第十三話 辺境伯との会談 その3
エレミアは平静を保った。どんな状況でも平静を保てるよう、幼少のころからきちんと訓練を受けてきた。
それでも、偉大なる伯母の名と、貴族にとって大事な婚約という言葉、今もっともエレミアが信頼する人間の名を並べられては、心中穏やかではいられない。
ヤルンヴィト辺境伯も、決して仲人気分で提案したわけではなく、やむにやまれぬ事情がある上での解決策として提示したことは、相変わらず重苦しい口調からも明白だった。
「困惑しているだろうが、ユリウス、ひいては国を追われたヴィクトリアス殿下たちをこの国へ戻すために必要なことなのだ。そもそも貴殿は王妃プロティアの姪、赤銅色の髪はこの儂でさえ記憶の彼方からかの王妃を蘇らせたほどよく似ている。賢妻良母であり、美しく素朴であり、であるにもかかわらず当時の王弟アルトリウスの陰謀によって亡き者にされ、最愛の夫と息子たちを最悪の悲劇へ追いやられた王妃プロティアは、現状をどう思っておられるか……想像するだけで、胸がひどく痛む」
それらしく聞こえるが、ヤルンヴィト辺境伯が本当に亡き王妃プロティアを悼んでいるかどうかは、この際重要ではない。
ヤルンヴィト辺境伯からしても、エレミアが彼女を彷彿とさせる風貌であり、すなわちそれは——今の国王の体制になる以前の時代を思い出す象徴として、利用価値が生まれたことを意味する。
「そこで先年、儂だけでなくこの国にいる四辺境伯全員が、現国王アルトリウスの排除を目標とすることで合意した。無論、ユリウスもこのことは知っている。隣国からこちらに来た目的の一つは貴殿の救助だろうが、それ以外にも己が存ぜぬところで担ぎ上げられることを恐れてだろう」
「ユリウス様を……あなたがたは、どうするおつもりですか? 玉座に据え、私を妃とさせ、先代国王陛下の時代の続きを夢見るのですか?」
「ああ。端的にいえば、そうなるだろう。しかし、それ以上のことはせぬ。いや、できないと言うべきか」
エレミアとて、このベルルーニ王国における貴族階級——ヤルンヴィト辺境伯をはじめとする『辺境伯』の位置付けは理解している。彼らは王国の四方、辺境部に配置され、ただそこで防壁の要となり、先鋒の切先となることを求められるからこそ、広い領土で領主を束ねる権威や関税の自由、兵役に関する徴集など、数々の特権が与えられている。
逆に、彼らにはどう願っても持ち合わせられないものもあった。
「我らは辺境伯なのだ。どれほど権威や名声、富を手中に収めようとも、辺境の地を守るために存在する。その領域から出ようとは思わぬよ、礼儀も知らぬ辺鄙な田舎者が王都に居座ったところで笑い者となるだけだ。そこで、ユリウスを王にしたその先の未来は、どうしても貴殿に頼ることとなる」
よく言う。エレミアはヤルンヴィト辺境伯の意図を看破したと同時に、『辺境伯』の限界を知る。
それが、『王国中央政治および貴族への不干渉』をはじめとする諸々の取り決めだ。簡単に言ってしまえば、「極力国内政治には関わるな、王都貴族と婚姻関係を結ぶな」というものだ。あくまで『辺境伯』は辺境の軍事にのみ携わるべき身分階級であり、だからこそ他の貴族よりも特権が多く付与されているのだから、「決してそれ以外のことはするな」、というわけだ。
だが、そんな『辺境伯』も八年前の政変は許せず、しかも現国王アルトリウスは先代国王に比して特筆すべき優れた政治を取っているわけでもなく、簒奪者同然であるためその即位には大義もなかった。そんな国王を戴けるか、と言われれば、王都貴族は金や権力で何とかなっても超がつくほど現実主義者である武門の『辺境伯』には通用しなかった。
変革を求めるヤルンヴィト辺境伯は、身の程をわきまえる、そのあたりのバランス感覚が秀でているようだ。ユリウスを国王へ推挙した暁には、自分の代わりにエレミアを使って王都への影響力を確保するつもりだろう。多少なりとも影響力は衰えるにせよ、自分は大義名分を守っているぞ、と現国王アルトリウスを打倒したあとの批判をかわす狙いがある。
とはいえ、エレミアも操り人形にはなりたくない。そこまでしてヤルンヴィト辺境伯に付き従う理由も、今のところない。
「恐れながら、私には何の才能も、能力もございません。どれほど努力しようとかの王妃のようにはなれないでしょう。その足元にも及ばぬかと」
「なるほど。では、箔を付けねばな」
「箔……?」
「これは、貴殿にユリウスとの婚約を渋られたときの切り札として用意しておいたのだが……エレミア殿、我がヤルンヴィト辺境伯家の養女とならぬか?」
そこまでするのか、とエレミアはヤルンヴィト辺境伯の執念にたじろぐ。
「そうすれば、ユリウスがこの国の中で動き回る大義名分ができる。エレミア殿の命の恩人、ひいてはヤルンヴィト辺境伯家の恩人であり客分という立ち位置とともに、ヴィクトリアス殿下たちを支援することができる。同時に」
「お待ちください。それではヤルンヴィト辺境伯家とて、王都におわす人々からは叛意ありと看做されるのではありませんか? たとえ武門の名家といえども、それは」
「フィンダリアの盟主とはすでに話がついておる。五年も前にな」
「ご、五年も……!?」
「ああ。四辺境伯家がそれぞれ仮想敵とする国境を接する相手と、とっくに話をつけておるのだ。北の蛮族ヴォルヴォイニ、西の海賊クシアス・ヴァンガード、東のフィンダリア同盟、南のエルトマ王朝。その他諸々、大商人や宗教指導者、船乗りから傭兵団に至るまで名の知れた連中はすべて、アルトリウスが潰れて王冠が次世代へ渡ることを了承しているようなもの。表立って積極的に協力する者こそ少ないが、他はほとんど見て見ぬふりをすると約している。それが、この国の現状だ、エレミア殿」
先日ユリウスの用意周到ぶりにエレミアは感嘆したばかりだというのに、ヤルンヴィト辺境伯はそれ以上だ。
(つまり、もう王位奪還の計画は最終段階に近くて、私が断ろうがどうしようが物事は進むし——できることなら関わって、少しでもユリウスの助けとなるなり、私の思うようにするなり選べばいいと、そうおっしゃっているのね……あからさまに恫喝に近いけれど、のけ者にしないでくれる分には温情ある措置かしら)
今のエレミアには、利用価値がある。ただその一点だけで、エレミアはここまでヤルンヴィト辺境伯にいくつかの提案をさせるほど態度を軟化させ、譲歩の余地を生んでいるのだ。
(伯母様に似ているからと、ただそれだけで……嬉しいような、複雑なような)
ともかく、エレミアには思わぬ切り札が手中に入ってきた。そのことは、無力を嘆くばかりのアルカディア伯爵家令嬢時代とも、カリシア子爵夫人時代とも違う。
——力があるなら、精一杯利用して、少しでも望む未来を得たい。
エレミアは、ただその一心だった。
「ユリウス様は、そのことをご存知なのですか?」
「知らせてはおらぬが、おおかた気付いているだろう。あれは賢い」
「そうですね……ええ、そうです」
「それでもユリウスへ直接この話を伝えていないのは、まずは貴殿の意思を尊重しているからだ。同時に、儂もそうしたいと本心から思っている。だが」
含みがある沈黙は長い。
ヤルンヴィト辺境伯はその言葉を口にする決心がつくまで、時間がかかった。
「貴殿は、王妃プロティアに、あまりにも似すぎた」
きっと、あの時代を知る人間にとって、かの亡き王妃の輝きは忘れがたいのだ。赤銅色の髪の貴婦人、夫と息子たちと幸せに暮らす彼女を、異性同性問わず、眩しく思っていた人間は少なくない。エレミアだって、その一人だ。
人間は歳を取ると、過去の栄光に縋りたくなるものだ。自分のものでなくても、その栄光を偲ぶたび、そのころの美しい記憶が蘇る。何度も何度も、再び栄光を手に、その時代を歩むことができる。
エレミアがその心を理解するにはまだ若すぎる。ただ、そういう、人間の心にある過去を懐かしみ、栄光に縋る思いが、本当に存在するのならば——王都の人々には、それがあるのだろうか。確かめてみたい気持ちに駆られる。
エレミアはそんな邪な気持ちを顔には出さず、ヤルンヴィト辺境伯へと承諾の会釈を返した。
「承知いたしました。私が閣下のお役に立てるならば、喜んで」
ヤルンヴィト辺境伯の顔色が明るくなる。エレミアは淑女らしく柔らかな微笑みをたたえ、その喜びようを冷たく見ていた。
あとは少しばかり話を詰め、エレミアは何事もなかったかのように静々と広間から去った。
——どうやってユリウスにこの話を伝えよう? どう伝えればユリウスのためになる?
小さな騎士を裏切らないためにも、その苦悩ばかりが胸に渦巻いていた。
正直に言おう。
どんどんブクマや☆投げていいよ!!!!遠慮しないで!!!!!




