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アーデルベルトとともに遅れてやってきたシェイラは、ジークヴァルトのいたテーブルには来たもののリデルやユイナとの会話に入ってくることはなかった。春休み中でしばらく会っていなかったソフィアを会話をした後は、アーデルベルトとカテリーナやり取りをしている時間が長かった。
気をつかっているのかこちらの方を見ることはほとんどなかったが、ジークヴァルトの方はと言えば気づけば目で追っていた。
胸元にはジークヴァルトの守り石が光る。
立ち姿は完璧で、アーデルベルトやカテリーナとの会話にも臆することはない。常に落ち着いており難しい話を振られてもまったく動じることもない。
ただ、最近左目の碧を取り戻した彼女はふとした時、年頃の令嬢らしいあどけなさを見せる。
その時、記憶が呼び戻される。
かつて、5歳という幼さで婚約者になってくれた少女は、ほとんど話すことさえかなわなかった5年という年月さえジークヴァルトの支えとなってくれた。
彼女が自分の守り石を持ち続けてくれている、それだけがジークヴァルトの縁だった。
細い細い絆が、遠く国境の地でジークヴァルトが軍人として生きていく支えととなり糧となってくれた。
その少女が今、エルンストとの婚約関係を解消した。
迷う。
貴族間の争いの渦中に巻き込みたいわけではない。
この5年間大変な思いをしてきたのだ。これ以上、辛い思いをさせたくない。
同じ王妃となるとしても、アーデルベルトの継妃となった方がよほど皆に祝福されるだろう。既に確固たる地位を持つ彼の隣にいた方がずっと穏やかな日々を送れるだろう。
けれど、と思う。
5年間の断然の時間を過ごしてなお、何も変えられなかった。
自分が彼女ではない女性を王妃として選び、今彼女の胸元にある「青」が別のものに変わってしまえば、きっと自分は泣くだろう。
それでも王として在らなければならない自分が、酷く虚ろなものに思えた。
リデルはよい王妃となってくれるのだろう。
けれど、ただ、彼女がよかった。
今更この心を変えられるとも思えない。
「どうすれば」
無意識に声が漏れていた。
すると、お前達は本当に厄介だなという呆れた声が戻ってくる。
「陛下?」
気づけば思ったよりも近い場所にアーデルベルトが立っていた。視線を横にずらせばカテリーナとソフィア、そしてシェイラの3人が楽しそうにやり取りしているのが見え、だからこちらに来たのだと肩を竦めている。
アーデルベルトに遠慮してかリデルもユイナも遠ざかっていた。それでも密談をするように手招きされる。
「厄介、ですか」
「お前もだしあの娘もだ」
「そうでしょうか」
「あぁ、お前はあの娘に辛い思いをさせたくないと迷い、あの娘はお前の足手まといになるかもしれないと遠ざかろうとしている」
馬鹿か、お前達は。
王はあきれる。
この救いようのない将来を目の前にして何故、同じ道を歩もうと出来る?
同じ不幸を味わいたいのか、お前達は。
「何かあればお前がなんとかすればいいだけのことだろう。お前があの娘が追い詰められているのを黙っていられるはずがない。シレジアの司令官殿はそれほどに無能ではなかろう」
それだけの力を持てばよいのだとさも簡単なことのように言われるが、ジークヴァルトはすぐには答えられない。
けれどと思う。
自身の手のひらに視線を落とす。
この手に、彼女の手を離さない力はあるだろうか。
シェイラの朝は同年代の令嬢からすれば早い。
が、この日いつもより寝過ごしてしまう。
昨日、休むのが随分遅かった。
お茶会から戻ったのは夕方で、その後アリア=カラフェの取調べの内容を書類にしたためた。途中、めずらしく日が変わらぬうちに帰ってきた長兄のイザクを迎え、書類を作りながら同じ内容の報告をした。
したためた書類は伝書用の鷹にくくりつけ、闇夜の中に放った。
それを終えてから湯あみをし、ベッドに入った時にはもう日付を超えてしばらく経っていた。
「お嬢様」
シェイラが目覚めたことに気づいたのだろう。程なくして洗顔用の盤を持って現れた侍女のマリーが、早くご準備をと急かしてくる。
「そんなに寝過ごしてしまったかしら」
「いえ、そういうわけではございませんが」
困惑顔の侍女が告げた。
朝早くに旦那様が帰って来られたのです。イザク様もヴィリー様も起きていらっしゃって、皆様お嬢様をお待ちですわ。
「お父様が?」
一気に目が覚める。
宰相府に泊まり込む方が平常運転のフェルディナンドが、朝に戻ってくるなど滅多にないことだ。
何事かあったのかと慌てて身支度を整え、部屋を飛び出した。
階段を下りたところで母テレーゼを見つけ尋ねれば、3人で剣の稽古をしているわよと実に呑気な返答が戻ってくる。
どういうことかと首を傾げながらも庭へと出れば、言葉通り剣の稽古をしている3人がいた。とは言え実際に剣を握っているのはイザクとヴィリーで、フェルディナンドは庭に出したテーブルでお茶を飲んでいる。
椅子には剣が立てかけられ腕まくりの状態だったから、3人で稽古をしているというのは間違いではないだろう。
「おはようございます、お父様」
「お前にしては遅くはないか」
シェイラが現れたのも気づかず、2人は打ち合っている。軍属のヴィリーの方がもちろん能力は高いのだが、弟の筋をすべて知っている兄もなかなか負けていない。稽古と言っても実に楽しそうに打ち合っていて、思わず笑みがこぼれる。
「どうして急に剣の稽古なんて」
「あれは脳筋だからな」
下手に会話をするより打ち合った方が何倍もコミュニケーションが取れると、呆れたようにフェルディナンドがつぶやく。
脳筋、と実に的確な表現に押し黙り、一拍置いて吹き出してしまう。
「私も参加させていただけるかしら」
立てかけられたフェルディナンドの剣を借りようと視線を向けると、うんざりした口調に止められる。
「あいつのバカ力を受けたら、お前など一たまりもないぞ」
「そうなのですが、少しは手加減してくださるのではないかと」
いいなぁと思いながら眺めていると、屋敷の方からテレーゼが出てくる。
「いい天気なので、今日は外で朝食にしましょう」
侍女達が朝食の準備をするのを見ながら珍しい家族のそろい踏みに首を傾げる。
全員で朝食なんていつぶりかしらとテレーゼの声も弾んでいる。
「あなたは間に合わないと思っていたわ」
「それはさすがに、いや、本当は夜のうちに戻りたかったのだが」
妻の満面の笑顔に一瞬声を詰まらせたフェルディナンドは、朝食の匂いにつられ剣を下ろしてしまった兄弟の元に向かい、ヴィリーの頭をぐしゃりとかき混ぜる。
「お前、また腕を上げたのではないか」
「そりゃあ殿下のお側に仕えているのですから」
少し自慢げな口調で応じるが、滅多にない父からの褒め言葉にヴィリーは嬉しさを隠さない。
イザクの方はといえば口を尖らせている。宰相閣下に毎日こき使われている兄に少しは手加減してくれてもいいんじゃないかとぼやきながらもヴィリーの肩を抱き、3人の男達が楽しそうに戻ってくる。
それを微笑ましく見ていたシェイラは、兄の言葉が聞こえはっとする。
だからか、なのか。
「ヴィリー兄様」
出た声は思った以上に硬かった。
自分はどんな顔をしているだろう。気づいたヴィリーが、2人から離れ近づいてくる。
「シレジアに出立されるのですか?」
「今夜な、民衆を驚かせるわけにはいかないから暗闇に紛れていくよ」
官僚でもなく、軍属もしていないシェイラが、内密の動きを知らされていないことはやむを得ない。が、今夜には行ってしまうのだと突然突きつけられれば動揺は隠せない。
「殿下もですか」
「俺が殿下の側を離れるわけがないだろう」
「そう、ですよね」
混乱をする。
殿下が遠くに行かれてしまうとか、危険な目に遭われたらどうしようとか、お茶会のあと何かあったのだろうかとか。
そんな感情が一気になだれ込んできて、思考がうまく動かない。
「朝食だ」
そんなシェイラの肩をフェルディナンドが叩く。
「お父様」
ふんと鼻を鳴らす。不機嫌そうな夫に思わずテレーゼは声を立てて笑い出す。
「テレーゼ…」
「朝食にしましょう。そのために帰ってこられたのですもの」
言葉通りだった。
滅多に戻ってこない息子と一度くらい食事を一緒にしてくれてもいいんじゃないの。成人した、しかもいかつい軍人から発せられたとは思えない台詞だが、皆が忙しいこの家では家族が集まるのはとても貴重な機会だ。
昨夜、イザクの後にヴィリーが帰ってきたらしく、2人は相当遅くまで酒を酌み交わしていたらしい。そして、明け方にフェルディナンドは戻ってきた。
早くに起き出し、パイを焼いたのだと嬉しそうに母は説明をする。この朝のことをシェイラが知らなかったのは、しばらく王宮に通い詰めでテレーゼと話す機会を持てなかったかららしい。
シェイラははいとうなずき、朝食の席についた。
久しぶりの家族の団欒はとても楽しいものだった。いつもよりゆったりと時間をかけ食事をし、最後にテレーゼの焼いたアップルパイとシェイラがいれたお茶を楽しむ。
もちろんシェイラも楽しんでいるのだが、ふとした時考える込むような仕草をする。
そんなシェイラを若干不機嫌そうにフェルディナンドが見ていたり、テレーゼが苦笑していたりしているのだが、彼女に気づくほどの余裕もない。
やがて楽しい時間が終わり、フェルディナンドはイザクを連れ立って宰相府へと出かけていった。ヴィリーは招集がかかっている夕方までテレーゼの相手をするらしく、屋敷内が静けさを取り戻す。
もうすぐお昼時という時間だった。
「え、ちょっと、うわー」
ありえないとヴィリーが額に手を押し当てる。
「司令部で大人しくしてらっしゃるって言ってたじゃないですか」
やっちゃったよとか、自分の立場分かってますとか、そら1人でも大概は大丈夫でしょうがとか。文句を捲し立ててみるのだが、すべてさらりと聞き流されてしまう。
ヴィリーはうなった。
が、頬は自然とゆるむ。
5年前、すべてを諦めてシレジアに下っていったこの高貴な人が、また諦めてしまうことを耐えられるのだろうかと案じていた。
「まぁ」
「テレーゼ、突然に悪いが、シェイラを少し借りても構わないかな」
息子を話相手にティータイムを楽しんでいたテレーゼもさすがに驚き、口元を手で押さえたものの、侍女にシェイラを連れてくるよう頼む。
シェイラと言えば自室で手紙を書いていた。
今日に限って王宮からの呼び出しのなかった彼女は、もう話す機会さえないのだろうかと残念に思っていた。とは言え勝手に王宮に押しかけることも出来ず、深夜の行軍を一目でも見て、手紙を渡すことくらいは出来るだろうかと思いついたのだ。
伝えたいことがあった。
「殿下!!」
思いもかけない機会に礼を取るような余裕もなかった。
昨日、アーデルベルトともに現れた時のあの優雅さなどまったくない。
いつになく慌てた様子にかつてのあどけない少女が重なり、肩を竦め笑ってしまう。
そんな彼女がよかった。
「シェイラ」
シェイラは直前で一瞬ためらったけれど、それを許さずジークヴァルトは彼女の背に腕を回す。
力を入れ、抱き上げる。
年頃の令嬢にするような行動ではないが、そんなことは知ったことではない。
彼女が好きだった。
シレジアに下って5年間、少しも変えられなかった。
多分、これからも変えられないだろう。
1つに結えられた髪がふわと動き、隠れていた耳飾りがシェイラの前で揺れる。
「シェイラ」
「殿下」
この願いだけかなえても構わないだろうか。
かなえる力が自身にあるのだと信じても構わないだろうか。
そうこの瞬間、2人は同じことを考えながら向かいあった。




