其の五十三 あの日の真実
花の口から飛び出てきた太一の言葉には、ひらすら花を排除しようとする太一の強い意思が感じられた。
花の大きな可愛い目で、挑む様に俺を見つめる。
花の目で、そんな風に見ないでくれ――
思わず一歩後ずさりすると、太一が言った。
「逃げるなよ」
その言葉の意味の強さとは裏腹に、花の声で吐かれたその声色は、行かないでくれと俺に懇願していた。
傍にいて、お願いだから振り向いて自分を見てくれ。
そんな思いがひしひしと伝わり、もう一歩下がろうとしていた足に釘を打たれた様に感じた。
絞り出す様に、吐く。
「逃げ……ないから……」
「言わないと逃げるじゃないか。俺が追いかければ追いかける程、宗二は俺から逃げていく」
ぐうの音も出なかった。その通りだ。俺はいつも太一を疎んじ、花と自分の場所から太一を排除しようと試みていた。たったひとりの兄弟なのに。
「話は終わってない。宗二、ちゃんと最後まで聞いてよ」
悲しそうな笑顔で言われ、まるで俺が花に責められている気分になってしまった。
死んだ筈の太一がそこにいる恐怖はあったが、そもそも、生きている花の身体をここに置き去りにすることなど俺には出来ないのだ。
俺にとって花は守ってあげる対象だ。花の身体がそこにある以上、逃げるという選択肢は始めからなかった。
「……聞く。ちゃんと聞くから、続きを」
「ふふ、随分素直じゃん、宗二」
花の身体をした太一が薄い笑みを浮かべたまま、一歩近付いてくる。
逃げるな、反応するな。
自分の身体に動くなと命令を下す。花は確かに生きてそこにいる。どういう原理で太一が花の中に存在しているのかは分からないが、花の精神まで死んでしまったとは考えにくいし、思いたくなかった。だからきっと、戻せる方法はある。
その為には、太一の話を最後まで聞くのだ。
「……俺は、花をここに置いてきぼりにして、お前の所に戻ろうと思ったんだ」
太一が、また一歩俺に近付く。もう、手を伸ばせば届いてしまう距離だ。
「だけど、宗二の呼ぶ声が聞こえて、花が逃げようとした」
花の奥歯が、ギリ、と嫌な音を立てた。蝉の声に囲まれて、そんな音は掻き消されてしまいそうなのに、実にはっきりと耳まで届く。
太一の想いが消えない様に、太一が発する音は全部俺の耳に届いてしまうのだろうか。
「俺は慌てて花の腕を掴んだ。このままじゃ、俺だけが置いていかれる。お前は花の話しか信じないから、花が泣いてお前の所に行ったら、お前はまた俺のことを冷めた目で見る」
花の声は、泣いている様な苦しそうな声だった。
花の小さな手が、俺の脇にするりと入ってくる。上目遣いの大きな瞳からは、今にも涙が零れそうになっていた。縋る様なその目つきに、俺は跳ね除けることが出来なかった。
「た、太一?」
「宗二は分かんないんだ。あの目を見た時、俺がどんな気持ちになるかなんて」
花の汗ばんだ腕が、汗まみれの俺のTシャツに触れ、俺の胸に抱きつく。
太一なのに、花だ。花が泣いている。だったら俺は慰めなければ――
混乱し、思わずそのままの勢いで花の身体を抱き締めてしまった。
すぐさま、しまった、これは花じゃない、太一だと思ったが、俺の腕は抱き締めたまま動かない。頭ではそうだと分かっているのに、身体が、記憶が勘違いしているのだ。
「宗二、宗二……!」
泣きじゃくる声は間違いなく花のもので、それが余計に俺を混乱させた。俺の腹に当たる柔らかい肉は間違いなく花のもの以外の何ものでもない。涙だって花から出ていて、一見太一はどこにも存在していない。
太一が、俺の胸に埋めていた泣き顔をぐいっと上げた。
「宗二、あれはお前の勘違いなんだ、俺はそんなことするつもりはなかったんだ……!」
「……え?」
勘違い? 一体何のことだ。
また、ひやりと冷たいものが首筋から背中の溝にかけて伝った。
「花を突き飛ばすつもりだろう、花を離せって、お前は俺にむかって怒鳴ったけど、俺はそんなつもりはなかった」
ボロボロと溢れる涙は、花の頬に浮かんだ汗と一緒に下へと流れ落ちていく。
「ちょっと待てよ、よく分かんねえ……」
「ねえ宗二、信じてよ! 俺はただ、花が先にお前のところに行かない様に引き止めたかっただけなんだ!」
太一が、俺にしがみつく様に縋り付いた。
「――なのに」
何も言えない。
振り払えもしない。
「お前は代わりに俺を、ここに突き落とした」
出来るのは、ただ目を見開き自分に縋り付く太一の顔を見つめることだけだった。




