【2-7.解呪】
シルヴィアは目を潤ませた。
「あなたにずっと伝えたかった。あなたを失脚させたい人がいると。伝えられてよかった」
「失脚……。その話はついさっき魔法協会で聞いた。魔法協会の副会長派の人間だね?」
デュール氏は頷きながら確認した。
デュール氏の話にクロウリーさんの目が鋭くなった。
おそらくは、ポルスキーさんの水晶玉の騒ぎのとき、あの偉い人の集まった大応接室でその話が出ていたのだろう。
副会長派の人間!
なるほど。デュール氏がいなくなって魔法協会が妙にゴタゴタし出したと思ったのは、そういうことだったのか。
シルヴィアはデュール氏が承知していると知って、ほっとしたように息をついた。
「ああ、ちゃんと知っているのね、良かった」
しかしデュール氏は掘り下げて聞く必要があった。
「魔法協会の元同僚たちは、副会長派の人間が僕を標的にしたのは、僕が死の魔法無効化の結界の統括責任者だったからだと言っていた。死の魔法は禁忌魔法だから魔法協会として厳密に管理していて、どんな形であれ全く使えないようにしている。僕は自分で言うのもなんだけど、かなり厳格な管理者だったからね。だから邪魔だったのだと。――なるほどね。それで、僕を失脚させたかった人たちは、君を介した呪いで僕を辞任させたのか。全部繋がっていたってわけだね。理解したよ」
ポルスキーさんにも話の全貌が見えてきた。
デュール氏を失脚させようとしていたのは副会長派の人間であり、失脚を望む理由はデュール氏が死の魔法無効化の結界の統括責任者だったから。そして、実際にシルヴィアの死を使って奇妙な呪いをデュール氏にかけた――。
そうすると、あの人も副会長派の人間ってことに――?
そのとき、シルヴィアの方はつらそうに俯き、デュール氏に向かって懺悔の言葉を吐き出した。
「ごめんなさい。私のあなたへの恋心が何かに利用されたんだと思う。私の恋心が呪いになったのよね? 私があなたの失脚に加担してしまったことが心苦しくて仕方がないの」
デュール氏はバツの悪そうな顔をした。
「いや、君は利用されただけなんだろう? それよりも、その……。すまなかった。僕は君にはだいぶ心無い態度を取ったんじゃないかと思う」
するとシルヴィアはもっと項垂れ、両手で顔を覆った。
「いえ……謝る必要は……! 違うの、私はあなたを慕っていて、確かに生前は呪うほど思い詰めていたけど、いざ死んでこうして呪いを与える存在になってしまうと、こんなのは望んでいなかったとはっきりと言えるの。私はあなたの不幸なんか望んでいない。それなのに、結果として……。ごめんなさい、ずっと謝りたかったの……!」
デュール氏は頷いた。
「女性たちへの呪いは君が望んだものではなかったのだね?」
「望んでいないわ! 私はただ私の死と私の恋心を利用されただけ。とても無念だわ」
「ならばこの呪いの詳細も解き方も、もしかしたら分からない?」
「ええ、ごめんなさい、分からないの。こんな呪いも知らないし、解けるものならなんだって協力するけど、残念ながら私には全く分からないの!」
シルヴィアは吐き出すように言った。
デュール氏は「解き方不明」と聞くと困り顔になって、思わずポルスキーさんの方を見た。
すると、それに応じるように、横からポルスキーさんがきっぱりと言った。
「悲しまないで。その呪いはシルヴィアさんのせいじゃない。この呪いは解けるし、私がこの呪いを確実に解明する」
シルヴィアはハッとしてポルスキーさんの方を向いた。目に感謝の色が浮かぶ。
「ありがとう。どうぞアシュトン様の呪いを解いて差し上げてください。そして、私をこうして呼んでくれてありがとう。アシュトン様と話をさせてくれてありがとう。伝えたいことは言えたわ」
ポルスキーさんは大きく頷いた。
「ええ。ところで、私は一つ試してみる価値のあることに気づいたんだけど」
ポルスキーさんはふと市中で昔見たことのある、『ある呪い』を思い出したのだった。その呪いはシルヴィアの呪いとは全く違う呪いなのだけれど、一つ共通点があった。その共通点がこの呪いの要なのだとしたら――。
デュール氏に被せられたシルヴィアの影、呪い。その元として使われたシルヴィアの想いそのものを消し去れば――?
ポルスキーさんは半信半疑に提案してみたのだった。
「シルヴィアさん、あなたも何か感じない? 呪いの元になっているもの――」
シルヴィアは「え?」と一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐさま何か理解したようだった。
美しい顔がみるみる青ざめ、唇をぎゅっと噛みしめた。
ポルスキーさんが
「死んでなお、あなたの中に残っていたものなんだけど……」
と言いかけたとき、シルヴィアがぴしゃりと
「それ以上は言う必要はないわ」
と遮った。
シルヴィアは目を閉じて大きく息を吸った。
「さようなら。アシュトン様。帰ります、あるべきところへ」
「ちょっと待って。まだ呪いの解き方を……」
とデュール氏がシルヴィアを止めようとしたとき、
「いいの、デュールさん。大丈夫、彼女はもう理解しているから」
とポルスキーさんはデュール氏の肩をそっと叩いた。
「もう、いいわね?」
ポルスキーさんがシルヴィアに聞く。
「ええ」
とシルヴィアが答える。
ポルスキーさんとシルヴィアは柔らかい視線でしばらく見つめ合っていたが、ポルスキーさんは一呼吸つくと、何やら先程とは毛色の違う短い呪文を唱えてシルヴィアの霊を消し去った。
シルヴィアの気配がきれいさっぱり消えた。
デュール氏はどっと疲れが出たように仰け反って椅子にもたれかかったが、「降霊は終わりかな? それで解呪の方法は?」と聞いた。
ポルスキーさんは薄く笑った。
「もう呪いは解けたんじゃないかな。一番の要になっていたのは執着。シルヴィアさんの恋心や無念が呪いの元になってたんだもの。シルヴィアさんには霊以上の存在になってもらった。彼女は本来あるべきように解き放たれたわ。もうこの世に囚われない」
クロウリーさんは唸った。
「成仏とかそういうことか? そんな簡単なこと……拍子抜けすぎじゃないか」
「簡単じゃないわよ! すっごい魔法だわ。人の恋心や死を利用して人を呪わせるのよ。しかもデュール氏にかけられた呪いなのに呪いの効果はデュール氏以外の人に出るなんて! めっちゃ負けた気分だわ。これから解明し尽くしてやる。でも、この呪いのヒントになりそうなもののことも思い出せたし、もう時間の問題よ」
ポルスキーさんは唇を噛み、決意を胸に刻み込んだようだ。
デュール氏が「はは」と乾いた笑い声をあげた。
「大丈夫? 疲れた?」
とポルスキーさんが労わった。
「ああ、まあね。そして、最悪の気分だ」
とデュール氏が力なく頭を振ってみせた。
「デュールさん、あなたが罪悪感を抱く必要はないわ。悪いのはシルヴィアさんを利用した誰かよ」
「しかし、僕に呪いをかけるために彼女は殺されて――」
「そこは深く考え過ぎても仕方がないわ。シルヴィアさんは気の毒だけど、昔から――何かを呪う時に生贄とかを使うことはなくはないのよ。とにかく、シルヴィアさんの無念を晴らし名誉を守るためには、犯人や首謀者を見つけることよ! 自殺じゃなかった、これは殺人だと!」
ポルスキーさんの力強い言葉にデュール氏はハッとした。
何か憑き物が落ちたように、心の重しとなっていたものがハラハラと剥がれ落ちていくのを感じた。
罪悪感、死んだ女への同情、人を遠ざけた孤独、時間……。そういった過去のものを拭い去る。そうだ、これは戦いだ。それが使命。そう、新しい気持ちで――。
デュール氏はぐっと顔を上げた。
ポルスキーさんがにこっと微笑みかける。
デュール氏はポルスキーさんに手を差し伸べた。
「君はさすがだ、まいったよ」
「いや~それほどでも~」
と言いながらポルスキーさんが握手をし返そうとしたら、デュール氏がそっとポルスキーさんの手を両手で包み込んだ。
クロウリーさんがぎょっとしてデュール氏につかつかと歩み寄ると、がしっとデュール氏の腕を掴んでポルスキーさんから引き剥がした。
それからクロウリーさんは怒りを湛えた目でデュール氏を睨んだあと、努めて冷静な声でポルスキーさんに尋ねた。
「それで、これからどうするんだ? シルヴィアに呪いをかけた張本人をあぶりだすのか? それとも副会長派の動きを封じ込める?」
「そんなの私にできる話じゃないんですけど。魔法協会でやってよ。でも、そうね、呪いの解明ついでにちょっと調べたいことはあるわ。気になることもあるし――」
ポルスキーさんは思案気に応えた。
ポルスキーさんの脳裏に一人の男が明瞭に浮かび上がっている。良くない思想を持つ――。
「そうか、気になることがあるなら私も手伝おう。イブリン一人に危険な目に合わすことはできない」
クロウリーさんがきっぱりと言う。クロウリーさんにもポルスキーさんが何を考えているか少し心当たりがあるようだ。
するとデュール氏もハッと顔を上げた。
「僕もだ、イブリンを危険な目に合わすわけには!」
「イブリンって呼ばないでください!」
とクロウリーさんがいいかげん堪忍袋の緒が切れたように、デュール氏に向かって叫んだ。
ポルスキーさんはクロウリーさんに呆れた顔を向ける。
「それはあなたもなんだけど、クロウリーさん」
「私の方はヒューイッドと呼ぶよういつも言ってるでしょう」
クロウリーさんは低い声で応酬した。
しかしクロウリーさんはさっさと話を変え、デュール氏の方を向いた。
「シルヴィアの遺体は調べたはずですよね?」
「ああ、魔法協会がね。そのときは他殺の証拠はなかったと」
デュール氏が答える。
「本当は他殺だったのに、ですか?」
「そうだね」
「もしや」
「そのもしやだろうよ。死の直前に何かの魔法が使われたのなら、残穢なりを調べればわかるはずだ。それが何もないというのだから、きっと、魔法協会の中にいるのさ、犯人かその仲間が。死の魔法は無効化されるようになっているのに、シルヴィアが亡くなっているというのも変な話だ。というか、呪うなら最初から僕の命を狙えばよかったのに」
デュール氏は込み上げてくる怒りを鎮めるために頭を振った。
クロウリーさんは苦笑した。
「あなたが不審死したら特捜が組まれて徹底的に調べられるでしょうからねえ。それは避けたかったんじゃないですか。あなたは魔法協会の理事の一人だったんです。ご自分が大物魔法使いなことは自覚してください」
するとポルスキーさんが話に割って入った。
「でも、きっと次はこんな生ぬるいことはしないわ! きっと直接命を狙ってくる。それでもデュールさんは魔法協会に戻るの?」
「そりゃね、犯人が副会長派の人間なんだとしたら、協会内部で戦う必要があるかもしれないしね。それに、君も何か調べたがっているなら余計に魔法協会に戻る必要がありそうだ。命を奪うことも平気でやる連中なんだろう、君が危険だ。君を守るためには魔法協会の力が必要になることもあるかもしれないから」
デュール氏は強く言った。
クロウリーさんは何か思うところのある目でポルスキーさんを見た。
「イブリン、本当に首を突っ込む気か」
「仕方ないじゃない。シルヴィアさんの件については、ちょっと一線を越えた気がするわ」
ポルスキーさんは大きなため息をついて、それから目を閉じた。
犯人でないといいのだけど、副会長派とか何も関係ないといいのだけど。
それだけは確認しないといけないわ、ねえ、叔父さん――?