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「え?氷雨、まだ起きてないんですか?」
翌朝いつも通りの時間に目が覚めた雷翔は中学からの習慣である氷雨を迎えに行くという任務をこなすために、自らの家とは比べものにならない敷地面積を誇る凍堂邸に来ていた。
夜遅くまで仮想世界に潜り、あまつさえ激しい長時間の戦闘を繰り広げた雷翔に少しでも疲労が無いかといえば当然嘘になるが、習慣とは恐ろしいもので一分たりとも遅れることなく、目覚まし時計が鳴ると同時に目が覚めた。それから朝食や弁当の準備などなどの家事を一通り済ませ、家を出た時刻はぴったりいつもと同じ時間。
雷翔が氷雨を迎えに行く時間になると大抵は氷雨は既に準備を終えて待っているのだが、どうやら本日は寝坊をしている様子。
「そうなんですよ……朝弱いところはお父さんに似たみたいで……」
雷翔の言葉に苦笑いを浮かべ、困ったような表情でそう答えるのは、氷雨の母である凍堂
麗奈。
雷翔の両親と同じく既に40代も半ばを過ぎ去っている筈だが、未だに何処かふわふわと柔らかくウェーブを描く栗色の髪とノーメイクでも周りの女性から羨望の眼差しを集める20代前半の美貌を保つ、雷翔の中では両親に次ぐ顔面詐欺だ。
何故か雷翔の身の回りには年相応には全く見えない大人ばかりが集まっているが、本当にこの人達は歳をとっているのだろうか?
「………何か失礼なことを考えてませんか?」
「いえ、何も」
そんなことを考えてしまったのが顔に出てしまい、目敏くそれを見抜いた麗奈は一見すると穏やかな笑顔を作り、首を傾げが、雷翔は背中にじっとりと冷や汗をかきながら努めてポーカーフェイスを作り、さらりと受け流す。
女性の年齢について詮索するのは太古からの禁忌。雷翔もその程度の分別は持ち合わせている。
「とにかく、あの子に構って雷翔君まで遅刻させる訳にもいかないので雷翔君は先に学校に行ってください。知っての通りあの子は中々起きませんからね」
その言葉に、以前氷雨の家に泊まった際に雷翔が何をしても氷雨は一切目を覚まさなかったことを思い出し、失笑する。
結局その時氷雨は腹を殴っても起きず、仕方なく雷翔が鳩尾に全力の踵落としを叩き込んだところでようやく目を覚まし、暫し悶絶していた。
それでも起きなかった場合は男子特有の急所を蹴り上げてくれようかと考えたものだが、後に本人にその事を伝えたところ暫く氷雨の雷翔に対する態度が敬語になったが、悲しいかな人は忘れる生き物。刻みつけられた恐怖も忘れ、今ではこの通り元気に寝坊なぞをしている。
「はは……じゃあ、お言葉に甘えて先に行かせて貰います。」
雷翔としてはこのまま氷雨の部屋に突撃してその男としての勲章を思い切り蹴り上げてくれても良かったが、今度は床からではなく病院のベッドから起き上がれなくなりそうなので思い直し、素直に麗奈に従うことにした。
「それじゃ、失礼します。」
「いつもごめんなさい、氷雨にはキツく言ってきますね。
あ、それと隼人君と彩ちゃんによろしく言っておいて下さいね。
いつも二人には助けられていますから。」
「わかりました、ほどほどにしておいてやってくださいね」
麗奈の言葉に軽く一礼して凍堂邸を辞去する。
雷翔一人の登校は随分久しぶりだが、たまには五月蝿いのが居ない平和な登校もいいものだろう。
そんなことを考えながら、雷翔はゆっくりと閑静な住宅街を歩き始めた。
「だああああああ!!遅刻だ遅刻うううう!!!」
「………はぁ」
平和な登校時間を満喫し、クラスの自分の席で携帯端末をインターネットに繋いでWebサイトを閲覧していると、朝のHRが始まる丁度一分前に廊下から騒々しい叫び声とバタバタバタ!ガシャン!キャー!!という愉快な音が雷翔の耳に届く。
またあいつか……と言わんばかりの空気になるクラスメイト達に苦笑すると、雷翔は一つ嘆息してからインターネット接続を閉じたうえで端末をスリープモードにしてスクールバッグに突っ込み、代わりにお馴染みの小さめの救急箱を取り出す。
「3……2……1……」
「おっしゃあ!ギリギリセー……ぶっ!?」
雷翔が始めたカウントダウンがゼロを刻んだ瞬間、氷雨がガラッと教室の戸を開け放ち、そのまま教室に踏み入ろうと足を出し、戸の敷居に躓き転倒。
それと同時に虚しく始業のチャイムが鳴り響き、氷雨の朝は教室の床と熱いキスを交わすことから始まった。




