00.ムルカ・オリジン
西大陸の北の果てにある農村で、ムルカは生まれた。
雪が年中降り続けるドライアドの集落であり、少しの獲物を狩って細々と生活を続ける、狩猟民族であった。
ムルカはドライアドの種族の特徴である白い髪と白い瞳、透き通るような肌を誰よりも美しく受け継いでいたが、その反面、狩猟というものをどうしても好きになれなかった。
もちろん、何と比べて、という話ではない。
他の生活を知らないのだから、それは当然であるが、その一つしかない選択肢を、ムルカは否定した。
なぜ狩猟を嫌ったのか、ムルカも覚えていない。
ただ思い当たる理由としては、彼ら、他のドライアドが、あまりにも粗末に命を食い物にしているからではないか、とムルカは考えていた。
そう言うのも、ドライアドは捕えた獲物の内臓しか食べない。
殺した獲物から内臓だけを抜き取って、死体は放置するのである。
それに対して、ムルカはせめて弔うべきではないか、と意義を申し立てたのである。
しかし、誰一人としてムルカの考えに賛同する者はおらず、それどころか、ドライアドの狩猟文化を嫌ったことで、ムルカは爪弾きにあっていた。
両親ですら、自分たちの生活を否定するムルカを守ることはなかった。
五歳のムルカはたった一人で、仲間たちの食い荒らした死体を弔い続けた。
だが、良かれと思ってやっている行動であったとしても、ムルカはますます孤立していく。
七歳になるころには、ムルカを罵っていた者は皆、不気味がるようになり、同じ集落にいながらも、一言も言葉を交わすことはなくなっていた。
それがそれだけ過酷な状況であったか、想像に難くない。
ある吹雪の晩に、ムルカはいつものように、死体を弔っていた。
集落の皆が嫌がるため、遠くへ埋めるようになっていたのだが、それが仇となった。
冬の雪山では食料が少なく、しばしば動物が凶暴化する。
ムルカは、たったひとりで死体を担いでいて、血の臭いが染みついていた。
そのせいで、凶暴な肉食の魔物であるアルクトスに出会ってしまった。
アルクトスは灰色の毛皮を持ち、大人の男性よりも巨体を持つ四足獣であり、当然、ムルカは力で敵うはずもない。
爪で身体を切り裂かれ、気がついた時には、咥えあげられていた。
手足を伝って、血がぽたぽたと雪に模様を描いた。
ムルカはそれでもいいと思った。
いずれは皆が食べた動物のように自分がなるのだ、と心のどこかで思っていたのだ。
しかし、そのまま死ぬことはなかった。
それは本当に偶然であった。
アルクトスの体が黒い炎に包まれ、あっという間に炭へと変わったのだ。
まだ軍団の人員もそれほどいなかった時期であったため、サヴァスが自ら優秀な人材に交渉を行っていたのだ。
ドライアドの集落におかしな奴がいる、と噂を聞いたサヴァスは、ムルカに会うため、この雪山まで来ていたのだった。
ムルカは引き裂かれた腹部から内臓が飛び出す寸前の深手を負っていたのだが、サヴァスはそれを、瞬く間に治した。
目を覚ましたムルカは、聞いた。
「なぜ助けたのですか?」
「君が怪我をしていたからだ」
その返答を、ドライアドの集落で暮らしていたムルカに理解することは出来なかった。
ムルカのきょとんとした顔を見て、サヴァスは続けた。
「君が望むなら、もっとたくさんのことをしてあげられるよ」
「わけがわかりません。なんで、私なんですか?」
「君からは死の匂いがするからだ。僕と同じ、冥界に近い魂だ」
死の匂い、と言われて、ムルカは自分の身体が臭いのかと、服を匂った。
たしかに、血生臭い。
その様子を見て、サヴァスは笑った。
「そういう意味じゃないよ。僕と似ているってことだ。そうだ、君にこれをあげよう。これから、君を守ってくれるはずだ」
サヴァスは懐から、小さな一本の骨を取り出した。
「……骨、ですよね?」
「このままじゃね。見ててごらん」
手をかざすと、骨は黒い炎に包まれ、まるで氷が溶けるようにゆっくりと姿を変えていく。
数分もしないうちに、犬の形になった。
「魔法を使ったことはあるかい?」
「いえ……」
「だったら、やってみよう。魔法陣を教えるから、その通りに、空中で指を動かして」
ムルカが言われた通りにやると、紫色の魔法陣が空中に現れ、小さな骨の犬が膨れて動き出した。
「わっ、なんですか、これ」
骨犬は、ムルカの魔力で作られたため、彼女を主人と認めて尻尾を振って甘える素振りを見せている。
「『死霊魔術』さ。君はやっぱり素質がある。理論を知らずに成功させるのは、不可能に近い所業だ」
サヴァスは、さらに続けて言った。
「僕の元へ来ないか? 君はこんなところで埋もれていてはいけない人間だ」
「…………」
ムルカが返事に困っている様子を見て、サヴァスは言った。
「嫌かい?」
「いえ、ここではない別のところへ行くことは、それほど嫌ではありません。でも、こんなところでも、私の生まれ育った場所なんです」
「君は立派だね」
「立派じゃなくて、ただ踏ん切りがつかないだけです」
二人が話しているところへ、二人のドライアドが現れた。
それは、ムルカの両親であった。
「お父さん、お母さん、もしかして、私を助けに来てくれたの――――」
ムルカがそう言い終わらないうちに、父親が口を開いた。
「チッ、あの獣、しくじりやがった」
「だから言ったじゃない。野生の魔物に任せるのは良くないって」
二人はムルカを睨みながらそう言った。
ムルカは俯いて、黙った。
両親はそんな彼女に目もくれず、その後ろに立っていたサヴァスに言った。
「なんだあの男は。やい、お前が余計なことをしたのか?」
「そうよ。この子はここで死ぬ予定だったのに」
サヴァスは二人を無視して、ムルカへ話しかけた。
「ムルカ。もう一度聞く。僕の元へ来ないか? 君はまだ、たくさんのことを知っていい。魔法だけじゃない、外の世界には、ムルカの過ごしてきた小さな世界にはないものがたくさんある」
彼がそう言うと、ムルカの言葉の前に、二人が喋りだした。
「なんだ、あなたが『これ』をもらってくれるのね!」
「だったら早く出ていけ! この魔女め!」
次々に投げかけられてくるその言葉に、ムルカは何も言い返さなかったが、サヴァスは確かな怒りを込めて言った。
「……ムルカが望むならこいつらを焼き払ってやるけど、どうだ?」
ムルカは首を振った。
手を強く握り、はっきりと意志を持って言った。
「いえ、構いません。彼らがいなければ、私は生きていなかったでしょう。彼らの生活に合わせなかった私が悪いんです。だから、彼らには文句を言う権利があるんです」
「だけど、言わせたい放題では気分が悪いだろう」
「だったら――――」
ムルカは震える声を張り上げて叫んだ。
「お父さん、お母さん。今までありがとうございました。私をここまで育ててくれたこと、すごく感謝してます。本当に、本当に、ありがとうございました」
精一杯の笑顔で、ムルカは言った。
その一言で、罵詈雑言は止み、二人はバツが悪そうに目を伏せた。
ムルカは満足気に、サヴァスを見た。
「行きます。私も、一緒に行かせてください。魔法のことも、もっと教えてほしいんです」
「心は決まったようだね」
突如、サヴァスの前に大きな空間の穴が現れた。
「ようこそ、『軍団』へ」
ムルカは魔法の回廊へ足を踏み入れた。
それは、二度と戻ることの出来ない分かれ道だった。
ムルカの人生が、いちドライアドではなく、死霊術師としての道へと、確かに切り替わった瞬間であった。




