【2-4.水晶玉】
その時、クロウリーさんが低い声でポルスキーさんに命じた。
「イブリン、持ってきた水晶玉を」
「え、ええ? 今ここで使うの?」
ポルスキーさんはびっくりして上擦った声を上げた。
そして、家から持ってきた水晶玉をローブから取り出し、軽く目を落とした。
クロウリーさんも水晶玉に目をやると短く頷いた。
実は、ポルスキーさんは魔法協会に戻ってくるとき、自宅の掘っ立て小屋をゴソゴソとあさり、この改変水晶玉を引っ張り出してきたのだった。
そのときクロウリーさんは怪訝そうな顔をした。
「なんだそれは。占いでもするのか」
「しないわよ。何の呪いか分かんないって話のときにコレを思い出したのよね。ちょっと遊びで作ったヤツだからどれだけ有効か分からないけれど」
ポルスキーさんはクロウリーさんに手短に説明した。
呪いなのであれば、かける側とかけられる側がいる。呪いをかけた人や物が明白な場合はよいが、場合によっては何が呪いの元凶か分からない時がある。
一般的な魔女仕様の水晶玉は本来占い用に作ってあるが、今回は呪い解明用に自分でそれをちょっと改変して、呪いをかけた元凶の姿なり形なりが見えるようにしてみた。
呪いの元凶を明らかにしたいときに使えるんじゃないかと思って、というのである。
ポルスキーさんの説明は何となくたどたどしい。実用化を想定せず、趣味の範囲で作ったものなので、道具の有効性に確信が持てないのだ。
しかし、説明を聞いた時、まずクロウリーさんは相変わらず自由に魔法で遊んでいるポルスキーさんを眩しく思った。
ポルスキーさんのこういうところに、クロウリーさんは惹かれているのだ。
「イブリン……」
思わずポルスキーさんを抱きしめようとして、クロウリーさんはハッとその手を止めた。今はそういう場合ではない。そう、まずは呪いだ。
そのときポルスキーさんは、
「今、あの人のところに行く前に使ってみようか? 呪いの元凶くらいなら分かるかも」
と提案してみたが、クロウリーさんは首を横に振った。
「いや、姿なり形なりしか分からないなら、呪いの由縁までは分からないだろう。かなり特殊な呪いみたいだから、どのみちデュール氏の説明が必要だ。デュール氏のところで必要があれば使おう」
だから魔法協会にこの水晶玉を持ってきたのだった。
そして今、大応接室で、女同僚が倒れた。おそらくは、例の呪いなんだろう。
クロウリーさんはすぐさま「変だ」と思った。
ここは魔法協会。異質なものはデュール氏本人しかいない。それなのに、同僚は呪いにかけられた。
そしてやはりこの呪いにはデュール氏の魔法の気配はない。デュール氏が変な呪具を持ってきたのならまだしも、顔面蒼白で申し訳なさそうな顔で突っ立っているデュール氏にそんな様子もない。
では、いったい何が呪いの元凶なのか……?
誰の、何の呪いか、明らかにしてやる。
クロウリーさんはポルスキーさんに目配せをした。
ポルスキーさんは言われるがままに、自信がなさそうな顔で水晶玉をそっと掲げた。
大応接室には、デュール氏の他に、クロウリーさんの上司や魔法協会の理事が数名いた。よくよく状況を見直すと、そうそうたる顔ぶれが揃っていることになる。
そして皆揃って、ポルスキーさんの水晶玉を「占いの品をなぜ今ここで」と訝しげに見た。
なので、ポルスキーさんはちょっと怯みかけた。
しかし、クロウリーさんの方は少しも動じない様子でポルスキーさんを促す。
ポルスキーさんは躊躇いがちに頷いて、倒れている女性に歩み寄ると、何やら呪文を唱え始めた。そして、その女の顔を水晶玉に映すためそっと水晶玉をかざそうとした。
デュール氏は女のそばにいたが、妙な呪文に危険を感じたのと、水晶玉から得体の知れない空気を感じたのとで、無意識に仰け反って水晶玉から離れようとした。
そのデュール氏の肩が意図せずポルスキーさんの体にぶつかってしまった。
「あ、ああ〜っ!」
ポルスキーさんの手から水晶玉な滑り落ちそうになり、ポルスキーさんは悲鳴をあげた。
「やだっ、割れたら困るわ!」
ポルスキーさんが悲鳴をあげたので、デュール氏はハッとして慌てて水晶玉に手を差し伸べた。
その瞬間、水晶玉にデュール氏の顔が映りこんだ。
「あ、僕の顔が映っちゃったけど……」
そうデュール氏がポルスキーさんを振り返ったとき。
しゅるしゅると無数の細い白い煙が水晶玉から湧いて出てきて、デュール氏やポルスキーさんのいるあたりを一面覆ってしまった。
デュール氏は周囲が見えづらくなって、手でパタパタと煙を払ってみようとしたが、不思議な煙で何やらまとわりついてくるような気がする。
しかも、その煙はやがてもやもやと集まり出して、何か、人間の形に見えてきた。
なんだ、これは?
部屋中の人間がその煙の作り出した人型を食い入るように見つめた。
それは煙であるのに、人型の表情やら衣装の質感のようなものまではっきりと伝わってくる。
意志の強い目に不敵な笑みを口元に浮かべた優雅な女だった。
世にも美しいビロードの布が波打つ、存在感のある深紅のドレスを纏っている。
その人型は、周囲を見渡し、デュール氏の姿を認めると、にたあっと口元を歪めた。そして、デュール氏をじっと上目遣いで見ながら、さわさわという布擦れの音を微かに立て、ゆっくりとデュール氏に近づこうとした。
女の圧倒的な存在感に、部屋中の者が固まったように動けなくなった。
まるで時間が止まったかのようだ。
デュール氏も目を見開き、その人型を食い入るように見つめている。水晶玉はデュール氏の手からこぼれ落ち、ころころと床を転がった。デュール氏の目には恐怖が溢れていた。後退りしたかったが身動きが取れない。
しんと静まり返った部屋。女がゆっくりと歩いてデュール氏に近づく。
女はデュール氏の目の前まで真っすぐに来ると、急に膝を折って頭を深く垂れ、跪いた。まるでデュール氏を主君と崇めているかのように!
部屋中の者がその光景に息を呑んだ。
「あ……」
デュール氏は掠れた声をあげた。その水晶玉から出た『人型』から目を離せないまま、デュール氏はやっとのことで口を開け、
「これは……水晶玉の亡霊だな?」
と確認した。
「あ、は、はい!」とポルスキーさんが叫ぶと、その答えを聞くや否や、デュール氏はテーブルの上にあったガラスの花瓶を手探りで手繰り寄せ、力いっぱい水晶玉に振り下ろした。
ガチャンっと大きな音がして水晶玉が真っ二つになると、女の人型はパッとかき消えた。
「はあっ」
デュール氏は小さく息を吐きだした。やっとまともに息ができると思った。
デュール氏は顔を上げ、そしてその場の者を見回した。
「見ましたか?」
見た――? ああ、見たとも!
部屋にいた全員が水晶玉から抜け出た亡霊を見た。この世の者とは思えないほど美しい女の――。
無視できぬ存在感を放っていた。高貴で自信たっぷりで、そして彼女の笑顔からはうっすらと邪悪な匂いがした――。
誰だ? デュール氏の足元に跪いていた。いったいデュール氏とどんな関係の女なのか?
口には出さないがその場の者は皆思っていた。
やっとポルスキーさんが水晶玉を壊されたことに気付いて、「あ、あああっ」と小さく悲鳴を上げた。
デュール氏は青白い顔をしたまま、「弁償せねばなりませんね」とぼんやりと言った。
するとその場にいた一人の協会関係者がハッとして、デュール氏を庇うように、
「いや、こんなもの、今までこうして叩き割られなかった方が奇跡ですな。こんな不気味なものは誰だって壊したいと思うでしょうよ」
と言った。
ポルスキーさんはムッとする。
「ええ~! 不気味って、呪いの元凶を具現化するだけなのに……。それに一応これまで、誰にも叩き割られたことはないわ」
と非難に反論した。
そしてデュール氏のせいとばかりにデュール氏を見た。
デュール氏は軽く頷いた。
「僕のせいです。それは認めますとも。でも、何だったのです、あの水晶玉は」
デュール氏はだいぶ気を取り直していて、落ち着いた声で聞いた。
ポルスキーさんは
「呪いの元凶が分かる水晶玉よ。呪いをかけた人だってり呪具だっだりが分かるの。場合によっちゃ呪具に念を込めた人までわかる場合もあるわ」
と短く答えた。
デュール氏は「そうでしょうね」といった顔をして全然驚かなかった。
クロウリーさんはデュール氏に、
「驚きませんね。あの邪悪な匂いのする女――呪いのかけ主は知り合いですか? 呪いの解き方は分かりますか?」
と聞いた。
デュール氏は首を竦めた。
「知った女ではあるし、あの女の呪いだろうことも分かるけど、解呪方法は分からないんだ……」
「……分からないんですか?」
とクロウリーさんが困惑気味に念を押して聞くと、デュール氏も困った顔をした。
「分からないんだ。だから僕も困っている。そもそも、呪いをかけられたはずの僕には何も起こらないんだ。なぜか僕ではなく、別の人、特に女性に呪いがかかって……何か不幸なことが降りかかるようになっている」
それを聞くとクロウリーさんは少し取り乱した様子でぱっとポルスキーさんを振り返り、
「そんなの聞いたことがない……! どうしたらいいんだ。イブリンに呪いがかかったままなど……」
と独り言のように呻いた。
すると、少し考え込んでいたポルスキーさんが不意に口を開いた。
「もう少しヒントがあれば、どんな呪いなのかとか解き方とかが分かるかもしれない。この呪いの原動力、ピンときた感じでは『恋』の何かだとは思うんだけど。恋関係は厄介なのよねえ」
「……!?」
デュール氏は青白い顔をしていたが、恋と聞いてびくっとなった。
クロウリーさんはデュール氏の方を振り返った。
「ヒントがあればいけるのか? デュール氏、やっぱりあなたから直接話を聞かないといけません。この倒れている私の同僚もそうですが、イブリンにも呪いがついています。いつ同僚のように倒れるか……。そんなのは困ります。話してくれますよね?」





