21:午前中の教会にて
「ああ、いたいた。おーい、センレン」
一夜が明けた教会内の廊下に、伸びやかな声が響く。それはバックが前方に見えた同僚を呼び止めた声だ。センレンと呼ばれたその青年は立ち止まり、振り返る。するとこちらに向かって駆けてくるバックの姿が見えた。
「教会内の警備ご苦労さん、盗み聞きするようなのが入り込んでっかもしれないからな~総動員だもんなあ、集合もかけられなくて皆あっちこっち散らばっちゃってさ、おかげで連絡事項の伝達も一苦労だよ」
「……用件は何だ」
相変わらず一方的にべらべらとしゃべるバックに、センレンは呆れたというようにはあと息をつくとそう聞いた。これは賢い判断である。バックから用件を切り出すのを待っているとあと五分はかかるだろう。彼は経験からそう知っていた。
「ああ、今日の聖女様のご予定をさ、皆に連絡して回ってんだよ、そんでお前が最後」
「聖女様のご予定か、変更されるのか?」
「うん、あんなことがあったから今日は一日この町に滞在する、そんで滞在するなら町はずれの墓地をお参りしたいってことになってさ、午後からは墓地にお参りされるんだ。で、数人が警護につくんだけど、お前、その内の一人な」
時局に鑑みればそれは極めて重要な任務のはずなのだが、バックはだいぶ軽い調子でそう言った。しかしバックは重要だろうが無かろうが常にこの調子であることもまた、彼は知っている。わざわざそれを指摘することは無く、ただ「わかった」と返した。
「で、それだけか?」
「ああーまあ、連絡事項はそれだけなんだけどさ。お前、おふくろさん元気?」
バックがそう聞くと、センレンがふっと表情を変える。呆れたようだった表情が、急に感情を無くしたようだった。
「何かお前、近頃元気無いらしいじゃん。おふくろさん病気だったろ、もしかしておふくろさんの調子がよくないから、元気無いんじゃないかと思って」
バックの言葉に、彼は表情の無いままでしばし黙り込んだ。しかし少ししてふっと笑い声をもらすと、その口に笑みを作ってみせた。
「おふくろはいつも通りだよ、俺だっていつも通りだし、心配なんかすんなよ」
ぎこちない笑みでそう言った彼の視線は床に向けられ、バックの方へ向けられることは無かった。
バックはそれには気づかないふりをしながら、彼が「じゃあな」と言って去って行く背を見送った。やがてその背中が見えなくなると、その場でぽつりとつぶやく。
「……どう、動くっすかね」
誰も居ない廊下に響いたそれは、決して独り言ではない。
「そうだな、もしもあいつが伝えたなら、墓地に奴らが待ち伏せしているだろう」
「……そうっすね」
背後から答えた声に、バックは驚いた様子も無く振り返った。そこにいたのは、険しい顔をしたスタッグだ。
仲間が情報を流したのでなければいい。バックもスタッグもそう思ってはいる。しかしそれを口に出さないのは、こうして仲間を疑い、泳がせようとしている自分がいるからだ。
それでもそうしなければ。なぜなら自分たちの仕事は、聖女様を守ることだから。そのためには仲間を疑う事さえ、ためらってはいけない。
「……そろそろ、医務部長の着替えも終わったんじゃないすか? 見にいってみましょうよ」
先にその葛藤に耐え切れなくなったのは、バックだった。努めて明るい声で、スタッグにそう提案をする。スタッグはバックの心情を察し、ただ「そうだな」と返すのだった。
扉を叩くと、聖女が「どうぞ」と言う声がする。それを聞き、スタッグは扉を開けて中へ入った。
そして、ひゅうと息をのむ。
「どう? 似合っているでしょう」
聖女がそう言った声も、バックが後ろで扉を閉めた音も、スタッグの耳を通り抜けていく。
「こういうひらひらした服は着慣れないので、ちょっと恥ずかしいですね」
頭に響くのは、アルカが恥ずかしげにそう言った声だけだった。
その姿は、まるでいつもとは違った雰囲気だ。普段はズボンに包まれた活動的な足は長い裾に隠され、可愛らしい靴のつま先だけが顔をのぞかせていた。視線を上の方へと移せば、その目は恥らうように伏せられている。頬に淡い赤みのさしたその顔を明るくするのはいつもの大きめな白衣の白さではなく、ゆったりとしたひだの美しい服の白さだ。
隣に立つ聖女と揃いのそれは、聖女の神聖さを表す為の、聖女の為の衣装である。しかしそれをアルカが身にまとえば表されるのは神聖さというよりも、愛らしさではないか。恥ずかしそうに視線を下に向ける様子がさらに愛らしさを増すようである。
「砂糖菓子で出来た天使か……」
「スタッグ隊長!」
「はっ!」
焦ったような制止の声が飛び、スタッグがはっと我に返った。そうして非常に険しい顔で慌てて聖女へ、次いで素早く背後にいるバックへ視線を向ける。どちらにも素早く目をそらされた。
やってしまった、と反省しつつもスタッグは見逃していなかった。素早く目をそらした二人のどちらもが口元に手を当てていたのを。そしてそれは、笑いをこらえるためだ。
「大丈夫よスタッグ、わたしたちは何も聞いていないわ、ぷふふ、そうでしょうバック、ぷふっ」
「そうっす隊長、聖女様の仰る通りぶふっ、はっはは」
「バック」
「ごほん、失礼しましたっす、何も聞いてません、はい、ぶくっ」
現にそう言った二人の言葉は端々に笑いが漏れていた。――バックに至っては漏れているどころではない、完全に笑っている――
スタッグの眉間には深いしわが刻まれるが、そもそも自分が自制が足りずに口を滑らせてしまったせいである。そう思えばスタッグは迷惑そうな視線を聖女やバックに向けることは出来ず、ただ堪り兼ねるというように目を閉じるのだった。更にはアルカが絞り出すような声で「すみません……」と言うのが聞こえ、ますます心苦しい心地である。スタッグが苦しげに「いや……」と返せば、両者の間には何とも気まずい空気が流れてしまう。
それをシャボン玉を割るようにぱちんと霧散させたのは、笑いをこらえていたのとは打って変わった聖女の声だった。
「ああ、でもやっぱり心配だわ、アルカがわたしの身代わりをするだなんて、まだ肩の傷だってひどいのに」
その言葉に、スタッグは目を開けた。
聖女は揃いの服を着たアルカの手を取り、憂いがちにその目を伏せている。
「いえ、肩の傷は安静が必要という程でも無いですし、それに何より、わたしがそうしたいと思ってるんです、だからそんなに心配しないでください」
その一方でアルカは聖女を安心させるようにその顔に笑みを浮かべ、そう言った。その姿は聖女と揃いの服を着ていることもあり、まるでもう一人の聖女のようではないか。あるいはやはり、聖女を導く天の使いか……。
瞬時にそんなことが頭をよぎったのを自覚して、スタッグがはっとする。それを口に出さなかったことに安心しつつ、しかしスタッグは反省するように眉間にぐっとしわを寄せた。
そもそもなぜアルカが聖女と揃いの服を着て聖女の身代わりになることになったのかといえば、それは今から数時間前にさかのぼる。
『別派の奴らをおびきだし、捕らえようと思います』
と、聖女とアルカ、そしてバックの集まった部屋で、厳しい表情をしてそう言ったのはスタッグだ。
今までは教会に押し入り、自らの主張を喧伝するだけだった。怪我人は出たが、それは逃げ惑う混乱の際に転んだりしたものであり、彼らが直接危害を加えたわけではない。
しかし今回は違う。
聖女を狙い、そして明らかに危害を加えてきた。もはや野放しにしてはおけないのだ。
聖女はそれに異を唱えることは無く、ただ「そう」とだけ言った。しかしその表情はスタッグの言葉に心痛しているのがわかるものであった。
スタッグは聖女の言葉を聞き届け、それから作戦について話した。情報を流している疑いのある人間に『聖女が少数の護衛をつけて町はずれの墓地に行く』という情報を掴ませ、聖女を狙う別派をそこにおびき出すというものだ。
しかし、それにはいくつかの問題があるという。
ひとつは、別派を捕えるという危険な現場に本物の聖女を伴うわけにはいかない、ということだった。
スタッグの心情を察し、だったら、と手を挙げたのはアルカだ。
『私が聖女様の身代わりになるというのは、どうでしょうか』
と提案をしたのだ。
「スタッグ隊長も、今更やっぱりダメだとは言わないでくださいね」
アルカがそう話しかける声が聞こえ、スタッグは閉じていた目を開ける。そして少しためらってから「ああ」と返事を返した。しかしながらその表情には、揺らぎが見える。
この作戦におけるもうひとつの問題は、スタッグがアルカの傍を離れることが出来ない、ということだった。そのためスタッグは墓地での捕縛には参加せず、教会で本物の聖女の傍に控えているつもりだったのだ。ただ、本音を言うならばやはり作戦にスタッグが参加しないというのは不安があった。
アルカから聖女の身代わりになると提案され、スタッグは一度は首を横に振った。聖女だけではない、アルカだって危険な現場に伴うわけにはいかないのだ。そもそも怪我をしているアルカに、そんなことをさせるわけにもいかない。
アルカの提案に首を横に振ったのはスタッグだけではなかった。聖女もまた『そんな危ない事させられないわ』と言い、否定した。
しかしそれでも必死にそうする必要性を説くアルカに、スタッグや聖女は最終的にアルカの提案を受け入れたのである。
こうなったら、と、聖女は『揃いの衣装を用意しなきゃ!』と気合いを入れ、スタッグは『何をしても守り通さなければ』と気合を入れた。
「何よりもまずアルカを守ってみせる……」
ついこぼれたそれが恥ずかしい言葉だったとスタッグが気付いたのは、アルカが恥ずかしげに「スタッグ隊長……」と言う声が聞こえ、それと同時に聖女とバックが再び口に手を当てたのが見えたときだった。




