53 ロアンナに足りないもの
『というわけなんです!』
そう言ったライズは、勢い余って今にもロアンナの顔にのめり込みそうなほど近い。
ロアンナは、自身の頰に指をそえながら、ライズの報告を改めて整理した。
『ライズさんの考えでは、私の両親も何者かに体を乗っ取られている可能性がある、ということなのね?』
『はい! 確証はありませんが、偶然で片づけるには違和感がありすぎるかと』
ライズの短い腕が、勢いよくピッと上げられる。
『そもそも、英雄の末裔の証拠である黒髪の人間が少ないんです。それなのに、俺がこうして体を乗っ取られているうえに、失踪中のロアンナ様のお父様に激似の方が盗賊をしているなんて、おかしくないですか?』
『そうね……』
ライズの予想があたっていれば、幽霊になった両親を見つけ出し、奪われた体を取り戻せば助けることができる。
ロアンナの胸の内に、希望が芽生えると同時に不安も広がっていく。
『もし、そうだとすれば、とても嬉しいわ。でも、確証はないのでしょう?』
『はい、これらはすべて俺の仮説です』
『証拠がないことを思い込むのは、とても危険な気がするのだけど?』
ロアンナの問いにライズは、両手をピョコピョコと動かした。
『その通りです! なので、俺の仮説を信じる必要はありません。えっと、これは俺のじいちゃんの教えのひとつなのですが……』
ライズの祖父は、異世界から召喚されて魔族との戦いに勝利を納めた英雄だ。すでに亡くなっているが、生前は孫のライズを可愛がり、役立つ知識をいろいろ教え込んでいたらしい。
『それは【たてた仮説を潰せ】です』
『潰す?』
『はい、何か問題が起こったとき、それを解決するために、まず仮説を立てるんですね。そして、それが正しいか正しくないかを調べるために、思いつく限りの行動をしていきます。その結果、問題の幅が狭まってきたり、答えを導き出せたりするんですよ』
分かるような分からないような説明に、ロアンナは小首をかしげた。
『ライズさん、それを一言で説明すると?』
『黒髪の盗賊を捕らえましょう!』
『分かったわ』と微笑むロアンナに、エリーが近づいてきた。
「ロアンナ様、入浴の準備が整いました」
ライズと声を出さない会話をしている間に、エリーによって、宿の部屋が快適に整えられている。
「ありがとう。エリー」
嬉しそうに微笑むエリーは、この宿に着く前に「浴槽があればいいのですが」と言っていた。
「エリー、先に入浴していいわよ」
そう声をかけたロアンナに、エリーは瞳をまたたかせる。
「ほら、宿に浴槽があるか気にしていたでしょう?」
「ああ」と納得した後、エリーはロアンナの耳元に顔を寄せた。
「あれは、ロアンナお姉様に入浴してほしかったからですよ。お姉様、お湯に浸かるの大好きでしょう?」
(入浴は、実家のクラウチ侯爵家での習慣だけど……)
好きか嫌いかでいうと、好きだった。
王都の王太子宮にいるときも毎日のように入浴していたので、エリーが気を遣ってくれたようだ。
(私のためだったのね)
綺麗にまとめたピンクブロンドの髪を撫でると、エリーはニッコリと笑う。そして、すぐに専属メイドの顔になった。
「ルルには、先に休憩してもらっています」
「あなたも休憩してね。私は部屋から出ないから」
「はい」と言いつつ、エリーは入浴を手伝おうとする。
ロアンナは、そそくさと部屋から出ていこうとしているライズに、声を出さずに心の中で話しかけた。
『ライズさん』
『は、はい?』
ライズは、服を脱ごうとしているロアンナを見ないようにしているのか、こちらに背を向けている。
『そういえば、将たる者の心得の話。あれの続きを教えてほしいのだけど』
『えっ!? い、今ですか?』
『そうよ。入浴が終わったら、これからの予定を話し合いたいわ。だから、今のうちに』
衣類を脱いでからお湯に浸かると、ロアンナの口からホッとため息が出た。
(長旅で疲れていたみたいね)
水面にロアンナの黒髪が浮かんでいる。エリーは、それを手ですくうと丁寧にブラシでとき始めた。髪を洗ってくれるようだ。花のオイルを使うようで、いい香りが辺りに広がる。
ロアンナが目をつぶると、ライズの落ち着いた声が聞こえてきた。
『ソンシ《孫子》の兵法には、将というものは、智・信・仁・勇・厳の五つを備えていなければならないと書かれているんですね。ものすごく簡単に説明すると――』
【智】は洞察力や判断力、【信】は誠実さや信用力、【仁】は思いやりや情け深さ、【勇】は決断力や実行力、【厳】は公正さや厳格さ。
詩の朗読のような聞き心地に、ロアンナは聞き惚れてしまう。
『いい将になるのは、難しいのね』
『ロアンナ様は、そのままで素晴らしいです!』
力いっぱい肯定してくれた、その丸い背中は真っ赤に染まっている。ロアンナは、首をかしげた。
『ライズさん?』
『は、はい!』
声がうわずっている。
『もしかして、私は今、あなたを困らせてしまっているかしら?』
『あっいえ、その……。はい』
ライズの体が、しょんぼりするようにしぼんでいる。
『で、できれば入浴中の会話は、やめていただければと……』
『そうなの?』
上位貴族は、人に囲まれ世話をされることが多い。さらにロアンナは、どこにでも幽霊の視線があるので、人から見られるという感覚に鈍感だった。
(そういえば、前に私の着替えを見たとき、私じゃなくてライズさんが悲鳴を上げていたわね。それに、ライズさんは貴族らしい生活をしていなかったとも言っていたわ)
ひとり暮らしで、自分のことは自分でしていたらしい。そんなライズからすれば、入浴に付き合わせるなんて、信じられない行為かもしれない。
(私ったら、ライズさんの気持ちも考えないで、悪いことをしてしまったわ)
『なんだか、ごめんなさいね? 服を着たら呼ぶから、外で待っていてくれるかしら』
ライズは、『う、うう』と情けない声を出しながら、フラフラと飛んでいった。
(とりあえず、私がいい将やいい主になれるかはさておき……。ライズさんにお友達と思ってもらうには、恥じらいを意識したほうが良さそうね)
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