20:真夜中
痛みで、目が覚めた。アルカは「うう」と唸り声をあげる。痛み止めが切れたのだ。覚醒したばかりの意識で、アルカはそうわかっていた。
目を開けたそこはまだ暗く、夜中だろうと思う。窓から差し込む月明りで照らされた部屋は、次第にその輪郭をぼんやりと映し出した。
たしか、痛み止めが切れると分かっていたからすぐ傍に置いたはずである。それを手探りで探そうとすると、何か固いような、それでいて柔らかいものに触れた。
「アルカ? ああ、起きたのか」
すぐに声がして、それが何かわかる。硬いようで柔らかいそれは、スタッグの手だった。しかしなぜすぐ傍にスタッグの手があるのか。そう疑問を訴えるようにアルカが「スタッグ隊長?」と名前を呼んだ。寝起きのせいか、少しかすれた声だった。
「今、灯りをつけよう」
スタッグがそう言うとすぐに何か擦るような音がして、その手元が明るく照らされる。次いで灯りをともしたランプが持ち上げられると、暗闇の中にスタッグの顔が浮かび上がった。光の当たる具合のせいか、その顔は酷く疲れているように見える。それこそ、出会ったころのようだ。
アルカが体を横たえたままでその顔を見上げていると、スタッグはランプを傍にある机に置いた。すると傍にあった痛み止めの入った小瓶が照らされる。透き通った液体が光を通し、机に緑色が映った。
体を起こそう、とアルカが上半身に力を入れると、肩に痛みが走ってうめき声がもれる。
「ああ、無理をするな」
すかさずスタッグの手が背中に触れ、力強くアルカの体を起こした。申し訳無げに「すみません」と言いながらも、アルカはその手に頼らざるを得なかった。そうして体を起こしたアルカに痛み止めを差し出したのも、スタッグの手だ。
アルカは「すみません、ありがとうございます」と言ってそれを受け取り、ぐいと飲み干した。アルカが自身で作ったそれは効能を優先しているため、苦い、というか、まずい。酔い止めもそうだが、やはり自分が服用する側にならなければわからない事もあるものだ。アルカがまずさに顔を歪めつつそう反省をしていると、スタッグが心配そうに「どうした」と聞いてくる声がした。
「いえ、その、自分で作っておきながら、痛み止めがまずくて……」
アルカがそう答えると、スタッグが同情したように「ああ……」と言う。
「水を持ってくる、少し待っていろ」
それからそう言うとアルカの背から手を離し、立ち上がって暗がりの方へ歩いていく。スタッグはすぐにコップ一杯の水を持って戻ってきた。受け取ったそれをまずさのまとわりつく口の中に流し込み、アルカは落ち着いたというように息をつく。
そうしてようやく、ランプの灯りに照らされたスタッグの方をしっかりと見ることができた。スタッグはアルカの眠るベッドの横に椅子を置いて座っているようだった。ベッドで休んでいないのか、どうして。アルカがそう疑問を口にする前に、スタッグが話し始めた。
「バックから、夜中に痛み止めが切れてアルカが目を覚ますだろうと言われてな、その、心配で、眠れる気がしなかったんだ」
そう言ったその声や表情はどこか気まずげと言うか、恥ずかしげだ。その言葉を聞き、アルカは複雑な気持ちだった。
スタッグにはしっかりと休んでほしいのに。しかしスタッグにそうさせたのは、自分だ。自分の怪我の事で心配をかけてしまったから。そもそもスタッグに過剰に心配をさせてしまっているのは、自分が作った惚れ薬のせいだ。そう思えば申し訳なさに肩だけではなく胸まで痛む。
アルカが目を伏せて小さく「すみません」と言うと、スタッグは首を横に振った。
「お前の事を思うならしっかりと休むべきなのはわかっているが、それでもこうしたのは俺が勝手にしたことだ、アルカが謝る必要は無い」
「でも、それはきっと、惚れ薬のせいで……」
「いや、違う」
食い気味に否定され、アルカは驚いて視線をあげた。スタッグもまた自身がそうしたことに驚いたのか、気まずげに目を伏せてしまう。
「……いや、心配をするのは当然のことだ、だから、その、惚れ薬の事は関係無い、はずだ」
それから何か歯切れ悪くそう言うスタッグに、アルカはそれ以上自分のせいだとは言えなかった。しかしやはりアルカの口から出るのは「すみません」という謝罪の言葉だ。それに対するスタッグの返事は、首を横に振る態度だった。
「アルカは、今は自分の怪我のことだけを考えてくれ。」
そうしてスタッグの言ったことは、どこか聞き覚えのある言葉だった。スタッグも言ってから気が付いたのか、あっという顔をする。
「……ああ、俺がお前に、こんなことを言うとはな」
「そうですね、わたしも、スタッグ隊長に言われてしまうとは、思ってませんでした」
そう言葉にすると、アルカは少しおかしくなって笑ってしまった。
自分のことを考えてくれ、とはアルカがスタッグに言ったことだ。自分の疲労のことなど考えもせずにただ責任感に従って突き進む。そういうスタッグに、必死に、訴えるように。
だというのにまさかその言葉が自分に向けられるとは、思いもしなかったことである。それもスタッグ本人に、と思うとやはり少しおかしく思えてしまう。
「俺が言えたことでは無かったか」
アルカのそういう思いを見透かすように、スタッグがそう言う。アルカはいいえと否定をしようとしたが、はたと思い直すと少し笑って「そうですね」と返した。スタッグが照れくさそうに「本当に」と返せば、二人の間には先ほどとは打って変わって穏やかな空気が流れる。
「他に、何か俺に出来ることは」
そう聞かれ、アルカはまたいいえと否定するのを思いとどまった。
「あの、痛み止めが効いてくるまでもう少し、ここにいてください」
代わりにアルカの口から出たのはそんな言葉だ。言ってしまってから、ああ恥ずかしいことを言った、と気が付いたが遅かった。アルカは気まずげに目を伏せようとするが、手に感じた熱にスタッグの顔を見る。
「お前が眠るまでこうしている、いや、こうさせてくれ」
そう言われ、握られた手にぎゅうと力が込められた。痛くは無いのだが、何か強さを感じる。物理的なものではなく、心強さと言えばいいのだろうか。そこから伝わる熱は非常に心地が良いものである。そう感じればアルカは恥ずかしいから離してほしいなどとは言おうと思うはずもない。
「なんだか、安心します」
それどころか、思わずそう伝えてしまう。スタッグがほっとしたような顔をしたのが見えた。しかしその顔はすぐに目を伏せ、沈んだようなそれになる。スタッグはその表情のまま、アルカの名を呼んだ。
「俺にも、謝らせてほしい」
次いで、そんなことを言う。
「俺はあの時、何も出来なかった。己の首が切れることなど構わずに飛び込めばよかったのに、そうすれば……」
「それは、ダメです」
アルカが食い気味に否定する。スタッグが伏せていた目を上げ、アルカを見た。まるでさっきとは立場が逆転している。
「スタッグ隊長に万が一のことがあったら、それは、財産を失うみたいなことで、ええっと、とにかく、大きな損害ですから、ダメです」
スタッグの仕事は身を挺しての警護だというのに、万が一のことがあったら、とは少しおかしな話である。しかしアルカの言ったそれは本心で、そして恐らく事実だった。
隊長が首を切られて重傷などということになれば、第三部隊は混乱を極めることになるだろう。スタッグが厳しくも優しく鍛え上げているとはいえ、やはり隊長の存在は大きいのだ。その存在を失うのは、大きな痛手である。ひいては第三部隊の問題だけではなく、騎士団全体の損失とまで言えるだろう。
しかしそれは、後から考え付いたことだ。アルカが食い気味に「それはダメです」と否定したのは、瞬時にそんなことを考えたからではなかった。
単純に、スタッグが傷つけば苦しいと、そう思ったのだ。
苦しいのは誰か?アルカ自身だ。
「それに、私も、辛いです」
思わずそう本音をもらせば、握られた手に少し力が入るのがわかった。それから「すまない」という謝罪の言葉と共に、名前を呼ばれる。
「謝るよりも、きちんと、伝えておかなければいけないな」
じっと、スタッグの目がこちらを見る。
「何も出来なかった俺の代わりに、聖女様を守ってくれて、ありがとう。アルカの命が無事で、本当によかった……」
真っ直ぐに見つめられ、そう言われた。その言葉に、じわりと心臓のあたりに何か染みわたるような感覚がする。
「よかった……隊長の、お役に立てて」
思わずそう言葉がこぼれる。あれ、こういう言葉を、前にも言った気がする。ついさっきのことだったかもしれない。また心臓のあたりにじわりと何か広がって、それから、まぶたが重たくなってきた。
ああ、眠いんだ、と気が付く。
アルカが意識を手放したのは、それから間もなくだった。




