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ライドゥル兵の取調べは程なくして済んだ。
聞き続けたところで、こ何か有用な情報が出てくるとは思えなかったからだ。
ティトゥーリアとの戦争を望むのはライドゥルの大多数なのか、すなわちライドゥル王自身の意志なのかという点については結論が付かなかった。
長くシレジアでライドゥルと相対していたジークヴァルトも、かつて終戦協定の席で向かい合ったアーデルベルトも、国王イグナシオがそう簡単に戦の腰を上げるとはとてもではないが思えなかったのだ。
彼は、戦争を止めるために兄殺しを受け入れた人物だった。
シレジアの割譲と引き換えにしても終戦を望み、5年間に渡り一度として好戦的な動きを見せず、ただただ内政に注力していた。戦後も両国間は決して友好とは言えなかったが、共に冷静に努めてきたはずだ。
何よりも、動くのだとしても何故、今年の、しかも春なのか。
不運なことに、昨年の秋もライドゥルの収穫高は悪く、とてもではないが種まきのこの時期に農民を戦場に送り込むとは思えなかった。
5年前の停戦もやはり、不作が発端だった。
やはり、どう考えてもイグナシオとは考えにくい。
では、何故なのか。
前の戦争で主戦派だったライドゥル貴族のうち、とくに好戦的な者は、前の国王とともに処刑、または流刑等により皆貴族の地位を剥奪されている。
その中に新たな主戦派は生まれたのだとしても、彼らが戴く王族が誰か。
ライドゥルはティトゥーリアよりも王族の権力が強く、王族の庇護なくこのようなことが起こるとは考えにくい。
前の国王は死んだ。
確か、その前国王の長男、イグナシオが王冠を戴くより前の王太子が聖職者として生きながらえることが許されたはずだが、その子はまだ18、20で成人と認められるライドゥルでは、未成年王族が間諜を扱う特殊部隊を掌握することなど可能なのだろうか。
ではその子以外に誰がいるだろうかと考えるが、合致する人物は思いつかない。直系王族からその周囲へと範囲を広げようとすれば情報に行き詰まる。
ライドゥルの王都には大使館を置いているのだが、両国の剣呑な関係が邪魔をして収集は遅々として進まない。
何よりも言葉の問題が大きかった。
同じ隣国でもセドナとティトゥーリアの言語はよく似ていて、同じ文字を使っている。対してライドゥル語は文字も違えば文法の並びも異なる。さらには口語のライドゥル語に対して、文語の古ライドゥル語などという者も存在し、直接留学しても2年や3年での習得は難しい。そういう意味ではシェイラのライドゥル語の習得は異常なのだが、エルンストの妃候補となった時から、元よりのセンスの良さと彼女自身の執念により、特に古ライドゥル語の扱いについては国内でも指折りの存在となった。
そこから彼女はマルグリッドの仕事の一部を引き受け、宰相府やアーデルベルトからも翻訳を依頼されるなど、若くして政治の片隅に足を踏み入れることになる。
だから、兵士の取調べに参加したことも特に驚くべきことではなかった。フェルディナンドにジークヴァルトの付き添いを命じられなかったらおそらく、今日逮捕されることになっているカラフェ男爵の取調べを覗きに行こうとさえしていた。
シェイラにとって、ライドゥルの動きはどんな小さいものでも対岸の話ではなかったのだ。
毒に体調を崩したジークヴァルトは慣れているとの言葉通り、夕方に軍司令部を出てからは特段不調もなかった。
ライドゥルの間諜についてはシェイラから聞いたのがすべてなのだろうと他の者に改めて聞くということもしなかった。あのフェルディナンドがただの看病くらいで娘を送り込んでくるとも思えなかった。
ジークヴァルトがシェイラと一緒にいられたのはそう長くはない時間だった。
会話をし、女官が用意してくれた軽めの昼食を終えた後、作った資料を宰相府に届けなければならない言ったシェイラとは、王宮内で別れた。
彼の行く先は王の執務室だった。
「体調はどうだ」
「慣れた毒だと思っていたのですが、受け付け切れなかったようです」
「王太弟にしては少し無謀ではないか」
「申し訳ありません」
まぁいいとうなずいたアーデルベルトは執務机から立ち上がり、ソファへと移動する。促され向かい合って座ったジークヴァルトは、早速自身のシレジア行きを進言した。
「シレジアの軍を増強する必要があります。数はひとまず2000。編成については部下に指示のうえ、私は先行してシレジアに戻ろうと思います」
「2000、そのくらいか」
「はい、ひとまずは動きを確認したく考えております。ついては、「影」を何名か同行させたいのですがよろしいでしょうか」
「構わない、余からも連絡しておく」
「ありがとうございます、陛下」
では早速、明日にでも出立しますと立ち上がったジークヴァルトに、待てと声がかかる。
「陛下?」
ジークヴァルトは怪訝そうな表情を浮かべ、アーデルベルトに向き直る。特段会話をしていたわけではないが、シレジアの増強は急務で、その指揮官であるジークヴァルトの帰還は既定路線だ。
「予定外のことはありましたが、そもそも今回は学術院の卒業に合わせて戻ったに過ぎません。こちらでの残務も終わって」
「残務ならある」
顔を上げたアーデルベルトはうんざりという表情をする。いや、気の毒そうな表情と言った方がいいのか。思い当たることがないジークヴァルト首を傾げるが。
「王太后様が準備しているお茶会には出てから行け」
「お茶会?」
「お前の妃選びとも言うな」
あまりに想定外のことを告げられ、すぐに返事が出来ない。
そんな決まり悪い表情が、頬を膨らませるカテリーナに似ているような気がして、くくとアーデルベルトは思わず笑った。
「確かに、きな臭いとは言え決定的な状況にはまだないライドゥルより、こちらの方が急務であろう。お前はシレジアにいるのをいいことに婚約者選びから逃げていたわけだし」
「陛下」
「それに、お前がうまくやってくれないと、次は俺の継妃選びになる」
それは困るんだと告げる口調はいつもよりずっと砕けたものとなる。
この日、アーデルベルトはいつになく穏やかにジークヴァルトに対した。
彼はずっと年下のこの義弟が苦手だった。苦手、というより嫌いだった。彼にとってジークヴァルトはカテリーナを父王に奪われた事実を突きつける存在でしかなかった。
ジークヴァルトの幸福よりは不幸を望んだ。
エルンストの婚約者としてフェルディナンドが娘を差出してきた時には内心ほくそ笑みすらした。エルンストが失敗したなら娘を自分の継妃にしてもいいとさえ考えていた。
が、マルグリッドを離宮にやったことがアーデルベルトの荒れた感情に安定をもたらした。
そして、あの円卓の終わり。思いもかけずカテリーナの言葉を聞き、本心を知り、信じられないほどあっけなく、怒りは霧散した。単純なことこのうえないが、彼女の想いが同じ場所にあると知り、ひどく救われたのだ。
そう、自身と同様、想定外に王位を受けることになった義弟をからかい、焚きつけてみようと思うくらいには。
「その件は」
「王太后様はゲディングの令嬢を推しているようだが」
そこで言葉を切り、ジークヴァルトを見る。
不安げな表情に再び笑う。
「言っておくが、俺が継妃を迎えるとしたらシェイラしかおらんぞ」
「陛下!?」
まったく冷静さを欠いた青の双眸が凝視してくる。
おかしくてならない。
「何故、陛下は」
かすれた声が問う。
5年前、立ち塞がった大人達の思惑が、そしてまた面倒極まりない貴族の我が儘が、若かったこの義弟に忍耐に忍耐を強いた。
ひたすら待って、待って、自制に自制を重ね、ようやくシェイラを取り返せる機会が来たというのに、諦められるとでもいうのか、この義弟は。
俺ならば無理だ、彼女さえ拒まなければ父からも奪っていた。
貴族の矜持とやらが染み付いているというのも面倒なことよ。
そんなことを考えながら続ける。
告げることはあくまで事実だ。
「あれは王太后様をして舌を巻くほどの優秀さで妃教育を修め、17にして俺と対等に論じてくるような娘だぞ。フェルディナンドが宰相府にと目論んでいるようだが、返す気はさらさらない」
にやとする。
さあ、自制心の塊になってしまったような義弟に、もう一押ししてみようか。
「優秀にして勤勉、家柄も申し分なく忠誠心も篤い。そうだ、お前は知っているか?」
「陛下?」
「シェイラがライドゥル語を習得したのは、軍人の兄には敵わずとも、別の形で役に立ちたかったから、だそうだ」
「エルンストには残念なことだが、この5年、あの娘はずっとそなたのことだけを案じておったよ」




