20.吐露
「五年ほど前から、サヴァスさまの様子が変わって来ました。普段はあまり眠ることもなかったのに、その頃から一日に三時間ほど睡眠をとるようになったのです。それから、月日が経つに連れ、睡眠時間は伸びていき、最近になると、一か月ほど眠るようになりました」
「弱っているのか?」
時雨が聞くと、ムルカはおもむろに頷いた。
「サヴァスさまの右目にはガイアが潜んでいます。それは黒い怨念となって、外からでも分かるほど強力になりました。サヴァスさまは眠っている間、その力を内側から抑えているのです。このままいけば、ガイアが甦るか、サヴァスさまが永遠の眠りにつくか。皆はそのどちらかだろうと言っていました」
ガイアが甦る、という言葉にアリアネの顔が強張った。
神の子が五人がかりでやっと封印した悪心ガイアを相手に、人類はどうやって戦えばいいのだ、と考えていた。
混沌から大地や生物を作った存在など、もはや地震や台風と同じような不可避の天災である。
「復活か、道連れか。どちらにしても、器であるサヴァスさまは死んでしまう。それが私には我慢ならなかったのです。どうにか助ける方法はないかと探していたところ、マリスがクロノスの宝玉を持っていると聞きました。昔、私はサヴァスさまから聞いたことがあったのです。兄弟たちとガイアを封印した時の話を。宝玉があれば、ガイアを封印し直すことができるかもしれない。私はそう考えて、行動を始めました」
「誰にも言わずにか?」
時雨の問いに、ムルカはバツが悪くなり、言い訳じみた言葉を並べてしまう。
「言えるはずがありません。マリスの元から物を盗む行為に加担すれば、必ずひどい目に会います。今思えば、まだ手を借りる方法はいくらでもあったはずなんですけど、その時は考えられなかったのです。……いえ、みんなにできなくても私ならできる、と勘違いしていたのかもしれません」
ムルカの胸中で後悔のトゲがちくちくと心に刺さり、少しだけ苦しみの表情を浮かべた。
「私はサヴァスさまを助けるために何でもするつもりでした。でも、実際は、『何でもする』という言葉に甘えて、一人で暴走していただけでした。助けるために何でもするつもりなら、真っ先に本当のことを正確に話しておくべきだったと、今は反省しています。本当に、ごめんなさい」
頭を深々と下げる。
誰もが押し黙り、返事はない。
ムルカは顔を上げて、さらに続けた。
「私が今話したことは、正真正銘、本当のことです。もう隠していることもありません。だから、これでやっと、対等だから、今更なんですけど、ちゃんとやっておきたいのです。私に協力してくれませんか。サヴァスさまを助けるために、宝玉を集める手伝いをしてもらえませんか」
ムルカに出来る精一杯の誠意と謝罪であった。
もし断られたらそれも仕方がないと思い、全てを明かした。
『軍団』に関わることの危険性は、テオの一件ですでに味わっているはずである。
無関係な一般人であっても、彼らは簡単に命を奪う。
自分たちは魔人だから人間とは違う、と選民意識を持っている者が少なくないためである。
周囲の者に危害を与えない方法は、関わらないことしかない。
ムルカは、皆の顔を見られなかった。
どんな表情をしているか、知ることが怖かった。
話が終わり、最初に静寂を破ったのは、時雨であった。
「ひとつ、分からないことがある」
「何でしょうか」
「ムルカ、お前は『軍団』の中でどういう地位にいるんだ? 主人のために個人で行動できるだけの権限を持っているということは、それなりの地位についているんだろう。でなければ、処罰があるはずだしな。もし成功したとしても、もう『軍団』には戻れないだろ」
時雨の言うことは的を射ていた。
ムルカは考えることなく、正直に伝えた。
「私は、サヴァスさまの養子として、『軍団』に迎え入れられました」
「つまり、姫、か」
「厳密には違いますけど、そう解釈してもらってかまいません」
時雨はなるほど、と勝手に納得したような素振りを見せ、言った。
「……まあ、俺はお前の理由がどうであれ、手伝うつもりだったからな。今更心変わりもない」
「トキサメ……」
「正直に言うと、ガイアとかいうやつとも戦ってみたいがな」
時雨は冗談めかして言った。
いや、冗談ではないのかもしれない。
しかし、ムルカにとってはいつもと変わらない彼の言葉が嬉しかった。
「私も、そもそも利害の一致があるから、断る理由はない。だが、今後は大事なことを隠さないように頼むぞ。私とて、何でも知っているわけではないのだ。知らないことを知らされないままでは、必ずどこかで齟齬が生まれる。それでは君も困るだろう?」
アリアネは怒っておらず、優しく諭すように言った。
「……はい。ごめんなさい」
「もうよせ。君は充分謝った。私はこれまで通り君に協力する。そこに変更はない」
「はい、あの、ええと、ありがとうございます」
「それでいい」
アリアネが微笑んで言うと、ゴレムが少し笑った。
「仲間に恵まれたみたいだね」
まるで面白い劇でも見たかのように、満足しているようであった。
「……僕はね、最初から君たちに宝玉を渡すつもりだったんだ。本当は意地悪も言うつもりはなかったんだけど、さすがに目に余ったからね。僕が一番心配だったのは、宝玉が悪用されることじゃなくて、宝玉を渡したあと、君たちが仲違いしないかどうか、だったんだ。
喧嘩なんかで宝玉が使われなかったら、渡し損になってしまうだろう? 宝玉を使った結果、成功するか失敗するかはまた別の問題で、使われないことは、これから宝玉を託す僕にとって、一番悲しいことだからね」
「え、じゃあ……」
「貸す、じゃなくて、あげるよ。君たちが好きに使ってくれ。ただ、明日まで待ってほしい。僕にも色々準備があるからね」
ムルカは何度も感謝の言葉を述べ、頭を下げた。
明日の同じ時間にまたここを訪れることを約束し、ログハウスから出ると、外では村長とノームたちが待っており、またしても道案内をしてもらいながら、アンダークレイの村へと戻っていった。
その道中、ムルカは何度も思った。
二人がいなかったら、ここまでたどり着くことすら出来なかっただろう。
二人には返しきれないほどの恩があり、それは今もなお積み重なり続けている。
いつか、全て返せる日が来るだろうか。
彼らは自分一人でも目的を達成できるだけの『力』を持っている。
強さだけではなく、知識や機転、判断能力、その全てが、ムルカに比べて優れている。
では、どうやって彼らに恩を返せばいいのだろう。
(もっと、強くならないと……)
ムルカは心の中で硬く誓った。
いつか、恩に報いるために。
暗く、冷たい地下水の流れる鍾乳洞の中に、大量の魔法道具が積まれている空間がある。
その種々雑多な物の合間に、ひと際目立つ大きな女神像が飾られていた。
水しぶきの当たらない高台に作られた、その秘密基地のような空間で、像の前でひざまずき、祈りをささげる老人がいる。
毛のない頭部を含め、極端に顔色が悪く、暗闇でぼうっと光るその顔はまるで死人のようであったが、その眼だけはまるで子供のように爛々と輝き、生気に満ちていた。
老人の背後から、血にまみれた男が突然現れた。
時雨に一刀で屠られたマケリである。
気絶から目が覚め、懐に持っていた簡易式の回復魔法を使って応急処置を施し、マリスの元へと一直線に帰ってきたのだ。
「マリス様、申し訳ございません。ムルカを取り逃しました」
マケリの額には汗が滲んでいた。
失敗を報告する緊張により、胸の動悸が高鳴る。
マリスはゆっくりと地につけていた膝を上げた。
ただそれだけで、マケリは心臓を鷲掴みにされたような気持ちがした。
失敗した部下がどうやって死んでいったか、何度も見たことがある。
ある者は干からび、ある者は捻り切られ、ある者は突然弾け飛んだ。
自分に関係がなかった時は「馬鹿なやつだ」とただ笑って見ていた。
我が身に降りかかることとして、認識していなかったのだ。
自分だけは大丈夫だ、とどこかで高を括っていた。
しかし、分かっていながら認めていなかったことだったが、想像を超える強さを持つ人間がいると肌で感じ、確かな死を覚悟したことで、これまでマケリの中には無かった『恐怖』という感情が、瓶から溢れ出した水のように、心の中に広がっていった。
「マケリよ……」
マリスが静かに名前を呼んだ。
マケリの背筋に冷たいものが伝っていく。
「ボルボロスは呪いが発動して死んだ。奴は口が軽いからやはり死んで正解だった。敗北者マケリよ。失敗の言い訳を聞く前に、現状を正しく報告せよ。ムルカの協力者はどんな武器を持つ?」
「……武器は剣でしたが、それよりも、どれだけ攻撃しても怯まず、俺、いえ、私のナイフが全く効きませんでした。あれはいったいどんな魔法なのでしょうか」
「どれだけ攻撃しても効かない……。ふむ、東から来たものかもしれんな」
「東から!?」
大陸の東といえば、魔境とすら呼ばれる、αランクの魔物が闊歩する地獄であると言われている。
サヴァスを初めとした神の子らですら手に負えず、西側を支配することしか出来なかった、とマケリは聞いていた。
マケリにとって得体の知れない強さを持つ時雨は、東から来たと言われるだけで、実力差への説得力が生まれるほどであった。
東から来た者であれば、どれほど強くてもおかしくないのだ。
「東から来た者となれば、これほど貴重なサンプルはおらぬ。どうにかして捕えたいところだが、お前はすでに恐怖を覚えてしまった。恐怖を知らぬお前だから呪いをかけずにおいたものを……」
マリスは分かりやすく落胆した様子を見せた。
それを見たマケリは生きた心地がしなかった。
いつ体に異変が起きるか、ただそれだけにしか意識が向いていなかった。
「む。その腰につけているものは何だ?」
「……はい?」
「腰につけておる皮だ」
マリスがさしているものは、テオの顔の皮を剥がして腰につけておいた、マケリのコレクションである。
「これは、ムルカの仲間の者であります」
「ほう……」
マリスは興味深そうに言う。
しめた、とマケリは話を続けた。
「マリス様、これを利用しては如何でしょう。奴らとて動揺すれば隙も生まれます。今度こそ、私が奴らを仕留めて参りましょう」
「ふん。ただのエルフの皮などはすでに足りておる。しかし、動揺か。その案は悪くないぞ」
マリスの様子に、マケリは留飲が下がる思いをし、何とか挽回のチャンスを手にすることが出来そうだ、と安堵した。
しかし、マリスの次の一言が、マケリを絶望へと突き落した。
「だが、失敗した貴様には罰を与える必要がある。耐えることが出来たら、もう一度作戦を遂行すれば良い」
マリスは青い液体の入った小瓶を取り出した。
「これを飲み干せ。なに、毒ではない。耐えられれば、貴様の体はもう一段階高みへあがれるだろう」
それが何であるか聞くのも恐ろしい薬だろう、とマケリは思った。
だからではないが、マケリは、薬を受け取ると同時に、蓋を開き、一気に飲み込んだ。
胃に液体が落ちる感覚とほぼ同時に、身が内側から焼けるような痛みと苦しみがマケリを襲った。
しかし、頭が意識を飛ばすことを許さなかったのは、時雨と対峙した時の不甲斐なさからだろうか。
自覚こそなかったが、燃えたぎるような闘志が沸きあがり、苦痛と混ざり合い、力へと変わっていく。
もう一度戦えば、今度は勝つ。
意地や暗示の類であったが、それがマケリの意識を体から離さなかった。
奴ならこれくらい笑って耐えるに違いない。
呼吸すら難しい灼熱を味わいながらも、マケリは言った。
「お任せあれ……」
マリスは苦痛に耐えながらも闘志を沸かせるマケリを見て、馬鹿にするように鼻で笑った。




