其の五十四 固まった身体
むっとする熱い風に混じり、ひやりとした湿気が触れ合う肌の隙間を掠めていった。
太一は、花の身体で離すまいとばかりにしがみついている。痩せた身体に突如現れる柔らかい胸が、俺のみぞおちに押し付けられた。汗で透けたブラジャーと肌の境界線に、思わず目がいく。
こんな時だというのに、これは花じゃなく太一だというのに、自分の頭の中にはそのことしか詰まっていないのか。我ながら情けなかったが、視線を逸らすことは出来ないままだ。
「宗二、お前は俺が花を川に突き飛ばしたから、だから勘違いしたんだろ!?」
溢れる涙を拭いもせず、太一は必死な面持ちで訴え続けた。
相変わらず叩きつける様に降ってくる蝉の鳴き声が、俺達が立つこの場所が異質である様な錯覚を与えてくる。
だが、それはあながち間違いではないのか。
この場所は、巨大な太一の墓場だ。太一の領域に足を踏み入れてしまった以上、ここは異界へと続く入り口となってしまっているのではないか。
そんな諦めにも似た恐怖の中、俺は太一と向き合うことを余儀なくされている。
ここから出たい。太一も花も全て置き去りにしたら、どうなるのだろうか。焦りばかりが生まれる頭で考えるが、きっとこのままでは花はずっと太一に乗っ取られたままとなる。
そして太一は、俺を逃がす気などない。
「お前、一体いつから……」
掠れた声が出た。そうだ、花の様子は一体いつからおかしかったのか、俺は分かっていない。どこから違和感を覚え始めたのか。記憶を辿ったが、はっきりしなかった。
少なくとも、夕飯の時まではいつもの花だった。母さんと一緒に片付けを手伝っていたが、あんなこと、太一なら絶対にやりはしない。
朝はどうだっただろうか。
太一の質問には答えず、俺は必死で思い返していた。
ぐしゃぐしゃに丸められたタオルケット。花にしては不自然だと思ったが、太一と考えればすんなり納得する。太一は、片付け全般が苦手だったから、太一が汚したものはいつも俺が片付けていた。
おにぎりの具。あれだって、あんなにはしゃぐのは珍しいと思っていた。花でもあんなにはしゃぐことがあるんだな、と微笑ましく思っていたが、あれも太一だったと考えれば不思議はない。
とすると、昨夜はどうだっただろうか。寝る前に、花からおやすみのキスをする話になっていた。だからおかしいと特別思わなかったが、あんなに積極的な花は考えてみたらおかし過ぎる。俺の上に乗り、俺を煽り、触れ、求めて。
まさか、あれも太一だったのか――。
愕然としながら、泣き顔でしがみつく太一を見下ろした。
「もう、昨日の夜から……?」
花の口の中が、異様に冷たかった。驚くほど冷たかった。
そう、まるで死人の様に。
今度こそ、全身が総毛立った。嘘だろう。俺は、死人の、しかも実の兄と交わったのか。嘘だ、冗談だろう、そんなことあっていい筈がない。
顎が、がくがくと小刻みに震える。
太一が、花の泣き顔に笑みを浮かばせた。
「そうだよ、昨日の夜、宗二は俺を抱いてくれた。さっきだって、俺のことを激しく抱いてくれただろ……!」
涙に濡れる花の笑顔は壮絶なまでに艶やかで、この顔を見てようやく、ああ、これが花な筈がないと悟った。
花は恥じらう様に喘ぐ。目を伏せ、照れ隠しに小さく笑う。こんな堂々とはしていない。これほどまでに真っ直ぐな欲望を見せることは、ない。
「宗二、俺、ずっとずっと夢見てたんだ。お前にキスしてお前に抱かれて、お前に笑いかけてもらえることを」
木漏れ日が映り込むその潤んだ瞳にあるのは、純粋な欲情だった。もう、この腕を太一から剥がしたい。なのに俺の身体は一切言うことを聞いてくれず、固く花の身体を抱き締めたままだ。
動け、動いてくれよ――!
脳からの伝達は俺の腕には伝わらず、太一が花の小さな手を解いて俺の両頬に伸ばして挟んでも、それでも動いてはくれなかった。
可愛らしい小さな口が、言葉を紡ぎ出す。
「俺、宗二が俺を殺したこと、怒ってないよ」
ソウジガ、オレヲコロシタ。
一体何を言われているのか、理解出来なかった。俺の脳みそは、身体への伝達だけでなく、言語の意味の理解さえも遮断しようとしているのか。
「……だから、宗二に手伝って欲しいことがあるんだ」
にたり、と涙で濡れた花の顔で笑った太一は、驚くほどの力で俺の頬を下に引っ張ると、ぬるり、とほんのり冷たい舌を俺の口の中に差し込んだ。




