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王の鈴(旧)  作者: うず
断章 嵐前
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ライドゥルとの国境の街、シレジアは王都の北東にある。

戦争によりティトゥーリア領と定められたこの街は、ライドゥルの貴族アターラ辺境伯により治められていた。

ライドゥルがこの地に辺境伯を配置していたのは、ここが国境の街ということもあったが、その西側にティトゥーリアの港湾都市イーゼがあったことが大きい。

ライドゥルはイーゼを狙う野心を隠そうとはせず、ティトゥーリアは防衛戦をより東に移す機会を狙っていた。

5年前の戦争により国境線が移動し、以降、旧アターラ辺境伯のシレジア城にティトゥーリア軍司令部が置かれている。

また、行政統治という意味ではイーゼを治めるリッカ公爵家が請け負っている。

かつてジークヴァルトがシレジアに降ったのも、リッカの所領近くの方が彼を守りやすいと公爵家が判断したことにある。



王都とシレジア間の物流はイーゼ商人が引き受ける。

特に急ぎの文書などは早馬により約2日で届けられる。早馬の荷物の中には、シレジア内にも出回っているライドゥルの新聞や雑誌、在ライドゥルティトゥーリア大使館から経由してしきた資料などが含まれており、王都においてライドゥル語の翻訳を引き受けるシェイラとっては馴染みの存在でもある。

この早馬とは別に、特に緊急かつ重要なものには鷹が使われたりもするのだが、通常の物資は主に使用される。

王都とシレジアの馬車便は7日ほどかかる。

片方を金曜に出せば、もう片方に翌週の金曜に到着するといった具合なのだが、特に毎週金曜日には設定便は兵士達にとって大切なものだった。

シレジアに駐留する兵士達は月に2回家族や恋人とのプライベートのやり取りが許されており、その便が金曜に作られるからだ。

多くの兵士の要望に応えられるよう箱の寸法が決まっているが、手紙だけではなく物のやり取りも可能である。これらのやり取りは派遣された兵士の士気にとても重要な役割を果たしている。

さて、とある金曜日、若手の近衛兵がカインに元に小さな箱を持ってきた。

なんだこれはと首を傾げる。

最近までシレジアにいたカインの元には兵士からの差し入れのリクエストや、逆にシレジア産のワインが届くこともあるのだが、こんな大きさの箱を受け取るのは初めてである。

兵士は箱の次に手紙を出してきて、その恭しい手つきにはたと気づく。

(何をしているんだ、あの人は)

声に出さず、ため息をつく。

その身分ならば早馬を使っても許されるだろうにと半分呆れる。

こんなことに特別扱いされるわけにもいかないだろうという上官の苦笑する姿が浮かんだが、これはこれで仕分けの兵士達も驚くだろう。

「分かった、お渡ししておこう」

受け取ったカインの箱の扱いは、ずっと丁寧なものとなる。

それは、王太弟殿下から婚約者であるマティアス侯爵令嬢への贈り物だった。



その日、王宮に行く予定のなかったシェイラは学術院の研究棟でライドゥルからの新聞を読み、訳していた。

ジークヴァルトの婚約者になったシェイラには以前より増して王家に準ずる者として仕事が割り振られており、来客もある。そのため院長の許可を得、研究棟に一室をもらっているのだ。

シェイラの隣ではエルフリーデが積み上げられた新聞やら雑誌を選り分けている。3年ほどをシレジアで暮らしたエルフリーデはある程度のライドゥル語を理解しており、護衛だけではなく、シェイラの秘書的な仕事も請け負ってくれている。

「シェイラ、おそらくこちらを優先した方がよいと思います」

「ありがとうございます、エル」

護衛のために学術院の寮に移り住んだエルフリーデは、既に2ヶ月ほど、多くの時間をシェイラとともに過ごしている。

最終学年となり、ほとんど単位を取り終えている彼女は週数コマの講義に出るだけなのだが、空いている時間のほとんどは何か、予定があるといっていい。

カテリーナから譲られた孤児院の運営、更には学校の建設に関わっていると思えば、王太后主宰のお茶会の差配のほとんどを請け負っていたりもする。国王に呼び出され話し相手を務めることがあれば、宰相府から直接仕事が持ち込まれることさえある。

週のうちの半分以上は王宮に通い、そうでない日はこの部屋で主にライドゥル語の翻訳作業をしている。

マルグリッドの印象が強く、王妃とは着飾り遊んでいれば務まるのではないかと本気で疑っていたエルフリーデは、あまりの勤勉さに驚くしかなかった。

私はマティアスの人間ですからと普通のことのようにシェイラは言っているが、未だ学生である彼女に対しあまりに負担が大き過ぎやしないだろうかと心配すらしてしまう。

始めの頃、あまりの驚きにあり得ないのだとカインに言ってみれば、彼女はエルンスト殿下の婚約者だったからね、と微妙な返事が戻ってきた。

愚かさばかりが目立つようになった王太子を補佐、というより代理することが可能となるよう、宰相が自身の娘を仕込んだのだ、というような話だった。もちろん、シェイラ自身の優秀さがあって初めて実現したことなのだろうが、それも含めてシェイラはマティアスの人間と言ったのだろう。マティアス侯爵家の人間は方向性は様々あれど、働くことでは突出した家柄である。

さりとて、17歳の少女が時間に追われて仕事をしているのはやはりかわいそうではないかとつい愚痴を言ってしまうと、ありがとうございますと笑みつつ、これでも随分と楽になったのですと言う。

楽になった、思いもかけない言葉にエルフリーデが目を丸くすると、本当ですよとシェイラは肩を竦める。

重荷だったエルンストとの婚約は破棄され、エルンストとアリアの仲に困惑することもない。

遠く離れた場所にいるけれど、ジークヴァルトと想いを伝え合うことがかない、婚約者として許されている。

家名で役に立てないことに後ろめたさを感じるシェイラにとっては、何か、少しでも出来ることがあることにことにこそ安堵してしまう。特にライドゥル語の新聞やら雑誌を訳している時は、大きなニュースがないことに安堵をし、気になる記事を見つければ案じずにはいられない、シレジアのジークヴァルトに思いを馳せる大切な時間でさえある。

新聞を一誌読み終え、必要だと思った記事だけ訳し、スクラップしていく。

その作業を一通り終えると、エルフリーデが仕分けてくれたものから、次の誌面を取り上げる。

今日は午前中の一コマだけだったので、昼前から作業をしていたのだが、すっかり西陽の時間となってしまっている。

「シェイラ、今日はそろそろ」

「もう一誌だけ読んでしまいたいわ」

「ではせめてこちらを」

取り上げたばかりの雑誌をぱらぱらとめくり、必要なものとそうではないものを切り分けていると、机の上にクッキーと紅茶が用意される。

「エル?」

「昼に軽食を取られただけですよ」

先ほどマリーさんが持ってきてくれましたと言われ、シェイラはようやく顔を上げる。

無意識に視線を時計へと向け、時間の経過に気づく。

「ごめんなさい、随分働かせてしまったわ」

「いいえ、私は構いませんがせめて少し休んでください」

シェイラは立ち上がり、お茶の用意がされている応接セットへと移動する。シェイラが座るのを確認してから、エルフリーデもまた、向かい側のソファへと座る。

ティータイムはもっぱら、シェイラがシレジアでの話をねだる。逆にエルフリーデがシェイラの話を聞くこともあるのだが、やはり、シレジアでのジークヴァルトのことが知りたいらしい。

今日は剣の話をしていた。

ジークヴァルトの剣の型がとてもきれいなのだと話すと本当に嬉しそうなので、自身の剣で真似て見せてやる。

すごいと、素直に頬を赤くする様子についエルフリーデが調子に乗っていると、来客がやってくる。

「まぁ、ラッセル様」

やってきたのはカインだ。

今日は1日院内のため、カインと会う予定はなかったのだがと首を傾げると、預かり物がありましてとにこやかに告げられる。

「シレジアからなのですが」

「早馬が来たのですか?」

追加の資料だと思い込んだシェイラにそうではないと首を振る。そして、預かり物の箱と手紙を渡せば、シェイラはこれ以上なく目を丸くした。



シェイラは手紙より先に箱を開けた。

手紙も気になったけれど、それはゆっくりと、1人で読みたかったからだ。箱の方も寮に戻ってからと思ったのだが、果たして上官はどんな贈り物をしてきたのかというカインの好奇心に背を押されてしまう。

小さな箱に入っていたのは、木彫りの髪飾りと、リボンだ。

木彫りはシレジアの特産で、これがジークヴァルトからの贈り物であることを実感する。リボンの方は深い紺色で、落ち着いた印象だ。

どちらも社交の場で使うような華美さはないが、代わりに院内で使っても問題なさそうである。

髪飾りを取り上げ、ふうわりと笑んだシェイラが顔を上げる。

「シレジアの彫り物ね」

シェイラが感情は表に出すことは少ない。

今は、周囲の環境がそうそうせざる得ない状況に彼女を追い込んだのだと知っているが、特に仕事をしている時は鋭利な雰囲気が先立ち、エルフリーデは人形の相手をしているのではないかと思うことがある。

それが、こんな風に笑みをこぼし、頬を染め、穏やかさを失わないまでも、喜びを表現している。

まるで氷が溶ける瞬間を見たようだった。

こんなの見せられたらかわいくて仕方がないだろうなぁと、カインは遠方にいるジークヴァルトのことを考える。

「わざわざお持ちくださってありがとうございます、ラッセル様」

「手紙は読まれないのですか?」

問えば、あとでゆっくり読ませてもらいますという返事が戻ってきて、そういうことかと納得をする。早速つけてみませんかとエルフリーデが提案し、嬉しそうな表情をしたシェイラがうなずく。

選んだのは髪飾りの方で、ひとまとめにしぱちんと留め金をとめる。シェイラは手鏡で確認し、再び表情が溶ける。右を向いたり左を向いたり、今度は首を傾げてみたりと、つい覗き込んでしまう少女に眺め、エルフリーデは肩を竦める。気づいたカインは笑い、ふと、窓を見る。

ここからは研究棟の玄関が見下ろせる。

怪訝そうに目を細めたカインに、エルフリーデが声を挙げかけるが、動いた手の動きが止める。

今のシェイラに見せなくてもいいという判断だった。

その日、私からの手紙も馬車に載せてもらうことはできるのかしらと問うシェイラに、殿下も喜ばれますよと肯定したカインは、それだけで帰って行った。

シェイラは言っていた通り、雑誌をもう1冊だけ確認し、今日の作業を終える。手にはしっかりと箱と手紙を持っており、足早に寮へと戻ろうとする。



ヴォワ子爵夫人に言われ、婚約者となってくれた貴方に贈り物の1つもしていなかったことに気づいた。

あまり高価なものではないのだけれど、これなら学術院でも使ってもらえるだろうか。

使ってくれたらとても嬉しい。

言われて気づくような気の利かなさで申し訳ないのだが、貴方に何を贈れば喜んでくれるだろうかと考えるのはとても幸せな時間だったよ。



軍に戻ったカインは、それとなく探りを入れた。

相手はイザク=マティアス、シェイラの兄であり、宰相府の文官でもあり、エルンストの講師を務めている彼が適任だった。今まで交流を持ったことはなかったが、シェイラの護衛を任されてからは、話をする間柄である。

「エルンスト殿下が、研究棟に」

窓から見たのは、研究棟の玄関から出ていくエルンストだった。

学術院を卒業し、未だ王宮から出ることがほとんど許されないエルンストが何故そんな場所にしたのか、誰に用事があったのか。それは、ジークヴァルトにもシェイラにも関係があることに違いなく、カインの知り合いの中で一番解を持っていそうなのがイザクだった。

カインからの申し入れにすぐさま時間を取ってくれたイザクは、話を聞くなり微妙な表情を浮かべた。

本気なのかという呟きはカインにも聞こえ、問いただすと歯切れの悪い返事が戻ってくる。

事は、国王と宰相の会話だった。

密談というわけではないものの、他社に聞かれることを嫌った2人は対面の場所に王太后宮を選んだ。

が、王太后宮に住むエルンストはそれをたまたま聞き、行動を起こした。

といったところか。行動を起こす前に知らせてきたからイザクは知っているに過ぎない。

在ライドゥルのティトゥーリア大使館の大使として、学術院の教授でもあるルーラン伯爵が内定した。先の戦争では指揮官の1人として従軍し、その時の負傷から退役、ライドゥル語の教授として学術院に入った伯爵は、大使館の機能向上を目指すこちら側にとってうってつけの人材だった。

ライドゥル語、特に政治の言語である古ライドゥル語を扱える人物は少ない。

伯爵の下に誰を人選するかという話に、ライドゥル語どころかセドナ語すらできないエルンストが飛びついた。彼は彼で功を欲しており、自分も身分を隠して行くのだとエルンストが言い出した。

行ったところで何が出来る、と思ったが、エルンストは行動を起こし、学術院にいるルーラン伯爵を訪ねたということだろう。

剣はそれなりに扱えるが、エルンストに出来るのは精々護衛だ。その護衛だって適任者は他にたくさんいる。

が、無謀と知ってなお、イザクはそれを進言しなかった。

ライドゥルの話になった時、まず最初に上がるのはシェイラだ。おそらく王都で5本の指に入る知識を持つシェイラは、王太弟の婚約者という身分がなければ、間違いなくライドゥル行きの人員として真っ先に名が上がっていただろう。

ライドゥルとの関係は、小康状態を保ったままである。

が、今は流刑に処されたアリア=カラフェが口走った内容、それが意味するものを明らかにしたい。

どうしてもライドゥルに送り込む人材を補強したいのだ。

あぁ、だからかとイザクは思う。

落ち着きを取り戻し、シェイラに対し罪悪感めいたものを抱き始めたエルンストは、身代わりとして行こうとしているのではないか。

が、同時に無理だ、とも知っている。

「ラッセル卿、シェイラを頼むよ」

「はい?」

「情報をまったく持っていないわけではないが、まだ状況は流動的で話せない。ただ、シェイラに関係がないわけではない。だから頼むとしか言いようがない」

イザクは複雑な笑みとともにそう、告げるしかなかった。

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