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24:夕暮れの部屋で

 何か強制的な力に、無理やり意識を覚醒されるように目が覚めた。スタッグはすぐに傷の痛みに目が覚めたのだということに気付き、ああと声をもらす。



「あ、スタッグ隊長……?」



 か細い声が聞こえて、そちらに視線を向けた。そこには窓から差し込む夕日に照らされた、アルカの姿。椅子に座ったままでうたた寝していたのか、寝ぼけ眼をこすっている。



「ああ、ごめ、ごめんなさい、私、看病しなくちゃいけないのに、眠って……」

「いや……あんなことになったんだ、疲れて当然だろう」



 寝起きながらも申し訳無げに言うアルカにそう返しつつ、スタッグは体を起こそうとした。しかしすぐに肩に走る痛みにううと呻いてしまう。すると、アルカの手が肩に触れたのがわかった。



「痛むんですね、痛み止めを用意してますから飲んでください、あ、まずいのでちゃんと水も用意してありますから」



 そう言いながらアルカが脇に用意していたらしい枕を取り出し、スタッグの後頭部に差し込む。そうして頭を高くしたスタッグに小瓶に入った痛み止めが差し出された。スタッグは怪我をしていない方の手でそれを受け取り、飲み干す。

 耐えようと思ったが、そのまずさに思わず「う」と言い顔をしかめてしまった。



「あ、お水、どうぞ」

「ああ……すまない」



 すかさず差し出されたそれを受け取り、ゆっくりと飲み干す。痛み止めがすぐに効くわけではないが、何か安心感のようなものが少しだけ痛みを和らげた気がした。

 もう一度体を起こそうと試みる。安心感のためか、あるいは頭が少し高くなっていたためか、先ほどよりも肩が痛むことは無くなんとか体を起こすことが出来た。アルカが肩と背中に手を添えてくれたおかげもあるだろう。

 そうして改めてアルカに視線を移し、じっと見る。



「アルカ、怪我は、無いか」



 口をついて出たのは、やはりそんな言葉だった。そして案の定アルカが悲しげに眉尻を下げたのが見える。



「もう、自分のことを心配してくださいよ」



 三度目に言われたそれは叱りつけるようでも、呆れたようでも無い。懇願だ。それから初めてそう言われた日のような、必死さだろうか。小柄なアルカが必死に訴える様は小動物に似ていて、だが栗毛のポニーではない。草むらの中で警戒する野ウサギでもない。ああ、栗毛の小型犬だ、毛は長めで、二か月に一度は散髪が必要な種類の、可愛らしい、小さい犬……。

 アルカに「すまない」と返しながら、スタッグの頭はそんなことばかりが浮かんでいた。



「スタッグ隊長、担架に乗せたらすぐに眠ってしまったんです。幸い傷は深くなかったので、改めて処置をして、それでベッドに」



 どこかぼうっとしたような頭に、アルカがそう説明する声が入ってくる。ああ、と少し頭を切り替えて「別派はどうなった」と聞けば、返ってきたのは「予定通りに、軍に引き渡しました」という答え。無事に引き渡すことが出来たのか。後は軍の仕事だ、別派の事は、もう心配することは無いだろう。



「あの、本当に、すみません」



 次いで聞こえたのは、申し訳無げに言うアルカの声。見れば栗毛の小型犬のようだった表情は悲しげに眼が伏せられ、まるで木に飛び移るのに失敗したモモンガのようではないか。



「その、こんなことになってしまったことも、スタッグ隊長にあんなことを言わせてしまったのも、私が作った惚れ薬のせいで……」



 アルカの謝罪を聞きながら、スタッグは、こんなことになってしまったとは、と思っていた。ああそうか、自分が怪我をしたことに、アルカは責任を感じているのか。アルカは、あんなことを言わせてしまったとも言ったな。あんなこととは。あの時自分は、何を口走ったのだったか。ああ、少し思い出そうとしただけで鮮明によみがえってくる。

 そう、アルカのために、命を投げ出す覚悟がある、と。コウカに向かって高らかに宣言した。

 本気でそう思った。だが、まあしかし、本当にアルカのために命を投げ出せば、それはアルカを悲しませるだけだろう。そう、今、目の前の状況のように。愛らしい栗毛のポニーを、栗毛の小型犬にしてしまうのは心が痛い。ましてや滑空に失敗したモモンガのようにしてしまうなど……。いや、まあ、モモンガはモモンガでまた可愛らしいのだが。

 いや、思考があさっての方向へ行ってしまった。そうではない、重要なのは、本気でそう思ったという事だ。決してコウカを炊きつけるための方便ではなかった。

 そして恐らく、惚れ薬のせいでもない。アルカの顔を見つめながら、スタッグはそんな気がしていた。



「いや、さっきも言ったが、これは俺が油断したせいだ、それに、お前が聖女様を守りたいだけだと言ったように、俺もただお前を守りたいと思ったということだ」



 だから気にするなと言っても、アルカの表情はやはりモモンガのままだった。余程気に病んでいるようだ。その必要は無いというのに。いやしかし、そういうアルカだからこそ自分は。

 ……自分は?何だというのだろうか。

 そういえばあの時、自分は何を口走ろうとしていたんだったか。アルカの頬に手を添えて、涙を落とすアルカの顔を見上げて。


 怪我をしていない方の手が、無意識にアルカへ伸びた。そうして、その手を握る。冷たく、そして柔らかい。驚いたようにこちらを見るその表情は、ああ、これは、モモンガか。或いは草むらの中で見つかった野ウサギかもしれない。どちらにしろ愛らしいことには変わりないのだが。



「スタッグ隊長?」



 少し不安げに名前を呼ばれる。今までは名前を呼ばれると安心したというのに、今はどうしたことかむしろ胸がぎゅっと痛くなり、鼓動が早まるではないか。だが不安ではない。少しだけ心地よいような気もするこれは、緊張か。

 スタッグは握っていたアルカの手を離した。しかし離したその手は再びアルカに伸びて、その頬に優しく触れる。やはりアルカは驚いたようにこちらをじっと見つめ、しかし今度は更に驚いているのか名前を呼ぶ余裕も無いようだ。しかしそれでいい気がした。また名前を呼ばれてしまっては、こちらも余裕が無くなってしまう。

 アルカの柔らかい頬に指が沈む。頬が、こんなにも柔らかいものだとは知らなかった。アルカが、こんなにもか弱い表情をするのだと、知らなかった。そしてそれを知った今、己の内に湧き上がるのは、とめどない幸福感だ。


 あの時のように、言葉が自然と出てくる気がした。

 そうだ、言おうとしたこれは、ずっと己の心にあった言葉だ。惚れ薬のせいではないと、わかっていた。なぜならこれは、それよりも更に、ずっと前から。



「俺は、アルカを」



 もはや理性は働かなかった。ただ驚いたような顔でこちらを見つめるアルカに、スタッグの顔が近づいていく。



「……愛している」



 囁くようにそう言うと、スタッグはアルカの淡い紅色をした唇に、自分のそれを押し当てた。






 柔らかい衝撃に、アルカは声が出せなかった。

 それもそのはず、声を出すための口は、スタッグのそれによって塞がれてしまっているのだから。あまりりの衝撃に、体も動かない。


 キスされた。


 ようやくそう理解した途端、アルカの心臓がどくんと跳ねた。かあ、と顔に熱が上がってくる。

 どうして、と思うとようやく体が動いた。

 だがアルカがスタッグの体を押しのけようと両手を持ち上げた時、やわらかな衝撃がずるりと横にずれていく。次いでのっしと感じた重みに、アルカの解放された口からは「うわあ」と声が出た。

 咄嗟に受け止めたその重みは、どうやらスタッグの体であるらしい。

 首元に吐息があたり、アルカの肩がぴくりと跳ねた。



「スタッグ隊長?」



 それに耐えつつアルカはそう呼びかけるが、返事が無い。代わりに聞こえるのは、規則正しい吐息。

 いや、恐らく、寝息と言うべきなのだろう。

 すっかり脱力しているスタッグの体を必死で支えながら、アルカはそう確信していた。スタッグはこの状況で、眠ってしまっているのだ。なんてずるい逃げ方だろうか。

 しかしアルカには眠るスタッグをそう責め立てる余裕は無い。なにせスタッグの鍛え上げられた体は無駄な肉が無いながらも、アルカには重すぎる。なんとか支えることで精いっぱいなのだ。気を抜けばもろともに倒れてしまうだろう。それに、腕に力が入れば肩の傷が痛む。長くは耐えられない。



「医務部長、スタッグ隊長の様子どうっすか……あ」



 ガチャリ、と扉が開いた。



「あー……お邪魔しましたあー……」

「いや、ちょっと、待って、違う」



 アルカが発した「助けて……」は、無慈悲にも閉ざされた扉に跳ね返されてしまうのだった。



――バックは冗談のつもりだったのか、すぐに扉を開いて入ってくると、眠っているスタッグの体をアルカから引きはがしてゆっくりをベッドに横たえた。しかし感謝よりも先にアルカにぎろりと睨まれたのは言うまでも無い。









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