14:知らなかった事
今まで訪れたどの町よりも大きな歓声を受けて、聖女を乗せた馬車はゆっくりと出発した。
当然アルカも、それに同乗している。聖女は今までと同様に、笑顔で窓の外へ向けて手を振っていた。その笑顔はやはり聖女のものであって、少女のものではない。少女のものではないのだが、その笑顔を見つめるアルカの頭には、たった一人の少女でしかなかった聖女の姿がどうしてもちらついていた。
「さっきは本当に、みっともない姿を見せてしまったわね」
やがて馬車が街から出て、アルカに向き直った聖女は申し訳無げな表情でそう言った。アルカは慌てて「いいえ」と言って首を横に振る。先ほどは心ここにあらずの「いいえ」しか返すことができなかったのだ、と思い出せば自然とその表情に力が入った。
「ねえアルカ」
しかし聖女は対照的に、柔らかな笑みを浮かべてアルカの名を呼んだ。
「何か、聞きたいことがあれば何でも聞いていいのよ」
その笑顔で次いでそう言われ、アルカは「えっ」と目を丸くした。聖女の笑顔は、まるでアルカの心情を見透かすようである。目を合わせていられなくて、アルカは目を伏せた。そうして、意を決して口を開く。
「あの、聖女様と、スタッグ隊長は、どういう関係なんでしょうか」
聖女とスタッグがどんな関係だって、アルカには関係ないはずだった。もしかすると誰もが思っている以上に特別で、親しい関係だったとしても、だ。そのはずなのだが、どうしてもそのことが気にかかってしまう。更にはなぜだか、苦しいのだ。どうしても、聞かずにはいられないほど。
アルカの質問に、聖女はふふっと笑った。それから「気になるのね、よかった」とつぶやくような声が聞こえたが、アルカはそれには触れなかった。恐らく本題から逸れてしまうだろうし、またきっと聖女はふふと笑って答えないだろう。
「そうね、どこから話せばいいかしら」
そうしてアルカは、ゆったりと語り始めた聖女の言葉に耳を傾けるのだった。
「わたしとスタッグはね、同じ村の出身なの」
聖女の語る物語は、アルカのまったく知らなかった事実から始まった。
田舎の小さな村なんだけどね、と言って聖女が告げた村の名は、やはりアルカの知らない名である。聖女の事もそうだが、スタッグの事もまったくと言っていいほど知らなかったのだ。そう思うとなぜだか、複雑な気持ちになった。
「親同士の仲が良くて、よく面倒をみてもらったわ、まあ、年の離れた幼馴染っていうのが一番いいのかしら」
幼馴染、というのはまた一段と世俗的な響きである。聖女の口から自分にそういった存在がいる、と聞かされると多くの人は何か違和感を覚えるかもしれない。しかしアルカの耳には、その言葉がすうと馴染んだ。
年の離れた幼馴染。そうか、だからスタッグは聖女の名前を知っているのか。
そう納得はしても、心臓のあたりにかかったもやのようなものは晴れないままだった。
「それに、二人とも教会で修業をしていたから余計に仲が良かったというか、まるで兄妹みたいだったわ。実際、わたしもスタッグのことをお兄ちゃんと呼んだしね」
アルカはあっと思った。そういえばあの時、スタッグが聖女の名前を呼んだだけではなかったということを思いだしたのだ。聖女もまたスタッグのことをいつもとは違って、お兄ちゃんと呼んだ。すがりつくように。
「……そう、あの時のスタッグは、確かにお兄ちゃんだったの」
笑顔を浮かべていた聖女は、そう言うと突如としてその顔から笑みを無くした。すっと伏せられた目には悲しみが見て取れるようである。その悲しみがいったい何に対する悲しみなのか、それはわからない。そして、その悲しみを見て取ったアルカの胸が苦しいのも、やはりなぜなのだかはわからないのだった。
聖女はその愁いを含んだ表情のまま、言葉を続ける。
「教会で騎士になる修業をしていたスタッグは、わたしよりも先に首都へ出て行ったわ。まあ、スタッグの方が年が上だから、それは当たり前なのだけれど」
聖女は伏せた目を少しあげると、ちらと視線を窓の外へ移した。
「でもそれは、スタッグの騎士としての修業が終わったからというわけではなくて、スタッグのお父上が首都へ行くことが決まったからだったのよ。だから、突然だった」
物憂げに、はあと息をつく。
「そのせいかしら、スタッグはずっとあの日の、お兄ちゃんのままだと思ってしまっていたのね」
聖女はそう言うと、物思いにふけるように小さな手でそっと自分の頬を覆った。
「だからわたしが聖女に選ばれて、その迎えにスタッグが来た時には本当に……衝撃だった。お兄ちゃんだった面影はどこにも無かったわ、そこにいたのは騎士団の制服に身を包んだ大人の男性……いいえ、違う」
今度は、ほう、と息をつく。そうしてその瞳をうっとりと目を細める……ことはまったく無く、まるで全盛期のスタッグのように、その眉間に力強くしわを刻んだ。
「もはやおじさんよ、あれは!」
その険しい表情から飛び出したなんとも力強い言葉に、アルカは思わず「えっ」と声をあげた。驚いて、その目は丸く見開かれている。
聖女はアルカの驚いた様子などは気にも留めないというように、その険しい表情のまま言葉を続けた。
「確かにスタッグは昔から老け顔だったわ、村の外から来た行商人には兄妹を通り越して親子ですかなんて言われたこともあるし。でも、それにしてもだわ。どうしたらあんなにくたびれたおじさんみたいになっちゃうのかしら」
聖女は、はあ、と息をついて背もたれにぽすんともたれかかる。それを見つめるアルカの表情は、驚きから困惑へと変わっていた。
くたびれたおじさんとは……たしかスタッグはまだ二十代のはずである。――ああ、それすらも、正確な年を知らないのだと思ったが、それはそれとして――
しかしアルカはそう思うのと同時に、ああおじさん……と納得もしてしまっていた。アルカ自身スタッグをおじさんだと感じるわけではないが、あの疲れたような顔立ちは実年齢以上に見えることは確かである。聖女のような年頃の少女から見れば、それは容赦無くおじさんと言ってしまえるのだろう。
「まあ、その理由はすぐにわかったわ。昔から真面目なのは知っていたけど、あんなに仕事馬鹿になってるとは思わなかった。それで趣味も無くって女性にも縁が無ければ、ああも老け込んじゃうのは当然だったわね」
おじさんだけでは飽き足らず、仕事馬鹿、とまで言われてしまった。しかもそれが聖女の口から出たのである。いや、今の聖女は聖女というよりも、ただ年の離れた幼馴染を心配する一人の少女であるかもしれない。それも思ったことはつい口に出してしまう、少し気の強い少女だ。
聖女はそう言うとアルカへ向き直り、呆れたような顔から一転してその口に、にいっと笑みを浮かべた。
「でもね、アルカと会ってから、スタッグは少し変わったのよ」
そう言われ、アルカはまた「えっ」と目を丸くした。
「最初の日、アルカは馬車の中でスタッグと知り合ったきっかけを話してくれたわよね」
聖女の言葉に、アルカは戸惑いながらも「はい」と頷いた。話した、というよりもあれは問いただされて仕方なく言わされた、という方がいいかもしれないが、話したことは事実だ。
「スタッグの変化はわたしも気づいてたわ。初めは、少しため息が減ったかしらと思ったの。それから少しずつ顔色が良くなって、ほんのちょっと若々しさを取り戻したようだったわ」
それでもほんのちょっとなのか……と思いながらアルカは聖女の言葉を聞いた。しかしすぐに出会ったころのスタッグを思い出し、まあ確かに若々しさを取り戻したといってもほんのちょっとだろう、と思ってしまい少し複雑な気持ちになる。
「スタッグは何も言わないから、他の人に聞いてみたの。そうしたらわたしが休めって言っても聞かなかったスタッグが、少しずつだけれど、ちゃんと休むようになったって言うのよ。本当に驚いちゃった」
そう言った聖女の表情はいつの間にかすっかり無邪気な笑みを浮かべている。
「スタッグが変わったのはアルカのおかげよ、ありがとう」
そう言われ、アルカはどきとした。スタッグ率いる第三部隊の隊員にもよく感謝の言葉は言われたが、聖女に言われるそれはまた重みが違う。
聖女だからか。それとも。
「ねえアルカ」
名前を呼ばれ、アルカが「はい」と返事をする。
「これからも、スタッグのことをよろしくね」
次いでそう言われると、アルカは咄嗟に返事をすることが出来なかった。よろしくとは、いったい何をだろうか。いや、ああ、そうか、医務部長として、スタッグの疲労管理をよろしくということか。たぶん、きっと、そうだろう。
そう考えてアルカがようやく「はい」と返事をすると、聖女は嬉しそうに微笑んでみせた。
馬車は間もなく次の町に到着した。先ほどの町から近いその小さな町でも、聖女の一行は盛大な歓迎を受ける。馬車から降りた聖女は歓迎の声をあげるひとりひとりに微笑みかけながら、先導する司祭の後について小さな教会へと入っていくのだった。
アルカの先を歩くその背中はこれまでと同じように堂々としていて、一人の少女だった面影はどこにも無い。
無いのだが、しかし。
アルカが聖女の前を歩くスタッグをちらりと見ると、スタッグは歩きながらも時々聖女にちらと視線をやっているようだった。
心配、なのだろうか。
そう思うと、アルカはまた胸が痛む気がした。ああ、どうしてだろう、関係など無いはずなのに。聖女とスタッグの関係はわかったが、この胸の痛みの理由はまだわからないままだった。
聖女が祈りを捧げ、町の中を歩いている最中にもアルカはまたスタッグの方を見る。
ばちり、と視線が合った。
先に視線をそらしたのは、スタッグの方だ。また、気まずそうにそらされた。アルカもまた気まずそうに目を伏せ、足元に視線を落とす。
互いに気まずさを感じるスタッグとアルカは知らない。そんな二人の様子を、聖女がこっそりと見ていたことに。
「……落ち込んじゃったのは、失敗だったかしら」
聖女が小さくつぶやいたそれは誰の耳にも届くことなく、直後に何か妙案が浮かんだというように笑みを浮かべた聖女の口の中に消えるのだった。




