其の四十九 違和感と既視感
我ながら、俺は一体何をやっているんだと呆れた。
山の下で聞くよりも近くて頭が割れそうな音量の蝉の鳴き声で、非現実感が余計に増していた。何も考えるな、目の前の物を貪れと言われている様だった。
考えてみれば、蝉が鳴くのだって相手を探して交尾をし子孫を残す為のものだ。その音に囲まれて欲望のままに欲しても、あながち間違いではなかったのかもしれない。
花はさながら女豹の様で、俺を煽るだけ煽った。大好きな恋人に求められて、健全な身体を持つ男子高校生が誘惑に耐えられる訳もなく、結局は最後までいった。太一が死んだ、この場所で。
全てが終わり、テーブルに座って恥じらうことなくジーンズを上げる花の姿は、もう俺の知っている花ではなかった。
半分溶けた、元は凍っていたペットボトルの水を飲む首は、細くても健康的な色だ。一瞬、それが子供の頃の太一に見えてしまい、どきりとした。
これはきっと、場所の所為だろう。ここは、太一の墓場だ。だから、ここにある何もかもが太一に繋がっている様に思えるのだろう。
くそ暑い直射日光の下、大して風も吹かない場所で暴れたものだから、俺の喉はカラカラだ。生温い飲みかけのお茶を一気に飲み干すと、グシャッと潰してビニール袋に突っ込む。
額の汗を首に掛けたタオルで拭いている花に、聞いた。
「花、今度こそ教えてくれるんだよな?」
花は、微笑みつつも挑む様な目つきで一瞥をくれる。口の端が小さく上がった。
その小さくとも艶やかな口から出てきた言葉は、予想だにしていないものだった。
「ねえ、気持ち良かった?」
花の意図が分からない。前後が繋がっていない。花は勉強は出来なくても、そこそこ口下手でも、相手の話を無視する様なことはしない筈だったのに。
まだバクバクと激しい鼓動を打つ心臓の存在を強く感じながら、花を見つめた。一体、どうしたのだろう。あの恥じらいを見せていた花は、どこに行ってしまったのか。
俺の身体は素直に反応してしまったが、心は明確な違和感を覚えていた。やはり、昨夜からおかしい。
おやすみのキスをしろと言ったのは自分だ。だから、そうすべく努力して積極的に振る舞ったと思っていた。俺の上に乗って来ても、珍しいなとは思ったが、そこまで違和感は覚えなかった。
照れ臭そうにしている様に見えたからだ。そうだ、花はまだ起きている筈の俺の家族に聞こえない様、小声で喋っていた。だからそう思えたのだ。
考えてみれば、単純な理由だった。俺の脳みそが、花が小声の時は照れていると、これまでの経験から勝手に思い込んでしまったのだろう。
この場所には、誰もいない。小声で話す必要もなく、むしろ蝉の声に負けない様、声を張って会話しなければ聞こえづらい。だから花は遠慮している様に見えなかったのだ。
昨日からずっとおかしかったのに、思い込みの所為で今の今まで気付こうとしなかった。
声が、震えた。
「なあ花……? お前一体どうしたんだよ?」
おかしい、おかしいのだ。自分の感想すら照れて満足に言えない花が、俺にどうだったかなんて聞ける筈がないのに。
花の顔から、笑みが消えた。
「聞いてるのはこっちなんだけど。気持ち良かったの? 良くなかったの?」
温かみのない声色に、とにかく返事をするのが先だろうと慌ててこくこく頷く。
「き、気持ち良かったよ、勿論」
ここがどこかなんて忘れる位には、我を忘れた。だけど、花はどうしたんだ。付き合いたてで俺が遠慮なくガンガン攻めたから、ネジが一本外れちまったのか。
――耐え切れず、かつての俺の様に別の人格の殻に閉じこもってしまったのか。
「なら良かった」
花が薄らと笑う。これまでに見たことのないその表情を見て、既視感を覚えた。
「じゃあ行こうか」
ぴょん、とテーブルから飛び降りると、花は山との境界線にある柵の方へと向かって行った。




