02
3日後、婚約相手という令嬢に会う日になってもやはり、ジークヴァルトは現実味を感じていなかった。
それでも最初カテリーナに告げられた時よりは若干、その令嬢に対する興味は持ち始めていたのだ。
決して、婚約相手として意識したわけではない。
ただ、現在ジークヴァルトの専らの興味の対象、剣の師匠である第二騎士団長からなんとしても1本取ってみせるという並々ならぬ意欲を共有する学友にして将来の側近候補であるヴィリー=マティアスが彼女の兄だったからである。
カテリーナに告げられた翌日、いつもの剣の稽古の後に尋ねてみると、ジークヴァルトより2つ下、10歳になったばかりの快活な少年は早速兄バカっぷりを発揮した。
力強く妹の可愛さを語り、婚約なんてまだ早いとげっそりとしたヴィリーの反応からすると、侯爵家の一人娘として大切に大切に育てられたお姫様なのだろうという印象を抱いた。
国王やカテリーナ、カテリーナの実家であるリッカ公爵家、ジークヴァルトの学友を何人か用意していたが、中でも一番気さくにやり取りできるヴィリーをジークヴァルトはかわいがっていた。
そのヴィリーが溺愛する妹ならば一度くらい会ってみてもいいかもしれない。
ひたすら可愛いと訴える顔も見てみたいしと、最初に聞かされていた時よりも幾分気楽な気持ちで、3日後を迎ることになった。
その日もヴィリー達とともに、第二騎士団長の稽古を受けていたジークヴァルトは、カテリーナから言われていた時間から若干遅れて、彼女の宮殿へと向かっていた。
ヴィリー達と別れた後、移動の時によく使う庭の近道をやや早足で歩く。
春の日差しが心地よい、気持ちのいい午後だった。
木陰で昼寝をしたらさぞ気持ちいいだろうと、休憩場所によく使っている大木を通りかかる。
誘惑を前に、ヴィリーの妹に会ってみよういう興味が少し薄らいでしまう。
自然と足取りが遅くなり、つい足が大木の方へと立ち寄ってしまう。
さやさやと揺れる春の花に囲まれてそびえ立つ、その大木の下にかたまりを見つけたのはその時だった。
「あぁ、リューネか」
ジークヴァルトも気に入っているその大木は、国王の愛犬がよく昼寝に使っている場所でもあった。
こんな暖かな日はついうとうととしてしまうだろう。
心地よさげに目を閉じているリューネの仲間に加えてもらうのはどうだろうと、更に足が大木へと向く。
その時、思わず声をあげそうになった。
リューネの大きな胴体に守られるように丸まって、少女が眠っていた。
柔らかなベージュの毛と似た色で、きらきらとした金糸がこぼれ落ちている。多分きれいに編み込まれていたのだろうが、遊び過ぎたのかリューネに遊ばれてしまったのか、その両方なのだろう、解けかけたふわふわの髪が頬を覆っている。
ジークヴァルトは息をするのもためらうように、慎重な足取りで一歩を踏み出す。
大人達のやり取りに飽きて、庭に出てきたのだろうか。
それにしても珍しい。
滅多に初対面の相手に懐くことのないリューネがこの少女を気に入ったらしい。胴へとのばれた小さな手を振り払うことなく、気持ちよさそうにしている。
ジークヴァルトの来訪気づいたリューネが、半分ほど眼を開ける。
思わず、口元に指を当て、音を立てないように命じると、穏やかな気質の愛犬は、ほんの少し胴をずらしつつも静かにしていた。
が、失敗したのはジークヴァルトの方だった。
少女の眠りを妨げたくないと思い、そっとそっと近づいていたのに、地面に落ちていた小枝を踏んでしまう。
ぱきりと音がなった。
あ、という声と、驚いたリューネの一吠えが重なる。
らしくもなくジークヴァルトがうろたえていると、リューネの中で丸まっていたかたまりがもぞりと動いた。