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13/27

13:鈍い痛み

 教会へ戻った聖女は「少し休もうかしら」と言い、教会の中に用意された部屋に向かった。

 前にも訪れたことがあるからと司祭の先導を断り、聖女に指名されたスタッグとアルカだけが聖女についていく。聖女を先導するスタッグと聖女の後をついて教会の廊下を奥へと歩くアルカには聖女の背中しか見えない。それは、先ほど街中で見たように強く気高く、そして揺るぎないものだと、そう思っていた。


 その背中が崩れ落ちたのは、最後に部屋に入ったアルカが扉を閉めた瞬間である。



「……わたしが、悪いのかなあ」



 それは、聞いたことの無い弱弱しい声だった。それに、どこか幼いそれは聞き慣れない口調だ。

 声の出所は、聖女だった。

 いや、その姿は聖女と呼ぶにはあまりにも頼り無い。そこにいたのは、その背中には何の強さも気高さも無い、ただ落ち込んだ、一人の幼い少女だった。



「ただ、あの人が優しくて、みんな、それを知ってて、それだけのことだったんだよ、なのに、気づけなかった」



 声が震えている。泣き出しそうなのか。あるいはもう泣いているのか。聖女のか弱い背中しか見えないアルカには、それはわからなかった。ただ、その背中を見つめるアルカの胸はぎゅうと締め付けられるようだ。



「わたしが、もっと、ちゃんと、聖女としてみんなに、教えを伝えていられたら、みんな、すぐに気づいたかもしれないのに」



 それから聖女が震える声で言ったのは、自分を責める言葉だった。



「わたしが、聖女として、まだ未熟だから」



 アルカは、ああついに、泣いた、と思った。声が大きく震えたからだ。それから、俯いてしまうのが見えた。弱弱しい背中がかすかに震える。

 聖女とはいえ、まだ幼い少女なのだ。たった一人の最も神聖な存在として人々に博愛と恩愛の精神を説き、導くというのは、どれだけの重責があっただろうか。それだけではない、人々は時に聖女にすがり、救いを求める。それらに向き合い、受け止めるというのもまた想像もつかない程の重責に違いない。

 たった一人の幼い少女が抱え込むには、重すぎる程だ。

 しかし重すぎるからこそ、そんなことは無い、と安易な慰めの言葉をかけることなど出来ない。それはあまりにも無責任な言葉だ。かといって他にかけるべき言葉もわからずアルカが何もできずにいると、その背中にそっと差しのべられた手が見えた。

 それは、スタッグの手だ。



「思い出せ、あの人たちは、お前に、感謝していただろう」



 それは、聞いたことの無い優しい声だった。それに、聖女をお前と呼ぶそれは聞き慣れない口調だ。

 いや、聞き慣れないどころではない。聖女をお前と呼び、その言葉に丁寧さの欠片もないそれは、初めて聞くスタッグの言葉だ。

 そしてそれは、なぜかアルカの胸をより一層ぎゅうと締め付けるものだった。

 聖女のか弱い背中に差しのべられたスタッグの手は、その肩に優しく触れる。それはまるで、抱き寄せるように。



「スタッグ……お兄ちゃあん……」



 聖女が鳴き声をあげて、その胸にすがりついた。

 その途端、アルカはあっと思う。忘れかけていたあの困惑が、またアルカを襲ったのだ。どうして、と思う間もなく、スタッグの声が聞こえた。



「……ヒナ」



 がん、と、強く頭を打たれた。もちろんそれは錯覚だ。実際に頭を打たれたはずが無い。しかしアルカの頭はまるでそうされたように、ぐらぐらと揺れた。

 スタッグの声がアルカの頭の中で繰り返される。ヒナ、とは。ああ、もしかすると、聖女の名前だろうか。聖女の名前は、一般に公表されることは無い。知っているのは限られた人間。いいや、そもそも聖女とはたった一人の最も神聖な存在だ。一人の人間であることを表す名前など、あって無いようなものである。

 でも、スタッグはそれを知っている。スタッグにとって、聖女は、たった一人の、少女だ。たぶん、とても、大切な。



――あれ、なんで?



 そう思った途端にアルカを襲った感情は、やはり困惑だった。

 聖女とスタッグがどういう関係だって、自分には関係など無いはずだ。それなのにどうして、こうも苦しいのか。いいや、そもそも今は聖女様が悲しんでいることを心配することの方が大切で、自分が苦しいことなど頭の隅に追いやらなければいけないことだ。そうは思うがやはりスタッグが聖女の名前を呼んだ声が頭から離れない。それに、聖女がスタッグの胸にすがるその姿も見ていてなぜだか苦しい。心配に痛めなければいけないはずの胸は、別のよくわからない感情で痛いのだ。その罪悪感もまた、アルカの苦しさに拍車をかけた。


 しばらくして、聖女は落ち着いた様子でスタッグから体を離した。



「ごめんなさいスタッグ、ありがとう」



 それはすっかり『聖女』の声に戻っていた。



「アルカも、ごめんなさい、みっともない姿を見せてしまって」



 それから振り返った聖女はアルカにそう言う。少しの笑みさえ浮かべたその姿は、やはり聖女である。たった一人の少女であった面影は、どこにも無い。しかしスタッグの目にはもしかすると、まだこの表情すらも一人の少女に見えているのだろうか。

 そんなことばかりが頭に浮かんでしまい、聖女に「いいえ」と返して首を横に振るアルカの心はここに無かった。



「それじゃあ、次の町に行きましょうか」



 聖女はそう言うと扉の方へと歩き出す。それを追ってスタッグも歩いてくるのが見えると、アルカは扉を開けて聖女が来るのを待った。

 ちらと視線をやると、スタッグと目が合う。

 アルカがそらす前に、先に視線をそらされた。

 思わず、ひゅうと息をのむ。何か気まずそうに視線をそらされた。どうして、と思うが、すぐに理由が思い当たった。

 そうか、聖女の名前を呼んだのを、聞かれたから。それはきっと、やはりスタッグにとって聖女がたった一人の、大切な、少女だから。

 そう思った途端、アルカの胸が今までに無いほどに痛み始めた。ドクンと鳴ったそれは、気持ちが悪い鼓動だ。たぶん、経験したことが無い。経験したことが無いものが何かなどわかるはずもなく、アルカはただその痛みに耐えながら聖女の後を追うのだった。








 「医務部長、ちょっといいっすか、ピクシーの事で」



 バックにそう声をかけられたのは、すでに馬車が用意された教会の広場に着いたときだった。ピクシーの事で、と言われては胸の痛みに気を取られているわけには行かず、アルカはバックに真剣な表情を向ける。



「ピクシーに何かあった?」

「はい、ちょっと俺じゃあどうしたらいいかわからなくて」

「そう、わかった」



 珍しく困ったような顔で訴えるバックにアルカはそう答えると、次いで聖女に「すみません」と断りを入れる。聖女はすっかり穏やかな笑みを浮かべて「ううん」と首を横に振ってみせた。



「それじゃあわたしは馬車で待ってるわ」



 聖女はそう言うと近くにいた他の団員を呼んで馬車の方へと歩いていった。その場に残ったのはアルカとバック、そしてスタッグだ。バックが「じゃあ」と言って歩きだし、アルカとスタッグがその後に続く。

 そうして荷馬車の方へ近づくにつれ、ピクシーの鳴き声が聞こえてくるのがわかった。ピイピイと高いその鳴き声は、不安や寂しさを訴えているように聞こえる。アルカはすぐに、その声の異変に気が付いた。

 ピイピイという鳴き声が、二つ聞こえるのだ。



「いやあ、一匹ならまだ耐えられたんすけど、二匹同時に、しかも絶えず鳴かれると俺ちょっとおかしくなりそうで……医務部長、どうしたらいいっすか?」



 たどり着いた荷馬車のカーテンを開けたバックが、げんなりとした様子でそう言った。

 そこに見えたのは、ピイピイと鳴く二匹のピクシーの姿だ。互いに隣り合ったケージの向こうに居る相手に手を伸ばしあっている。その姿はさながらフェンスのこちら側とあちら側に隔たれてしまった恋人たちのようではないか。非常にドラマチックである。

 それを見たアルカの反応はため息交じりの「ああ……」というものだった。当然、そのドラマチックな光景への感嘆のため息ではない。どうしてこうなった、という辟易のため息である。

 惚れ薬を与えた方のピクシーが不安や寂しさのためにピイピイと鳴き声をあげるのは不思議な事ではない。しかし、もう一方のピクシーまでもが鳴き声をあげるというのはいったいどういうことなのだろうか。このピクシーは、隣でしきりに求愛してくるピクシーに興味を示していなかったはずである。

 だというのに互いに手を伸ばしあって鳴き声をあげているとは、いつの間に二匹は相思相愛になったというのか。いや、一方の求愛は惚れ薬の効果によるものに過ぎないので、相思相愛というには少し語弊があるかもしれない。

 もう一匹が押されに押され、ついにその気になってしまっただけなのだ。



「……はあ、まあ、うるさいんなら一つのケージに入れてやってもいいかもね」

「それで静かになってくれますか!」

「多分ね」



 アルカがそう答えれば、バックは感極まるといったように「よかったあ」と言って笑みを浮かべた。ピクシーが静かになるだけで大げさな、とは言うまい。なにせアルカはピクシーの鳴き声の破壊力を知っている。それは、疲労困憊の研究者の命をも落としかねないものなのだ。

 バックに同情の視線を向けつつ、アルカは一匹のピクシーをケージから取り出し、もう一方のピクシーのいるケージに移した。アルカがピクシーから手を離すやいなや、二匹のピクシーは情熱的に抱き合う。やはり、何ともドラマチックな光景である。しかしその光景を見下ろすアルカの目は、どこか冷ややかだった。


――かわいそうに、どうせ、相手は惚れ薬という熱に浮かされているだけなのに


 そんな事が頭をよぎった瞬間、アルカは頭がかんと冴えていく気がした。



「ああ本当に静かになった! よかったあ!」



 バックの声で、はっと我にかえる。今のは何だったんだ、と考える暇は無かった。バックが「ありがとうございますう!」と言ってアルカの手を握り上下にぶんぶんと振り回してきたからだ。そこまで感謝したい気持ちはわからないでもないが、だいぶうっとうしい。迷惑だ。

 しかしやや興奮気味のバックはアルカの思い切り迷惑そうな視線に気が付かないのか、まだまだ手を握ったままそれを上下にぶん回す。たまりかねたアルカが「ちょっと」と制止の言葉をかけようとした時。



「バック」



 それよりも早く、スタッグの鋭い声が飛んだ。その瞬間、バックの動きがぴたりと止まる。



「手を離せ」



 次いでスタッグが険しい声でそう言うのが聞こえ、バックは若干裏返った声で「ひゃい」と返事をしてアルカの手を離した。



「あ、じゃあ医務部長、また何かあれば報告しますんで、あの、馬車に戻ってください」



 それから目を泳がせてそう言ったかと思うと「ほら、隊長も待ってますんで」と急かしてくる。そんなバックの態度を不思議には思うが、アルカは特に追及はせずに振り返ってスタッグの背中を追うのだった。









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