第十二話 辺境伯との会談 その2
それは、王都では何度も聞いたフレーズだった。
かつて王妃プロティアが健在であったころは称賛の言葉として、王妃亡きあとは侮蔑の言葉として使われていたものだ。
ヤルンヴィト辺境伯のそのつぶやきは、どちらかといえば前者の意味を含んでいるように聞こえたエレミアは、すかさず意識を切り替え、その場に片膝を突いて口上を述べる。
まるで、騎士のごとく。
「お初にお目にかかります、ヤルンヴィト辺境伯閣下。アルカディア伯爵家五女のエレミアにございます。このたびは、ユリウス様をご支援くださっている閣下へ、どうしてもお礼を申し上げたく参上いたしました」
エレミアの挨拶が終わるや否や、ヤルンヴィト辺境伯の頬が若干緩んでいた。声音からは先ほどまでの険しさは消え、むしろ心が躍っているように聞こえる。
「お、おお、そうか。その髪の色、もしや、かの王妃に縁があるのか?」
「はい。プロティア前王妃は私の母方の伯母に当たります。ヴィクトリアス殿下、ならびにテトラシウス、アルウィウス両殿下とはあの日まで……親しくしておりました。皆様がたからは娘や妹同然に扱っていただき、とてもよい思い出ばかり残っております」
エレミアとしては別段、かつての王妃や王子たちとの関係を強調する意図はなかった。ヤルンヴィト辺境伯についてあまりにも情報がなく、どこでどんな逆鱗に触れるか分かったものではないからだ。
しかし、ユリウスに矛先が向くよりは、自分に向いたほうがいい。その考えは当たらずとも遠からず、ヤルンヴィト辺境伯の気を引き、あまつさえ同情的な言葉を引き出した。
「その立場は、苦労したであろうな……」
「いいえ、私よりも父や亡き母、婚家を追われた姉たちの無念はいかばかりか。父が私を王都から遠ざけるためにカリシア子爵家へ無理をして嫁がせたというのに、その勤めもろくに果たせぬままでした。ゆえに、ユリウス様の来訪は、私の人生にとってはこの上ない奇貨となったのです」
そこまで聞けば、ヤルンヴィト辺境伯とてユリウスに寛大な対応をせずにはいられないだろう。
エレミアはじっと、ヤルンヴィト辺境伯の次の言葉を待った。ユリウスと二人でヤルンヴィト辺境伯の様子を窺う。
しばし何か考え込んでいたヤルンヴィト辺境伯は、ユリウスへこう言った。
「ユリウス、少し、エレミア殿と話したいことがある。席を外してもらえるか?」
予想外の要請に、ユリウスがちらりとエレミアを見てきた。大丈夫か、断ろうか、と目で伝えてきている。
その不安を払拭すべく、ゆっくりと起立するエレミアは微笑んでみせた。
「私は問題ありませんわ。ね?」
おそらく——ヤルンヴィト辺境伯がエレミアへ危害を加えることはない。話したいことというのは、あの日以来、この八年間であった出来事についてでもあるだろうし、それならば少しでもヤルンヴィト辺境伯について情報収集をしておきたい。
エレミアの意図を察してか、ユリウスは素直に承諾するに至った。
「分かりました。では、外で待っています」
よかった、反対されなかった——ユリウスが広間から姿を消し、エレミアが一安心したのも束の間、今度はヤルンヴィト辺境伯と向き合わなければならない。
その重圧を感じながら、エレミアはヤルンヴィト辺境伯の前へと進み出る。ようやく落ち着いたヤルンヴィト辺境伯はアームチェアを戻し、ようやく座り直した。
先ほどまでの興奮は冷め、ヤルンヴィト辺境伯は重苦しく口を開く。
「儂は中央の政治には疎いが……それでも、あの日の政変の意味はよく知っているつもりだ」
「世間では『三王子の粛清』と言われているそうです」
「前国王の血筋を皆殺しにした王弟が、今の国王というわけだ。馬鹿馬鹿しいことに、王妃から恩を受けていたはずの貴族どもは簡単に王弟へなびき、手を貸した。忌々しい」
深い憎しみすら感じられる口調に、エレミアは気付かされる。
自分以外にも、プロティア王妃と王子たちの死を悲しむ人間がいた。その不名誉な扱いに怒る人間がいた。そして、貴族たちの侮蔑に対する理不尽さに抗う人間がいた。
ヤルンヴィト辺境伯でさえ不満を抱くのなら、エレミアが抱いてきた不満のすべてが正しくないわけではない、と証明しているようなものだ。
心臓に血が通ったように、エレミアの心が熱くなる。今までになかった熱意が、エレミアに生まれようとしていた。
ヤルンヴィト辺境伯はというと、淑女の前で言い過ぎたと思ったのかしおらしくなる。
「こほん、アルカディア伯爵家はむしろ、被害者だな。失敬」
「いいえ、私どもも王妃様たちをお助けするどころか、何もできなかったのですから同罪ですわ」
その返答は予期していなかった、とばかりにヤルンヴィト辺境伯は興味深そうにエレミアを見る。
少なくとも、エレミアとヤルンヴィト辺境伯は同じ感覚を持ち合わせ、かつての王妃と王子たちに対し同じような敬意を持っている。すでに新しい国王の権威が成立した王都では考えられないことだが、そうした目の行き届かない地方ではありえないことではない。
となると——何か、できるのではないか、と希望が生まれる。
「ともかく、ユリウスの坊主は若輩者だが、度胸がある。東の大荒野を何度も抜けてきただけあって頑丈で、護衛としてはちょうどいい。ヴィクトリアス殿下の子にしては粗暴だがな」
「とても勇気があって、誠実ないい子ですわ。私にとっては小さな騎士様です」
「ふっ、そうあってもらわねばな。さて、貴殿だけここに残した理由を明かさねばならぬ。ユリウスに聞かれればややこしくなるのでな、面倒をかける」
「それほどのことを、私ごときにお聞かせくださるのですか?」
聞きたさ半分、ハラハラ半分、何かとんでもないことを言われる気もしているし、かといって今更耳を塞ぐわけにはいかない。
そして、エレミアの予感は当たったのだった。
「エレミア殿。王妃プロティアの再来として、ユリウスと婚約してもらえぬか」




