしれない。思えば栗毛のポニーのようだと思ったのも、その時が初めてだった」



 言われて、アルカもまたあの時のことを思いだしていた。無理をするスタッグを放っておけなくて、必死に休めと訴えた事。それは、理想の上司であるスタッグが疲労困憊している姿が見ていられなくて、必死に訴えた。まさか、そう思われていたとは。何かいろんな意味で恥ずかしい。



「その後医務室に通うようになったのも、己の疲労と向き合う気になったというよりは、きっとアルカに会うためだった。笑った顔を見て、草むらの野ウサギのようだと思っていた」



 次々飛び出る衝撃的なスタッグの言葉に、アルカはこれは現実なのだろうかと思い始めていた。目の前のスタッグは惚れ薬を服用してはいないし、その体内に惚れ薬が残っているわけでもない。それなのに、惚れ薬に侵されているときのようなことを言う。



「だから、あれは、全て俺のそういう気持ちが、増幅されたもので、全てが、本心だった」



 どくん、と音がした。耳の奥で響いたそれは、自分の鼓動の音だとわかった。

 確かにそういう仮説をたてはしたが、でも。



「こういうことにはずっと無縁でいたから、情けないが、今まで自分の気持ちに気が付かなかった。だが今回の事で、やっとわかったんだ。そして、きちんと伝えようと思って、ここに来た」



 スタッグの力強い瞳が、アルカの目を見据えた。

 何度も見つめられた目。何度も見つめた目。だいぶ、疲れているように見える。しかし今は、それだけではなかった。今までには見たことのないような、熱が宿っているのが見える。わかるのだ。

 それが真っ直ぐに、自分に向けられていると。

 しっかりと、スタッグの意志で。



「気持ちがはやるあまりに、順番を間違えてあんなことをしてしまったが、あれは、つまり俺の本心だということだけは、わかってほしい」



 そう言われて思い出したあの日のキスは、もうアルカの心臓をきりと痛めることは無かった。



「俺は、アルカが好きだ。もしも応えてくれるなら、これを、受け取って欲しい」



 そう言ってスタッグが差し出したのは、小さな箱だ。その中には、銀の指輪が輝いていた。

 ぎゅう、と心臓が痛くなる。しかしそれは不安のためでも、申し訳なさのためでもない。

 鼓動の音が耳の奥に響く。緊張している。しかし心臓の痛みはその緊張のためでもないと、アルカはわかっていた。

 人は不安や悲しみのために心臓を痛める。

 しかし、嬉しさが過ぎてもまた、心臓は痛むものなのだ。

 ぶわりと泉が湧くように感じたのは、昂揚だ。アルカは今まで感じたすべての痛みや困惑の理由を瞬間的に理解して、その全てが幸福に昇華していくのを感じていた。

 それが分かっている今、アルカの答えは決まっている。


 手を伸ばして、差し出された箱を受け取った。

 スタッグの瞳がわずかに見開かれたのが見える。それから、感極まるようにその眉間にしわが増えたのが見えたかと思うと、ふっと視界が遮られた。

 何が起きたのかなどとは、考えるまでも無かった。

 ゆっくりと、力強く、スタッグに抱きしめられているのだ。

 硬いようでいて弾力のある胸板から、スタッグの鼓動が伝わる。大きく脈打つそれは、緊張している証だ。



「医務部長おー……顔に張れる湿布くださ……あ」



 ガチャリ、と扉が開いた。



「あー……本当に、お邪魔しましたあー……」



 扉が閉まる音がしたと思うと、ふっと耳元で笑う声が聞こえた。どうしたのかと、アルカが少し体を離してスタッグの顔を見上げると、スタッグはやはり笑っている。



「いや、何か、気が抜けてしまってな」



 アルカが「そうですね」と返すと、こちらを見下ろしたスタッグと目が合う。

 まだ緊張に心臓は高鳴っている。しかし、スタッグとアルカの間に流れる空気は先ほどよりもずっと、穏やかなものに変わっていた。

 その穏やかな空気の中で、「アルカ」と名前を呼ばれる。それに込められた意志を感じ取り、アルカは少し顎を上げて目を閉じた。

 二度目のキスも、唇が触れる直前に「愛している」のささやきが添えられた。









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