道中でのトラブル
王都を出たミレイナは、東へ向かう街道を歩いていた。
足元の石畳は夜露に濡れ、歩くたびに靴底がじわりと湿った。
夜明けの空は霞み、遠くへ続く道をぼんやりと照らしている。
道の両脇には、背の低い草が風に揺れていた。
ところどころ、小さな白や黄色の花がまばらに咲いている。
道沿いには、石を積み上げた粗末な囲いと、手入れの行き届かない畑が散在していた。
畑には細い作物がまばらに立ち、土は乾いてひび割れている。
遠くには低い丘が重なり合い、かすかな霧がその輪郭をぼかしていた。
すれ違う人影はほとんどない。
まれに、荷を積んだ馬車が軋む音を立てながら通り過ぎるだけだった。
空には薄い雲が広がり、太陽はまだその奥に隠れていた。
街道も、周囲の景色も、灰色に沈んだまま静かに続いている。
歩き続けるうちに、足元は次第に泥混じりになっていった。
石畳はいつの間にか途切れ、むき出しの土と砂利に変わっている。
革靴の底に、じわじわと湿った土が貼りついた。
一歩ごとに足が重くなり、呼吸も浅くなる。
空腹はとうに限界を越えていた。
鞄の中には、もうわずかに乾いたパンしか残っていない。
それでも、ミレイナは足を止めなかった。
どこかへたどり着くために、ただ歩き続けた。
両側に広がる景色は、次第に荒れていった。
畑は消え、草地さえもまばらになり、地面は乾いた黄土色に染まっていた。
低く重なる丘陵の向こう、遠くに薄い影が伸びている。
それが何なのか、ミレイナにはわからなかった。
ただ、進む先に何かがあることだけは、ぼんやりと伝わってきた。
風は冷たくなり、頬をなでるたびに、乾いた砂を巻き上げた。
ミレイナはマントの端をきつく握り、顔を伏せた。
身体はすでに思うように動かず、歩幅も次第に狭まっていった。
それでも、引き返すという選択肢はどこにもなかった。
丘を越えた先に、わずかに上り坂が見えた。
街道は細くなり、踏み固められた土の上に小石が散らばっている。
道の両側には、低い茂みと、乾いた草がまばらに広がっていた。
ここを越えれば、もう王都には戻れない。
そんな考えが一瞬、頭をよぎったが、すぐに消えた。
ミレイナは、小さく呼吸を整え、坂を登り始めた。
足元は不安定だった。
滑る石を踏みしめながら、重たい体を引き上げる。
手を伸ばせば、乾いた枝に触れる。
葉はほとんど落ち、細い幹だけが風に揺れていた。
坂を上りきったとき、前方に視界が開けた。
遠く、草原が広がっていた。
ぽつりぽつりと明かりが灯り、かすかに煙が立ち上っているのが見えた。
そのさらに先、粗削りな石積みの城壁が、夕暮れの影の中にぼんやりと浮かんでいる。
ミレイナは、立ち止まったまま、しばらくその景色を見下ろしていた。
それが、異国――ルヴェリア帝国だった。
胸の奥に、冷たいものが沈んでいく。
それでも、何も考えずにいられるほうが楽だった。
街道は、ゆるやかに丘を下り、草原へと続いていた。
日が沈み、空は鈍く色を変えていった。
風が冷たさを増し、裾を翻して吹きつける。
ミレイナはマントを深くかぶり、歩き出した。
草原を渡る風は、ひたすら乾いていた。
どこからか犬の吠える声が聞こえる。
それもすぐに風にさらわれていった。
街に近づくにつれ、道はわずかに広がり、踏み固められた土が続いていた。
街の入口は、背の低い木製の門だった。
門番らしき男たちが立っていたが、特にこちらに注意を払う様子はなかった。
ミレイナは視線を伏せたまま、静かに通り抜けた。
夜が明けきらないうちに、ミレイナは広場を後にした。
どこかで一夜を明かした人々が、早朝の市場へと向かっていく。
その流れに紛れ、小さな体を目立たぬように動かした。
だが、狭い裏路地に入ったとき、背後から気配を感じた。
振り向く間もなく、腕をつかまれた。
乱暴ではなかったが、有無を言わせぬ力だった。
見上げると、粗末な外套をまとった男たちがいた。
無言のまま、ミレイナを囲み、どこかへ導くように歩き出す。
声を上げることもできなかった。
逃げようと考えるよりも早く、体が強ばっていた。
路地を抜け、大通りに出たころには、馬車が待っていた。
見たこともない、泥で汚れた荷馬車だった。
無理やり押し込まれることはなかった。
だが、逃げ場はどこにもなかった。
ミレイナは、促されるままに乗り込み、背中で扉が閉じられる音を聞いた。
馬車はすぐに動き出し、振動に合わせて体が小さく揺れた。
窓の外には、もう街の喧騒も、人の気配もなかった。
行き先も、これから起きることも、ミレイナには何一つわからなかった。
ただ、小さく膝を抱え、冷たくなった指先を握りしめることしかできなかった。