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宮殿内が騒がしくなったのに気づいたカテリーナは、途中、席を外した。
退席したところで特に気にするような相手でもない。
そして、宮殿の表まで足を運び、雨に濡れたジークヴァルトとシェイラを見つける。
この日、王宮に上がったシェイラが挨拶のため王太后宮を訪れることは分かっていたし、日々の様子から時間も想像できた。
そして、王の命令によりシレジアから戻ったばかりのジークヴァルトが、軽く休んだ後、軍司令部に行くと告げ、宮殿を出た。
2人が出会う可能性を考えなかったわけではない。
けれどカテリーナは特に何をしたわけではなく、ただ、偶然が引き起こされたら何が起こるだろうかとほんの少し、思い浮かべただけだ。
結局、何があったのかは分からない。
2人は雨に濡れて戻ってきた。
シェイラはいつもは隠している右目を見せていて、ジークヴァルトはいつもは左側でまとめている長い髪をほどいていた。
ただ、女官が渡したタオルを使ったためにそうなっただけかもしれない。
そんな2人の前に現れたカテリーナは、今日は早く学術院に戻るようにと告げた。確かに、お茶を飲むにはいささか遅い時間だ。今、彼女は来客中でもあるし、おそらく明日もシェイラは王宮にやってくるだろう。ジークヴァルトが代わりに抱えた大きな封筒を見れば容易く予想がついた。
シェイラ自身もカテリーナの反応は驚くものではなかったのだろう。明日はもう少し早くうかがいますという言葉ときれいな挨拶をして帰ろうとした。
この5年間、妃教育の先生と生徒という立場でそれこそ週の半分以上も顔を合わせている2人である。それより前も将来の義理の母娘と慕っていたこともあり、礼節こそわきまえているものの慣れたものである。
が、では帰りますとシェイラがジークヴァルトから封筒を受け取ろうとしたところで、カテリーナは予想外の言葉を放った。
学術院に戻る頃には暗くなってしまうわ。そうだわ、ね、ジーク、シェイラを送ってくださらないかしら。
と。
完璧な笑顔を向けられ、ジークヴァルトはたじろぐ。司令部に行くのは明日でもよいでしょうと続けた彼女に、断られるという考えはない。
王弟殿下に送っていただくなど恐れ多いことでございますと、慌てたシェイラが言い返したが、次期王太子妃のあなたが恐れ多いなどありえないわとあっさりと切り返される。
2人は困惑の顔を見合わせる。
そこに、あなたシレジアの指揮官をしているのでしょう、剣の稽古を怠ったりはしていないわよね。そう、穏やかだがこの上なく押しの強い言葉が降りかかり、ジークヴァルトは一時間を置き、苦笑した。
そして、私に護衛させてくださいますかと、やや大げさな動きで、近衛の礼を取る。
うろたえ、動揺し切った視線を、カテリーナ、ジークヴァルトと順に向け、決定がくつがえらないことを悟ると、シェイラはおずおずと手を差し出す。カテリーナともあろう人が安易に申し出たとは考えられないが、ジークヴァルトとシェイラという組み合わせは、貴族社会にさざめきを起こすだろう。
単なる好意、とは思えない。寧ろそれが目的なのだろうかと勘ぐろうとするが、この日あまりに多くのことがあったシェイラはひどく散漫で、うまく考えがまとまらなかった。
だから、ジークヴァルトに促され、こくりと頷いてしまう。
今日、彼と会えたことが、話が出来たことが、そして、シェイラのエメラルドが彼の耳飾りとなっていたことが嬉しくて。
もう少し一緒にいてもいいだろうかと、欲張りになってしまう。
シェイラはジークヴァルトとともに王太后宮を出た。
その時ジークヴァルトが振り返り、ひどく楽しそうな表情を浮かべるカテリーナに対し、眉を寄せたのにも気づかなかった。
さて、ジークヴァルトとシェイラを送り出したカテリーナは、応接に戻った。
時間にして15分ほど、その間待っていた、わけではなく、王太后宮の応接でまったく気にせず書類を広げていた男に、ため息をつく。カテリーナ手ずから入れたお茶はすっかり冷めてしまっている。
この子にはこの親だわ。
優秀かつ勤勉、父も娘も呆れるほどによく働く。父親の方も昔はもう少しかわいげがあったのだけれどねと、今度は深く、相手にも聞こえるように息を吐いてみせる。
「時間がかかっているようでしたので、仕事をしていました」
「フェルディナンド…」
もう一度入れる、気にはなれない。女官にお茶を用意するよう告げてから向かい側のソファに座ると、右手にペンを持ったまた、悪巧みは終わったのですかと問われる。
「失礼ね」
「随分と楽しそうな声がこちらにも聞こえてましたよ」
含んだ視線がカテリーナを見る。
言葉になっているのは口先だけで、決して目は笑っていない。
「カテリーナ様」
少し詰めるような口調で宰相フェルディナンドは畳み掛けてくる。カテリーナは三度ため息をつき、嫌そうな口ぶりで告げた。
「陛下はシェイラを継妃にしたいようよ」
「継妃とはまた、…マルグリッド様をどうするつもりと?」
「側妃に落とすつもりではないの。確かに、マルグリッドには王妃の地位は重いわ」
「だから、王妃を挿げ替えて、シェイラに王子を生ませようという算段ですか。あの方がそれほどに王位継承に執着しているとは思っていませんでしたが」
そう、フェルディナンドは吐き捨てる。宰相でもあり侯爵でもある彼は、娘に対しても単に父親の顔ができるというわけではないが、…それでも自身の娘を子作りの道具のように言われて何も思わないわけではない。
陛下の周囲に置いている影が報告してきたのよと、やはり苦い表情でカテリーナが続ける。女官がお茶と一緒に持ってきたクッキーを咀嚼し、広がる甘みになんとか自身を落ち着かせようとする。
アーデルベルトはよい王だ。
ただ、妻と子はそうはいかなかった。
いや、マルグリッドの方は、公爵夫人としてならなんとかなったかもしれない。けれど、王妃は違う。この国第一の女性が子爵家出身などそう簡単に認められることではないのに、彼女は王妃として君臨するための努力をせぬまま、権勢だけを手に入れたような気になっている。
更に問題なのはエルンストだった。残念なことにアーデルベルトの勤勉さを受け継いでいない彼は、学術院での勉強も、王太子としての仕事もおざなりにし、更には、婚約者の存在を無視して、側妃候補とやらを探し回っていた。確かに、王ともなれば側妃の何人かを抱える可能性はあるのだろうが、その前に、王になるべき者としての覚悟が備わっていない。
王は帰属社会の裁定者でもある。貴族間のバランスを取り、ある時は権勢をし、国政を担わなければならない者が、円卓により決まった婚約者をないがしろにするなど愚かとしか言いようがない。
エルンストがマルグリッドの協力を得、男爵令嬢に首飾りを贈ったという報告を聞いた時、カテリーナは目の前が真っ暗になった。
アーデルベルトも同様だったのだろうと、同情しなかったわけではないが、結果出てきたのが継妃というのなら、悪手としか言いようがない。
アーデルベルトはよい王だが、やはり、貴族社会を分かっていない。
「シェイラを継妃にしたところで何もできないわ」
「王弟殿下を焚きつけたのは、牽制のためですか」
「フェルディナンド」
含んだ視線を向けられ、カテリーナは一度口を噤んだ。カップを持ちかけた手を膝へと戻し、真っ直ぐにフェルディナンドを見据える。
「あなたは、稼いだ時の帰結をどう考えているの?」
問いを問いで返す。
解をもらうことなく問われる立場になったフェルディナンドは、やや首を傾げたものの、すぐに向き直り、ゆったりと笑んだ。
「私は、陛下のご意思に従うのみですよ」
「フェルディ、」
「私の選択は5年前と変わりません」
「私は、陛下の選択の正しきことを信じております」




