最終話
ロード家別邸。
王都にあるこの別邸は普段は社交シーズンにしか利用されず、閑散としている。
しかし今この時、社交シーズンでもないのにロード家、そしてカースタ家からひっきりなしに訪れる人でにぎわっている。
その理由は一つ。
新たな命の芽吹きが訪れたからである。
「あああぁぁぁああ!!」
「あらあら、どうしたの?」
新たな命。
泣き始めた我が子を胸に抱いたミリアが、よしよしとあやす。
「奥様、それは私たちが…」
「ごめんなさい。でも、今はできるから、やらせて?」
「……では、何かあればすぐにお声掛けください」
「ええ」
奥様と呼ばれたミリアは、再び我が子に目を落とし、何が原因かと探り始める。
初めての子育てに苦労も多いが、ロード家の侍女たちを中心に皆が支えてくれるので何も心配はいらない。
学園を卒業したミリア。
同時に卒業したルッツは、騎士見習いとして王都へ向かうこととなった。
今すぐにでも結婚したいルッツだったが、先約がいた。
アーノルドとヴィオーネだ。
アーノルドとヴィオーネは無事に結ばれ、ヴィオーネの卒業と同時に式を挙げた。
そこに妹のミリアの結婚式まで短期間で続けるわけにはいかない。
侯爵家にして資産家のカースタ家ともなれば、その準備は膨大だ。
せっかくの祝い事を立て続けに行うのももったいない。
ルッツとしても、騎士見習いのままよりも、れっきとした騎士としてミリアを迎えたいという想いもあった。
かくしてその1年後。
めでたく騎士となったルッツと、ミリアの結婚式が行われた。
重い花嫁衣装も、ルッツに鍛え上げられたミリアには造作もない。
その前でこんな衣装を着たら、歩くこともできなかっただろうなと苦笑した。
そして二人は結ばれた。身も心も。
そのころには、医師からも出産には問題ないだろうと太鼓判までもらっていた。
むしろこのまま鍛えてどこにいくつもりだと呆れられるほどだった。
何もかも準備を整えたミリアにはもう迷いはない。
ルッツも、医師のお墨付きをもらったことでようやくミリアを抱くことができた。
この結婚によってミリアは正式にロード家の一員となった。
本邸で暮らすことも提案された。
が、肝心のルッツが騎士として王都勤めなため、ロード家の別邸に住むようになったため、迷わず一緒に住むことを決めた。
もちろんそこにはロード家の使用人がいたが、ミリアはルーミアだけは一緒に連れていった。
この世界に生まれ変わってから、片時も離れなかった侍女にして親友。
その彼女に、是非ともロード家夫人となってからもついていて欲しかった。
そんなルーミアの返事は以下。
「特別給付金10年分で手を打ちましょう。ルッツ様の出世払いで」
これにはルッツも顔を引きつらせたが、了承した。
カースタ侯爵から借金して支払い、いずれルッツが返す予定だ。
相変わらずな侍女だが、色々な面で彼女がいるのは心強い。
そして、ミリアはめでたく妊娠した。
そのときのルッツの歓びようといったら、ルーミアが投げ飛ばして黙らせたほどだ。
同僚の騎士からも喜びが溢れすぎて五月蠅いと苦情が湧き、騎士団長に制裁を喰らわされたとうわさで聞いた。
そんな騒ぐ旦那様では母体に悪影響が出ると、侍女一同ルッツを別邸を出禁にした。
泣いて謝るルッツに一晩で解禁となったが、ミリアも分からないでもない。
妊娠がわかったとき、ミリアは静かに涙を流した。
溢れんばかりの歓喜に身体は動くことすら忘れ、喜びの涙を流すのが精いっぱいだった。
やっと夢がかなう。
それも、最愛の人との愛する子供が。
その後、すくすくと成長していくお腹に期待と不安が入り混じるも、支えてくれる家族や侍女のおかげでほどなく第一子を出産した。
ミリアと同じく、黒髪黒目の女の子だった。
母子ともに健康という医師の太鼓判付きだ。
ルッツに殺されるかと思った特訓の日々は無駄ではなかった。
喜んだミリアの父は早速、国内の有名画家にミリアと娘の肖像画を描かせた。
その出来栄えに満足した父はカースタ家の屋敷に飾っているそうだ。
母は泣いて喜んだ。
孫をその手に抱いた姿に、ミリアはようやくこの世界での両親に恩返しができたような気がした。
娘の誕生からひと月。
今ミリアは、母の歓びと苦労を身にしみて感じていた。
「おっぱい…じゃないわね、おしめかしら?」
侍女たちの協力のおかげで、娘の世話は日中のみ。
夜は夜勤体制の侍女たちのおかげで眠ることができる。
おしめを換えて落ち着いた娘はそのまま眠ってしまった。
その娘を、休日の旦那様がやさしく抱っこした。
「すまないな、あまり手伝えなくて」
「いいのよ。みんな頑張っているんですもの」
騎士になりたてのルッツはまだまだ新人扱い。覚えることもできなくてはならないことも山積みだ。
家庭にまで目を向けろというのはさすがに酷。
それでも、こうした空き時間にはなるべく娘と……そしてなにより、愛する妻の下にいることを望んだ。
娘と、それを抱きかかえる夫。
まさしく夢にまで見た光景だ。
何もできなかった後悔ばかりを抱えて死んだ前世。
生まれ変わっても、一度死んだ体から動けるようになるまでに1年もかかった地獄の日々。
それらすべてを乗り越えたからこそ、今ここがある。
すべてがあるからこそ、今がある。
ただつらいだけの過去ではなかったと、今だからこそミリアはそう思えた。
「ミリア」
「なに、ルッツ?」
夫からの呼びかけに、ミリアは自然と柔らかく微笑んだ。
「幸せそうだな」
「幸せそう、じゃないわよ」
ルッツの言葉を否定する。
そうだろうと思ったルッツは、ニヤリと笑みを浮かべる。
「じゃあ何だ?」
「幸せ、なの」
ルッツに寄りかかると、その肩に頭を乗せた。
鍛え上げられた体躯は、こうして密着すると服の上からでもわかるほどにしっかりしている。
体重をかけても全くぶれないその体に、改めて頼もしさを感じた。
ふと、髪に何かが触れる感触がした。
見上げればこちらを見下ろすルッツの顔。
「そっちじゃないわ」
肩に手をかけ、身体を伸ばし、顔を寄せる。
眠る愛娘の上で、二人は口づけを交わす。
「愛してるわ、ルッツ」
「俺もだ、ミリア」
――完――