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ジークヴァルトの婚約者に決まった後、カテリーナはシェイラに孤児院の運営を任せた。
リッカ公爵家の尽力により建てられたその孤児院は、王都にある孤児院の中では最も王宮に近い場所に建つ。最初カテリーナに誘われたテレーゼが手伝い始め、シェイラもまた幼い頃から幾度も足を運ぶ馴染みの場所でもある。
2年ほど前より既に運営のほとんどを任されていたのだが、やはり自分の名で行動することには大きな責任が伴う。今まではカテリーナの名に守られていたのだと痛感し、心細く思うことも度々なのだが、ジークヴァルトの妃となる覚悟をした以上、避けては通れない道だと理解している。
シェイラはカテリーナからこの孤児院を引き継ぎ、今は孤児院の隣に学校を併設するための活動を進めている。
現在、孤児院の多数を占めるのはライドゥルとの戦争により親を失った子供達である。最初、孤児院の子供達の学習の場を作ろうとしていたのだが、貧困から学校に行けない子供達にも門戸を広げてはどうかと話は広がっていった。
この学校がうまくいけば他の街にも広げ、国全体として貧困層の無償教育を実現したいとも考えている。
もちろんシェイラ個人のみの考えではなく、アーデルベルトやフェルディナンドの方針にも沿ったものなのだが、大部分がシェイラの判断に任されているとともに、カテリーナにはこの活動を通して派閥のバランスの取り方を学ぶようにと言われている。
マティアス侯爵家自体はあまり自覚はないのだが、どちらかと言えばリッカ公爵家と仲がよく、今はリッカ派に属する家と見做されている。シェイラがジークヴァルトの婚約者となったことはユーリエ公爵家の意向に反したものであり、特にユーリエ派との関係改善が求められている。
学校では国語や算術を中心になりたい職業に応じた各種訓練も行っていく予定なのだが、その訓練の1つとして剣術や体術のような軍属するための科目が欠かせない。
兵士となることは、貧しい家に生まれた者が手っ取り早く名を上げる方法の最たるものだからだ。特に現在はシレジアに多くの兵士を送り込んでいる状況にあり、広く募集が行われている。
シェイラはそれら軍事的な科目の導入にユーリエに近い家の者達に相談をした。
きっかけはジークヴァルトだ。
エルンストとの婚約が破棄されジークヴァルトと婚約者となったことで、シェイラにも護衛のための近衛兵がつけられることになった。付けられた近衛兵、カイン=ラッセルはジークヴァルトの側近の1人ではあるが、出身のラッセル子爵家はユーリエ寄りの家である。
シェイラはカインに頼み、学校に運営を手伝ってくれる者を軍に求めた。先々では専属の教官を置くことになるだろうが、教官となる者の訓練を含め、人選や訓練にはどうしても軍の力を借りたかったのである。
護衛だけではなく側近としてシェイラを助けて欲しいとジークヴァルトに頼まれていたカインは、シェイラの意を受け活動を始める。最初頼みごとをした時は、自分が新たな仕事を頼んでいいのだろうかと不安だったのだが、王太弟殿下からお嬢様の片腕となるよう言われていますと当然のように返され、以来、心置きなく頼りにしている。
ユーリエ派の家の出身なのだから、シェイラのやることには批判的なのではとも考えたのだが、そのようなことはまったくなかった。
ある日聞けば、確かに家はユーリエに近いですが、軍にいればそのようなことはあまり気になりませんねと、ごく自然な返事が戻ってきた。
カインは、シェイラにつくまではシレジアでジークヴァルトに仕えており、兄ヴィリーの上官でもあったらしい。もちろん今回のシレジア行きにも同行するはずだったのだが、ジークヴァルトに頼み込まれ残ることになったのだと苦笑していた。
「あんなに頼まれては応じざる得ませんよ」
「まぁ」
「まさか殿下が秘めておられた方が、貴方とは思いませんでしたが、言われてみれば確かにそうですね」
「ラッセル様?」
「耳飾りと同じ色です」
カインはシェイラの頼みに応じて、軍部に話を通してくれた。
そして仲間を連れてきてくれたのだが、その中にエルフリーデ=ゲディングを見つけた時には流石に驚きを隠せなかった。
エルフリーデは現ゲディング侯爵の長女で、リデルの姉に当たる。
ジークヴァルトより1歳年上で、リデルではなく彼女の方がお茶会に出てきてもよかったのだが、軍属し、家族からは変わり者扱いの状況である。
彼女もまたシレジアに赴任していたのだが今回は外れている。ゲディング侯爵が娘を前線に向かわせるのを嫌って上層部に手を回したらしいが、彼女自体は大層不満そうにしていた。
まぁ手伝えとカインに連れられて来られた日、シェイラに対しうんざりとした表情を浮かべた。
が、意外にも打ち解けることになる。
「ほら、殿下の」
カインの耳打ちにエルフリーデは、一瞬きょとりとし、次に顔を上げてシェイラを凝視し、一息置いてあっと声を上げた。さらにシェイラをまじまじと見、頭を抱える。
ゲディング侯爵家ではもちろんシェイラの話題は禁句だ。婚約者に選ばれなかったリデルは、お茶会の席でシェイラに声を荒げたことで評判を落として屋敷に引きこもってしまったし、侯爵も夫人も怒りを露わにしている。
エルフリーデ個人としては思うところはないのだが、妹が泣けばかわいそうに感じるし、荒れれば鬱陶しい。主に荒れて大声を上げている日の方が多く、最近はあまり屋敷に足を踏み入れないようにしている。
緊迫の状況時は別として普段は決して穏やかな物腰を崩さない。階級が低い者にも気さくに接し、厄介ごとも多いだろうシレジアを統率している王太弟殿下に、この荒い気性では合わないだろうなと納得もしたのだが、それとシェイラのことはまた別である。
シェイラ=マティアス侯爵令嬢。
国王と王太后お気に入りの才媛。そして、廃嫡されたエルンスト王子の元婚約者。
ユーリエに近いエルンストを王子とするための一石でありながら、失敗し、そうでありながら自身は王太弟妃の地位を手に入れた権力欲の塊。
まず抱くのは冷たい印象だ。くすんだ金のような髪で左目を隠しつつ、ふとした時に見る色彩はアンバー。オッドアイは不気味で特に左のアンバーが実際の年齢を完全に裏切り、戦場の鬼とも言われた国王を思い出させさえする。
それがエルフリーデのシェイラに対する評価だったのだが、目の前に立った少女は随分と印象が異なっていた。
明るい金色の髪、そして左右の双眸は碧。透き通る湖面のような碧は確かに理知的な印象を与えるが、17歳と言われて驚きはない。
あれと首を傾げたのだが、カインに指摘されそれを見つけ、思わず顔を赤らめた。
王の鈴と言われ長く左目を奪われていた少女の右耳にはエメラルドの耳飾りがある。
瞳の色と同じ色はおそらく彼女の守り石でであることを想像させる。
が、左側にはない。
戦後、シレジアに駐留しジークヴァルトの側近くに仕えた者にとって、エメラルドの耳飾りと言えば思い出すのは1つしかない。
例えば1日の終わり、賑やかな夕食を終え短い自由時間を過ごす時。
不意に風が吹き長い髪を揺らす時。
愛おしむように、左耳のエメラルドを撫でる。
無謀にも聞いた者がいた。
誰かからの贈り物なのですか、と。
大切な人から借りているものだよ。
そう言ってジークヴァルトは少し寂しげに笑った。
その、片割れ。
「貴方が、殿下の」
彼女こそがジークヴァルトの秘めたる恋の相手だったのだと気づく。
名を告げることが出来なかったはずだ。
カインもエルフリーデも王宮で、ジークヴァルトの護衛として2人がすれ違う瞬間に立ち会ったことがある。
王弟殿下、マティアス侯爵令嬢と、硬質な声が味気なく違互いの敬称を呼び、令嬢は完璧な礼を取った。
時間にして数秒、それが数少ない交流だったのだろうか。
エルフリーデは息を飲んだ。
その瞬間、受け入れる。
理屈でも常識でもなかった。
シレジア駐留部隊にとって、命を狙われ落ち延びてきたジークヴァルトは最初、守るべき存在だった。時が経つにつれ、慕わしい王族となりそして、頼るべき指揮官へと変貌した。
軍には貴族の常識より優先する物がある。
「ゲディング様?」
「その耳飾り、片割れは殿下がお持ちではありませんか?」
「え?」
突然の問いにシェイラは首を傾げ、次に頬を染めた。
「あの、えぇと」
「いつも見つからないように左耳を隠すように髪を結えていらっしゃるのですが、側近くの者達であれば皆、何度か見たことがあります」
あたふたとしつつもやがて、はいとうなずいた少女の幸せそうな笑みがすべてを知らしめる。
「殿下の婚約者となられたシェイラ様にお仕えできますこととても光栄に存じます。この度はご婚約、誠におめでとうございます」
妹ではだめだった。
他の令嬢でもだめだった。
貴族の理論など通るはずもない。
どうしてそうなったのかまでは詳しく分からない。
が、ジークヴァルトが望むのは確かに彼女だった。
そして、受け入れたシェイラもまた恋心を秘めていたのだと知った。
ジークヴァルトに仕える騎士達は、主人が自身の意思で妃を選び、選ばれた令嬢もまた主人を想っていたのだと理解し、シェイラの存在を歓迎した。
その後、軍でも指折りの女性騎士であり、高位貴族の令嬢でもあるエルフリーデ=ゲディングはシェイラの側近となり、護衛としてよき相談相手として彼女を支えた。
もちろん学校の設立にも大きく関わることになり、彼女が実際に剣を持って中庭で子供達を教えることもあった。
ユーリエ派の家の出身であるカインとエルフリーデに加え、レノ派のフロイド子爵家の出の宰相府の文官ロイス=フロイドも協力するようになり、シェイラのユーリエ派を重用に対し、ユーリエ公爵は矛を収め、長女を側近に抜擢されたゲディング侯爵家も表立っての批判を控えるようになった。少なくともそう見えるだけの表面を取り繕った。
王妃は幽閉され、動ける女性王族はカテリーナしかいない。
故に未だ婚約者でありながら、王家と貴族はシェイラに王家に準ずる者としての働きを求め、王太弟の不在を埋めるように活動する若き令嬢を民衆は歓迎した。
もう一方でシェイラはまだ学生でもある。
出来る限り学術院での生活を楽しめるようにとのカテリーナの配慮で、新学期になると再び寮生活に戻った。
院内では同性の護衛の方がいいだろうと大半はエルフリーデが請け負ってくれた。
エルンストとアリアという頭痛の種がなくなったこともあり、随分と穏やかで楽しい日々を送れることになった。
大体は午前中の必須の講義を受け、友人達とランチをし、午後は王宮に向かうという生活になったのだが、それでも週に一度は1日院内にいる日も作っていた。
落ち着いたとは言えないまでも、生活に馴染んできた5月初旬、その日は王宮に行かずともよく、午後院内のカフェでソフィアとお茶をしていたシェイラは意外な人物を見かけることになる。
エルンストだった。
軍服に身を包んだエルンストが、学術院の中庭を通り過ぎ、教授棟へと向かっていた。




