15:かわいそうなピクシー
盛大な見送りを受けて出発をした聖女一行が次の町へと着いたのは、すでに日が沈んだころだった。
薄暗い教会前の広場にはそれでも多くの人が聖女の来訪を待ち、見えた馬車に歓迎の声をあげる。馬車から降りた聖女は手を振り、出迎えた司祭の後について教会の中へと歩いていった。時々群衆に「おやすみなさい」と言葉をかけるのは、今日は日が沈んでしまったからだ。町の中を歩いて回るのは、明日になる。
そうして一日の終わりを迎えようとして、アルカは大きな疲労感に襲われていた。かつて一日がこんなに長く感じたことがあっただろうか。何やらどっと疲れたような気がする……。夕食も終え、後は眠るだけだという聖女の部屋で、アルカは小さく息をついた。
「うふふ、今日はいろんなことがあって疲れたわね」
「ああ……すみません」
聖女が笑う声が聞こえ、ため息が聞こえてしまったのかとアルカは恥ずかしそうにそう答えた。
「ううん、今日はわたしも疲れたもの。もうベッドに入ってしまうことにするわ、だからアルカも、スタッグと一緒に休んでちょうだい」
そう言われ、アルカは一瞬戸惑ってから扉の傍に立つスタッグに視線を向ける。スタッグもまた少し戸惑ったような表情をしていたが、目をそらされてしまうことはなかった。
しかし今はむしろそれが気まずく、アルカはさっと目をそらしてしまう。そうして聖女の言葉に返事も出来ないでいると、聖女が急かすように背中を押してくるのでアルカは「わっ」と声をあげてしまった。
「ほらほら、明日も早いんだから、ゆっくり休んで、ね?」
そう言ってアルカの背中を押す聖女の表情は、なぜか非常に楽しそうである。それにも困惑し、戸惑うアルカには抵抗する術は無かった。背中を押されるままに扉の傍に立つスタッグの方へと歩いて行き、そうして同じ様に戸惑った様子のスタッグと共に扉の外へと出て行く。
扉の外へ出ると、そこに控えていた団員にスタッグが「お疲れ様です」と声をかけられる。
「隊長、後は俺たちがしっかりと警護しますので、隊長は明日に備えてゆっくりと休んでください」
次いで真剣な眼差しでそう言われてしまってはそれ以上その場には留まっていられず、スタッグは彼に「任せたぞ」と言うとアルカと共に隣の部屋へと向かうのだった。
アルカが部屋の扉を閉める。気まずい空気が流れる中、先に口を開いたのはスタッグだった。
「……その、昼間の事なんだが」
重々しい口調で切り出されたそれに、アルカの体に緊張が走る。昼間の事、それは、スタッグが落ち込む聖女を慰めたあれだ。その場面が頭に蘇り、ぎゅうと心臓が痛くなった。
「あれは、特別な事ではないというか、昔からあいつをああやって慰めていたからつい、ああ、そもそもあいつとの関係から話さなければいけないのか……」
話し始めたスタッグは珍しく、何か焦っている様な話し方だ。そのせいか、話す事もまとまってはいない。アルカはつい「あの」と声をかけていた。
「聖女様から聞きました、同じ村の出身で、年の離れた幼馴染だって、そう言ってました」
「あ、ああ……そうか」
アルカがそう言うと、スタッグはため息交じりにそう答える。アルカに気を遣われたとわかったのだ。それは、己の情けなさへのため息だった。
眉間に深くしわを刻み、己の言動を省みる。自分はいったい何をこんなにも焦っているというのか。その上アルカが気になって視線をやるというのに、いざ目が合えば気まずくてそらしてしまう。そんな己の態度は、不審極まりないとわかっている。
スタッグは深く呼吸をした。落ち着け、と自分に言い聞かせるためだ。
「年の離れた幼馴染……か、まあ、そうだろう。それに、周囲には兄妹のようだとよく言われた。あいつが聖女様である今は妹のようだと言うのは憚られるが、確かに、妹のような存在だ」
無意識に、妹のような存在であることを強調した。無意識であるためスタッグは自分でも気づいていない。またアルカにも伝わらなかったのか、アルカは沈んだ様子で目を伏せた。
「大切、なんですね」
やはりスタッグにとって、聖女はたった一人の神聖な存在であるだけではなかった。たった一人の、大切な少女なのだ。そう思うと途端に心臓の痛みが増した。ああまただ、また気持ち悪い鼓動をしている。
アルカにそう言われたスタッグもまた、己の内に沸いた得体のしれない感情に困惑していた。
スタッグにとって聖女が大切な存在であることは確かだ。なにせ幼いころから面倒を見て、彼女が聖女になってからもその姿を見守ってきた。年の離れた幼馴染、ひいては兄のような存在としての責任感からだ。
それなのにスタッグは今、「ああ」と返事をすることができなかった。
確かに聖女は大切だ。しかしそれを肯定して、アルカに勘違いをさせたくない。なぜか?という自問に対する答えは無かった。スタッグにはその理由もわからなければ、勘違いの内容すらもわかっていないのだ。
「互いに兄弟もいなくて、家族のように育ってきた。だから心配はするが、……その、それだけだ」
慎重に言葉を選んで返した結果、スタッグの答えはそうなった。言い訳がましくなってしまったような気がするが、焦って更に弁明するようなことを言えば見苦しいだけだろう。スタッグは「本当に」と言おうとした口をぐっと結んだ。
アルカとスタッグの間に、再び気まずい空気が流れる。
その状況を打破したのは、またスタッグの言葉だ。
「その、疲れているんだったな、すまない、休んでくれ」
「あ……はい」
到底休める気はしなかったが、返す言葉も考え付かない今はそう言ってこの話を終えるのがいいだろう。と思ったアルカはそう返事をすると、簡易ベッドの方へと歩いていった。誰が教会側に頼んだかはわからないが、部屋にはもともとあったベッドの他にもうひとつ簡易ベッドが運び込まれていた。――スタッグは聖女の仕業だろうと確信している、今日もまた同じ部屋で休ませる算段だったのだ――
簡易ベッドの方へ向かうアルカの背中に、「ああ、いや」というスタッグの声がかけられた。
「アルカがあっちを使ってくれ、俺がそっちに」
あっち、と指されたのはもともとこの部屋に備え付けられた大きなベッドだ。
「いえ、こっちじゃスタッグ隊長の体がはみ出ちゃいますから」
「ああ、そうか……すまない」
気を遣ったはずが、気を遣われてしまった。アルカの答えを聞き、スタッグは度重なる情けなさに思わず片手で両目を覆ってしまう。
「ああそうだ、スタッグ隊長、体の調子はどうですか?」
しかし直後、思い出したようにアルカがそう言うとスタッグはぱっと手を離してアルカを見た。アルカはやはり何か思い出したような顔でスタッグを見ている。
「あの、惚れ薬の効果とか、変わってないですか?」
次いでアルカがそう言えば、スタッグは質問の意図を理解して「ああ」と言った。
「そうだな、以前ほどアルカと離れていても息苦しさを感じることは無くなったかもしれない」
「そうですか、よかった……」
スタッグがそう答えると、アルカは少しほっとしたように笑みを浮かべた。
ああ、随分長い間アルカの笑顔を見ていなかった気がする。そんな事がスタッグの頭によぎった。
それからまだぎこちないその笑顔を見ていると、心が浮き上がっていくような心地がする。ああ、やはりアルカは笑っている顔の方が似合う。その栗毛と相まってにじみ出るその可愛らしさは、やはり小さな栗毛のポニーのようだ。いや、沈んだ顔もそれはそれで腕の中に閉じ込めて守ってやりたいと思うし、焦る様子は栗毛のポニーではなく草むらの中で警戒する野ウサギのようでこれもまた可愛らしい。つまりアルカは、何をしていても可愛らしいのだ……。
「ああ、もしかするとアルカは砂糖菓子か何かで出来ているのかもしれない……」
「スタッグ隊長」
「……すまない」
アルカが静かに制止の言葉を告げれば、我に返ったスタッグは視線を足元に落としつつ謝罪の言葉を述べた。
どうやら、『よかった』と口走るのは早計だったようだ。申し訳なさにアルカもまた目を伏せ、苦しげに「すみません……」と謝る。
「あ、あの、疲れてるんですよね、早く休みましょう」
「ああ……その、頭を冷やしたいから、先に風呂をもらってもいいだろうか」
「あ、どうぞどうぞ」
ふらふらと風呂場の方へ歩いていくスタッグの背中を、アルカは見ることが出来なかった。気配が無くなり、スタッグが風呂場へ消えたのだとわかると、アルカは緊張の糸が切れたようにベッドに倒れ込む。
砂糖菓子とは、また新しい言葉である。それと同時に、今までで一番心臓に悪い言葉でもあった。まだどきどきとしているのがわかる。ああ、顔も熱いかもしれない。
「いや……違う、そういう場合じゃなくって」
そんな自分を戒めるようにそうつぶやいた。
スタッグは、頭を冷やすと言ったのだ。そうだ、スタッグは、惚れ薬という熱に浮かされているだけなのだ……。その気になれば、かわいそうなのは自分だ。
そうだ、あのピクシーみたいに、惨めなだけ。
そう考えた途端、アルカは自分の体からさあと熱が引いていくのがわかった。そうして今度は、胸のあたりが鈍く痛む。アルカは咄嗟に胸を押さえて、鈍い痛みをごまかすようにごろんと寝返りをうった。
「うわわっ」
簡易ベッドは案外狭く、大胆に寝返りをうったアルカの体はベッドから落ちそうになってしまう。しかし、あわやというところで何とか踏ん張った。アルカの体はベッドの上に留まり、それから慎重に元の体勢に戻る。
はあ、と深いため息をついた。それは決して安堵のそれではない。いろんな意味で心臓を傷めたアルカはそのことを、痛いほどに自覚しているのだった。




