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テンゴク  作者: 和尚
第3章 異世界でもダメ、ゼッタイ
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第49話 炎の教会



「一体……何、が……!?」


 目を覚ましたシスター・シャーリーの目に飛び込んできたのは……わけのわからない光景だった。


 場所自体は、見慣れた教会の風景だ。礼拝堂から少し奥に入ったところにある、食料や雑貨類を入れておく倉庫。あまり広くはないが、時々子供たちが入って遊ぶこともある場所。


 もちろん、彼女も1日に何度も出入りする場所だ。今まで何度利用したかなど、数える気にもならない。

 だから、この場所自体は何も問題ではない。起きたらここにいた、というのは少し不思議だが。


 問題は……その倉庫が、轟々と燃え盛る炎で包まれ、今にも自分達がそれに巻かれ、焼かれて死んでしまいそうになっている、今のこの状況の方だ。


(どういうこと!? 何で……何でこんなことになっているの!? そ、そもそも私は何でこんなところで寝て……それに、こ、この子たちも……いつ教会に!?)


 そして周りを見れば……この燃え盛る倉庫の中にいるのは、自分1人ではなかった。


 周りにいるのは全員、顔見知りの孤児達だった。炊き出しの時や、それ以外にも暇なときに教会に来て、色々と手伝ってくれる、気の置けない仲の小さな知人たち。


 見たところ……彼ら彼女らの中でも、リーダーのような立ち位置に居る1人を除いた全員がそろっているようだった。

 全員……床に寝転がっている。眠っている者もいれば、寝ぼけ眼でうとうとしている者もいる。


 そして……数は少ないが、意識が比較的はっきりしていて……それゆえに、自分達の置かれている状況に、恐怖し、あるいはパニックになって怯えている者もいた。


「な、何……何……!?」


「ここ、教会……し、しすたぁ、何で、何で燃えて、燃えて、何で……?」


「うええぇぇえ……あ、熱いよ、怖いよぉ……!」


(……やっぱり、この子たちも何で自分がここに居るのかわかっていない……。い、一体何がどうなってるの……い、いや、そんなことより、早く逃げないと!)


 次から次へと疑問は浮かび上がってくるものの、それに答えを出している暇はない。

 ぼーっとしていれば、数分……いや、数十秒もしないうちに、炎か煙に巻かれて命を落とすのは目に見えている。


 ……もっとも、今からどう動いたところで、ここに居る全員を助けられるかと問われれば……はたしてどうか。シャーリーは、その残酷な事実にもまた、気づいてしまっていた。


 子供たちの大半は眠っている。起きている子も、半分は寝ぼけ眼で、もう半分は恐怖でまともに思考が動いているとは思えない状態。

 そんな中、自分1人の手で、20人以上いるこの子供たちを避難させることは……不可能だ。


 さらに悪いことに、シャーリーは、自分の体がなぜか上手く動かないことに、そしてこのような状況下にも拘らず、まだ今一つ頭の回りが悪いことに気づいていた。


 寝起きだから、などという問題ではないし……そもそも、自分を含むこの全員がこの場で寝ている、という状況そのものが異常極まりない。


(薬か何かで眠らされた……? 私も、この子たちも……でも、誰が、何のためにこんな……だめだわ、体が上手く動かない……頭も、まだぼーっとして……っ)


 シャーリーは必死で体を動かそうとするが……まるで風で高熱が出ている時のように、ふらふらとその足取りはおぼつかない。バランスを崩して、転びそうになるが、寄りかかろうにも壁は燃えている。中腰で重心を低くし、膝に手をついてどうにか耐えていた。

 

 全く把握できていない状況はまず置いておいて、ひとまずここからの脱出を最優先に考えようとするシャーリーだが、こんな状態では、自分1人の避難さえ難しいと言わざるを得ない。まして、子供たちを見捨てるなどという選択肢は、彼女にはなかった。


 だが、それならどうする、という代案もない。

 時間がないことに焦るシャーリーは……ふと、出口の方から何か聞こえた気がした。


 出口と言っても、当然のように炎に巻かれており、煙も流れ込んできていて、あそこを通った方が寿命が縮みそうなほどに危険ではあるが……そこにシャーリーが目を向けた瞬間、


「っ、ぁぁああぁ―――ぁぁあああ!!」


 バキィッ、と……半開きになっていた(そして半分焼けて炭化していた)扉を、勢いよく体当たりして破壊して突っ込んできた者がいた。


 その音に、シャーリーと、他数人の子供たちがびくっ、と体を震わせ、発生源を見る。

 そこにいたのは……この孤児たちのグループの中で、ただ1人いなかった少女。


「シスター! 皆も……無事!?」


「レオナ……ちゃん……!」


「「「レオナお姉ちゃん!!」」」


 体は煤まみれになり、所々に擦り傷や火傷の跡まで見られる、レオナがそこにいた。

 状況からして、おそらく……自分たちを助けるために、この炎の中を突っ切ってここまで来たのだろう、とシャーリーにはわかった。


「何で、ここに……いえ、それはいいわ……! 逃げなさい、レオナちゃん! ここも、もうすぐ……炎が回って、もう……!」


「そりゃ逃げるよ! けど、私だけとかじゃないからね、皆も、シスターも一緒にだよ!」


 そう言い切ると、レオナは、まだ寝ている子供たちの頬をひっぱたいて、やや乱暴に起こし始めた。だが、やはり普通に寝かされたのとは違うのだろう、それでも起きない子の方が多い。

 時折、周囲の様子を気にしながらだが、その作業をやめる様子はない。


 その代りにではないが、シャーリーは徐々にというべきか、とうとうというべきか、炎がこちらに向けて迫ってきているのを目視で確認して、もう一刻の猶予もないことを悟る。


「ダメよレオナちゃん、間に合わないわ! 炎や煙がもう……その前に逃げないと……」


「何言ってんの! やだよ、皆を見捨てて逃げるなんてことできるわけないじゃん! 何のために私、この熱い中ここまで走ってきたと……絶対嫌だからね、絶対、絶対皆で逃げるんだから!」


 レオナが言い終わるか終わらないかのうちに、バキバキバキィ、という、不吉極まりない音が、入り口の向こうから聞こえた。同時に、黒煙とは違う……土埃のようなものが、わずかだが巻き起こっているのが、シャーリーから見えた。


(炎や煙の前に、教会が崩れる可能性もある……! もう、時間がない!)


「レオナちゃん! もう時間が……あなただけでも! 窓からなら、まだ出られるわ!」


「嫌! 皆を見捨てるなんて、やだ! 私、だって、私には……こいつらしか……! こいつらと、シスターしか……皆がいなくなったら、私っ……!」


 喉の奥から絞り出すように、悲痛な叫びを響かせるレオナ。


 その気持ちが、シャーリーにはよくわかる。


 彼女も必死なのだ。孤児であり、血のつながった家族のいない彼女には……グループの仲間たちが、ここにいる、孤児たちこそが家族であり、全てなのだ。

 だから、失いたくない。もし彼女達を失ってしまえば、今度こそ彼女は1人ぼっちになる。


 けれど、このままでは間違いなく間に合わない。彼女も死ぬ。ここに居る全員が死ぬ。


 シャーリーも、出来るなら全員助けたい。だが、もうそれは無理だとわかってしまった。

 さっきの土煙からして、もうさほど時を置かずに、この建物は崩れ落ちるだろう。というか、既に一部は崩れ落ちていると見るべきだ。


 薬で眠らされ、まだその影響が抜けていない。体もうまく動かない自分達では、この炎の中を……多少の火傷を覚悟したところで、抜けることはできないだろう。


 なら、せめて助かる者だけでも……レオナと、できれば、彼女が抱えて逃げられるような子、1人か2人だけでも……そんな風に考えてしまった彼女を、誰も責められないだろう。


「お願いよ、レオナちゃ…………!」


 何度目になるかもわからない呼びかけを発したその時、シャーリーとレオナの頭上から『バキバキッ』という音が聞こえた。聞こえてしまった。


 反射的に、2人が上を見上げると……そこには、焼け落ちて崩れ、支えを失い……結果、重力に従って落下してくる、倉庫の天井の一部が。

 板張りの部分だけでなく、かなり太い梁や柱のようなものまで。当然、燃えている。


 1~2秒後には、落ちて来たそれらが、レオナに直撃して彼女を押しつぶすだろう。シャーリーにも、レオナ自身にも、それがよくわかった。


「あ―――」


 死の瞬間、人は時間がスローモーションに感じることがある。

 そんな、迷信程度にしか思えていなかったことを、レオナは現実に体感し……妙に冷静に、それを受け入れている自分に気づいた。


 同じ感覚の中で、これまた反射的に……シャーリーは、レオナを抱きしめて庇おうとする。

 しかし、薬の影響でうまく動けず、その場に転んで倒れることしかできなかった。


 それに気づいたかどうかはわからないが、レオナは、迫ってくる死を前に……自然と、口が動いていた。

 表情の抜け落ちた顔から察するに……彼女自身、意図して発した言葉ではないのかもしれない。音量も小さく、すぐそこに倒れていたシャーリーにも聞こえなかったほどだ。


 それでも、


 彼女は……はっきりと、最後の瞬間……その名を呼んだ。




「カロン……さん……」




「―――こんな場面で名前呼んでもらえるとか、オイラも多少よく思われてんのかね?」




 死が目前に迫った恐怖からか、はたまた熱気と酸欠によるものか……意識を失う寸前のレオナの眼前で……


 横合いから割り込んできたカロンの飛び蹴りが、瓦礫を全て一撃で消し飛ばした。


「―――ぇ?」


 そして次の瞬間には、眼前に着地したカロンと目が合っていた。

 今、無意識のうちにその名を呼んだ……ここに居るはずのない、自分の恩人と。


 恩人は……助けてくれた時と同じ、優しい笑みを自分に向けていた。

 ぽんぽん、と、頭を軽く……なだめるように叩かれる感触が、レオナには心地よく思えた。


「とりあえず簡潔に。もう大丈夫だ」


 その言葉が、じんわりと脳に浸透していく中で……恐怖と緊張が限界に達してか、はたまた安堵からか……あるいは、単に炎の熱と酸欠ゆえにか……レオナは、眠るように意識を手放した。

 カロンに、その身を抱き支えられながら。




(間一髪、ってとこっすね)


 抱き留めたレオナの、安らかな顔を見ながらカロンは心の中でつぶやいた。


 今の状況……依然として炎の中に取り残されているこの光景を見れば、いっそ場違いなほどに安らかな寝顔だ。今この瞬間に焼死、あるいは窒息死や圧死してしまってもおかしくないのに。

 自分を見てそれだけ安心したのだろうかと思うと、カロンは少し不思議な気分になった。。


 カロンはレオナを抱え上げると、同様に周りの子供たちもひょいひょいと抱え上げる……というか、つまみあげ始める。


 孤児たちは軽くて小柄な子が多い。一度につかめる人数にはさすがに限度があるとはいえ、カロンの筋力をもってすれば、数人まとめて、というのも余裕だった。


 そしてカロンは、そのまま、レオナを含む子供たちを……一か所にまとめて集めていく。

 おしくらまんじゅうのように、身を寄せさせて寝かせていく。


「ちょ、ちょっと……ちょっとあなた!?」


「うん?」


 そこでカロンは、レオナ以外にも意識を取り戻している者……わずかな人数の子供と、以前にもあった、ここの職員であろう、年若いシスター……シャーリーに気づいた。


 シャーリーはというと、突然現れて謎の行動をとり始めたカロンに対し、まず何と言えばいいのかわからずにいる。


 たった今、レオナを助けてくれた。とりあえず、自分達に害をなす意図はなさそうだ。

 そもそも、よく見れば見覚えがある。以前、レオナを訪ねていたことがある人だ。あの時はもう1人……ダークエルフと思しき男性が一緒だったが。


「あ、あの……レオナちゃんを助けてくれて、あ、ありがとう……」


「ん? ああ……どういたしまして」


「や、で、でもその! は、早く逃げないと! もう時間が……炎が、煙が……さ、さっきみたいに建物が崩れてくるかもしれなくて……あ、あなたなら、一人でも多く!」


「あー、もう無理っすよ。通路はもう火の海だし、煙も充満してるし……つか、最早通路の形してなかったっすから。オイラみたいに、火に焼かれても平気な体でもなきゃ、絶対死ぬっす」


「そ、そんな……!」


 分かりやすく絶望を表情に浮かべるシャーリーだが、その後すぐに、ならばこの人は何をやっているのだろう、という疑問にたどり着く。


 先程からカロンは……子供たちを1か所に、というか、自分の周りに集めている。

 一体何の意図があってこんなことをしているのか、皆目見当もつかない。


(そういえばさっき、レオナちゃんに『大丈夫』って……ただの気休めでなければ……いや、そもそもわざわざこの人がここに来たんだし、助かる方法がある? でも、どうやって……)


「シスターのお姉さん、あんたもなるべく近くにっていうか、くっついてもらえます?」


「あ、はい……でも、何を?」


「こうするんすよ」


 シャーリーを含めて全員がひとところにまとまったのを確認したカロンは、床に手を当て……次の瞬間、そこから噴き出した炎が、一瞬でカロンを、レオナを、シャーリーを、そしてそこにいた子供たち全員を包み込んだ。


 驚いて、しかしとっさには動けずに、その炎にさらされるシャーリーたちだが……すぐにおかしいと気づく。

 

(熱く、ない……?)


 間違いなく、自分達は炎にさらされたというのに。というか、今もこうして炎に包まれているというのに……熱くない。体や服が燃える気配もない。

 それどころか……気のせいでなければ、まるで、この炎に包まれることで、守られているような……優しく、温かい感触が伝わってくるのだ。


「この炎の結界の中から出ないよーに。じゃないと守れないっすから」


「結界……この中にいれば安全、ということですか?」


 結界と聞いて、シャーリーはカロンの意図に予想がついた。


 結界、障壁、バリア、シールド……言い方は色々とあるが、要するに、外的要因から身を護る防御手段だ。つまり、この炎は、周囲の熱や、さっきのような崩落から、自分達を守ることができるシェルターとして、カロンが形作ってくれたのではないか、と。


 そう問いかけるも……カロンは『あー……』と、少し言いよどむようにした。


「半分正解、ってとこっすかね」


「半分、ですか?」


「この結界は、そこまで強力というか、万能じゃないんすよ。魔法的な防御力は割かし高いんすけど、物理的な……それこそ、建物がくずれてくるのとかは、ちょっと。そもそも、酸素とかもうそろそろなくなるし。ああでも大丈夫っすよ、ちゃんと全員生き残れるようにするっすから」


「ど、どうやって……?」


「それは……」


 カロンが何か言おうとした、その瞬間、




 突然、全方向から……先程までの火事の熱気とは正反対の、真冬の吹雪のごとき強烈な冷気が、怒涛のように押し寄せて、シャーリー達に襲い掛かった。




「なっ……つ、冷た、寒……えぇえっ!?」


「うぉあっ……あ、兄貴、ルゥナっち……き、気合入れすぎっすよ!」


 時間にして、ほんの数秒。冷気は収まった。

 ただし、吹き付けるのがやんだだけで、周囲に寒さは依然として残っている。


 咄嗟に固く目を閉じたシャーリーが、恐る恐る目を開けると……


「う、そ……?」


 シャーリーの目に飛び込んできたのは……先程まで轟々と燃え上がっていた、倉庫が、教会が……一転して、氷漬けになっている光景だった。




「お前の雨だけでよかったんじゃね、ルゥナ? コレ中で凍死者出てもおかしくねーぞ」


「こっちの方が確実だし、凍らせれば崩落も防げるだろう、アイビス。それに、そのためにカロンを送り込んで結界を張らせたのだろうが」




 無論だが、シャーリーは外で、そんな会話が交わされていたことなど、知る由もない。

 ルゥナが魔法で降らせた豪雨を、アイビスが超低温の冷気で一気に凍結させて教会全体を氷漬けにしたなどと、その冷気からレオナやシャーリー、子供たちを守るためにカロンが炎の結界を張ったなどと……想像もできないことだろう。当たり前だが。


 そんな、事態を飲み込めずに唖然としたままのシャーリーはひとまず放っておいて、カロンは、その手に抱き抱えている――冷気が収まってから抱き起した――レオナに目をやった。

 相変わらず、安心した様子の顔ですやすやと寝息を立てている。


「しっかしまあ……無茶するもんだ。仲間を助けるために、単身炎の中に飛び込むなんざ……」


 見れば……あちこちぶつけたか擦ったか、あるいは火や熱にやられたのだろう、火傷その他の傷が体中にあった。小さいが、顔にもケガをしているようだし、髪も少し焦げてしまっている。

 『女の命』と言われることも多い、顔と髪。それに傷がついても構わずに、仲間の元に駆けつけたのだと思うと、カロンは感心を禁じ得なかった。


 そこまでのことができる者など、裏社会にもそうはいない。

 大したものだと……カロンは素直に、レオナのその強い心根を好ましく思った。


 そして……ぽつりとつぶやいた。




「……欲しいな、この娘」





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