第二戟 森の中で美少女に遭遇したと思ったら、男だった件(2)
―――――――あれ? 俺いったいどうなったんだろう?
女の子の叫び声を聞いたその瞬間意識が暗転し、意識が戻ったらその身に感じるのは冷たい水の感触。ついで轟々とした激しい水流が流れ落ちる滝音が鼓膜に重く響いていた。
この状況から察するに、俺は女の子に投げ飛ばされて気絶させられた上に滝壺に沈まされていたのか。まぁ、重しでもついていない限り、人間の体は水に沈むことはないので、死ぬことは免れたようだが……。
ぼんやりとした表情で木漏れ日から差し込む陽光を眺めつつ、俺はだらんと四肢を投げ出した格好のまま水面に浮かんでいた。
考えるのは、水浴びをしていた、女神のように美しい少女のことばかり。
(はぁ……、綺麗、だったな。生まれてこの方、あんなに間近で女の子の裸を見たことがなかったしなぁ~)
ムフ~、余韻に満ちた鼻息を漏らすと同時に、俺は一度水面に浮かんだ体を沈ませ、水中で勢いをつけて水族館の曲芸イルカのように水面を飛び上がる。
はぁっと肺にため込んだ空気を吐き、手慣れたクロールでどうにか岩岸へとたどり着く。
淵に手をついて滝壺から上がると、水面に浸かっている時には気にならなかったが、水分を含んだ服が重たく肌に張り付いて気持ち悪かった。
ギュウ~~~~~~~~~~、と服の裾を絞りながら、俺は再びあの少女がいないか辺りを見回してみる。
しかし、この辺りには自分以外の人間の気配はなく、どうやら完全にあの少女を見失ってしまったようだ。
「……しくったな。せっかくあの娘に山を降りる方法を教えてもらおうと思ったのに」
やはり今日は野宿か。
まぁ、それでもいいかと思う自分がいた。
というか、最初はそのつもりだったんだし。水場を探していたらたまたま女の子がいたってだけだからな、と珍しく諦めのいい答えに俺自身も驚きながらも、今夜はここで野宿するかと身支度を開始する。
そういえば、もう野宿する場所は決めていたけど、わざわざ戻るのもめんどくさし。それに人の気配がしたここに留まったほうが利口だと察したからだ。
次の日になれば、あの娘のようにここに足を運ぶ人物がいるかもしれないという、淡い期待を抱きながら俺は今晩の焚き火をするようの枝などを集めた。
そうこうするうちに日も暮れ出し、カァーカァーとカラスの掠れた鳴き声が辺りに木霊する。
夕焼け色に染まりつつ空を仰ぎながら、
「あ~、学校サボちまったな。何気に皆禁賞狙っていたのに……」
と、どうでもいいことを呟きながら級友の顔を思い浮かべた。
そういえば……、田辺に貸した週刊チョンプの締め切り今日だったことを思い出す。
こりゃしばらく返してもらうのは後になるなと独り言ちながら、俺は黙々と枯れ木を集めていた。
「……結構遠くまで来ちゃったな。薪も結構集まったし、そろそろ引き返すか」
どうやら薪を拾うのに熱中し続けた様子。気が付けば川岸からだいぶ離れたところまで歩いてしまった。
何十本もの枯れ木を落とさない様にしっかりと抱えながら、俺は元来た道を辿ろうと足を踏み出すと、不意に背後の茂みがガサガサと揺れだした。
一瞬歩みが止まるが、どうせ獣かなんかだろうと思い、さほど気に留めずに歩こうとする。
だが、その考えも次の瞬間には改めされられることとなった。
それは―――――――。
自身の頬を掠めるようにして通り過ぎた何かの存在に他ならなかった。よくよく見ると、それは一本の矢であり、俺から見て右隣に生えた木々の根元に突き刺さっていた。
どうして、こんなものが――――――。
俺は驚愕と恐怖に染まった視界で忙しく辺りを見回す。
しかし、辺りには俺以外の人間の姿はどこにも見当たらない。
気のせいかと思いなおし、再び歩き出そうと足を踏み出したそのときに、今度は倍とおもしき弓矢が俺の傍ギリギリを通り過ぎ、シュカカカカと軽快な音ともに地面に、木の幹に突き刺さる。
こうなっては流石に気のせいと思えず、俺は両腕に抱えた木の枝を打ち捨ててこの場から逃げ出そうとするも、恐怖心で上手く足が回らない。
気ばかりが焦る中、俺は両足をもつれさせながら派手にすっ転ぶ。
盛大に土埃を上げながら、2mほど転んだ俺の体はあちこち擦り切れており、うっすらだが血が滲んでいた。
そういえばこれは余談なのだが、恐怖に支配されているときほど、痛覚が敏感になるらしくて、普段では大したことない傷も大げさに痛むことがあるらしく、今まさに俺がその状態である。
普段ならかすり傷など唾でもつけてたら治ると豪語しているが、この時ばかりは耐えきれないほどの激痛へと変わり、俺は傷口を押えて痛みに悶えていた。
そんな俺をあざ笑うかのように、茂みの中から数人の男たちが姿を現した。男たちはちょんまげ姿に古めかしい鎧を身につけており、それぞれの手には刃こぼれした日本刀や弓矢が握られていた。
その時代劇や大河ドラマに出てくるような出で立ちに、不謹慎ながらも俺はホッとしてしまう。
「あ、はははは。そうか、今のはドラマの撮影かなにかですよね? なんのドラマなんですか? それにしても危ないですよ。いくら山奥といっても屋を所かまわず放つなんて」
どこか可笑しいと思いながらも、そう思い込まないと自分自身が崩壊してしまうような気がしたからだ。
恐怖で身を崩すなんて、親父に知られたらまた幻滅されるだろうな、と思いながら、俺は相手側の出方を待つ。
どうかドラマの撮影であってほしい、そんな淡い期待を抱きながら。
しかし、そんな俺の一縷の望みも、男たちの野太い笑い声で吹き飛ばされてしまった。
「ガハハハハハハッ!!!!! 何言ってんだこいつ!!」
「とうとう気が変になったんでぇねぇか!!」
「ビビッて小便でも漏らしちまったか!! まぁ、安心しろや。すぐに楽にしてやんよ」
「まぁ、身ぐるみは全部はがしちまうけどよ!!」
何がおかしいのかギャハハハハハと下品な声をあげて笑い転げる男たち。
どうやら、これはドラマの撮影ではないらしい。
じゃあ、こいつらは武将コスプレマニアの窃盗団なのか!?
でもどこか話に食い違いは残るが、こうなってはそんな些細な事は何の問題はない。
今すぐに逃げなきゃ、と体が危険視号を発するが、如何せん俺の体は言うことを利かない。
こうなっては嬲り殺されるだけだ。せめて一矢報いてやろうと決意するも、多勢に無勢。素手と獲物持ちじゃあ話にならない。
俺の人生もここまでか、と潔く己の人生に別れを告げて、もうじき訪れるだろう死の足音を待っていたが、一向にその気配を感じない。
それどころか、俺を殺そうとしていた男たちの悲鳴が辺りに轟いているではないか。
何事だ、と慌てて瞼をかっ開いてみると、そこに立っていたのは月夜をバックに流麗に佇む一人の美剣士であった。
その周りにはその剣士にやられたであろう、無様な体制で気絶した男たちが横たわっていた。
しかし、その剣士が持つ獲物は粗末な造りの木刀であり、それでよく真剣を持っている男たちを打ちのめしたものだと感心していた。
とりあえず、この剣士が助けてくれたのでは間違いないので、俺は慌てて立ち上がり、とにかく礼を言おうと剣士の傍へ歩み寄る。
が、そこで一つの違和感が。
座っていたときには気づかなかったが、この剣士はずいぶんと背が小さく、体も女のように細かったのだ。
これでよくあんな男どもとやり合えたなぁ、と驚いていると、不意に月を覆っていた雲が晴れ、その剣士の顔を露わにした。
月光に照らされたその顏を見た瞬間、俺の体に衝撃が走るのを感じた。
まるで神が自らの体を作ったような、この世に存在する人間とは思えないほどの、完成された美貌に俺は息をするのも忘れて見惚れていた。
腰まで伸びるほどの艶やかな黒髪を頭頂部で結い上げ、夜風にサワサワとそよいでいた。
アーモンド型の大きく円らな黒い瞳には、フサフサの俺の小指の先ほどの長さを持つまつ毛が覆いかぶさっており、何とも言えない魅力を醸し出していた。
スッと伸びた鼻筋に、プックリとした桃色の唇……、どこをどっても美しかった。
こんなに綺麗な娘を見たのは久しぶり……、つか、よくよく見ると男……、か?
チッ、なんだ。女じゃないのか、と助けてもらったのに、相手が女でないことが分かるとあからさまに落胆する俺は、自分でも思うが良い性格をしていると思う(勿論悪い意味でだ)。
え? なんで男って断言するのかって?
んなもん、年頃の女の子がこんなに平な胸をしているわけないだろうという、思春期の男が抱く勝手な憶測からくるものであった。
美”少女”が美”少年”だと判明したところで、俺はようやく体中を駆け巡っていた恐怖心が薄らぐのを感じ取り、とりあえず命の恩人に礼を言おうと未だ恐怖という緊張に震える口を開く。
「あの……、助けてくれてありがとうございました。君が来てくれなかったら、俺はあいつらに殺されていた……、って。そういや、よくよく見れば君の顔どこかで見たことがあるような―――――――?」
そうなのだ。
この少年の顔がどうも記憶の一部に引っかかっており、今にも思い出せそうなのだが……。どうにも記憶が混濁しているようで思い出せそうにない。
あ~、モヤモヤする!! こういうのを喉まで出かかっているって言うんだろうな。
俺がウ~ンウ~ン、と首を捻って必死に思い出そうとしていると、眼前に立つ少年は妙に慌てた様子で、
「べ、別に無理に思い出さなくていい!! そんなことよりほら!! 早くここから離れよう。いつまでもここに留まっては危険だ」
と、男にしては高い声、女にしては少しばかり低い声でそう言い、半ば強引に俺の手を取って駆け出す。
俺は少年の取った行動に驚きつつも、一向にこの場から離れたい一心で、少年に手を引かれるまま懸命に足を動かす。
その理由としては先ほど見事な剣捌きで倒した男たちは気絶しているだけで、あともうじきもすれば目を覚ましてしまうからだ。
そうなれば男たちは激高して俺たちを襲う確率が高く、これ以上争い事は御免だったので、この少年の行動は正直ありがたかった。
十分ほど走った俺たちは、森を抜けた先に佇む一軒の廃寺の入り口で荒く息を吐きつつ、走ったせいで乱れに乱れた呼吸を整えていた。
「――――――はぁ、ここまで来れば大丈夫。それにしても、どうして夜分遅くにあの森にいたんだ? あの森は地元の者でも日が暮れてから立ち入ることを禁止されておるのだぞ」
額から流れ落ちる汗を拭いながら、少し怒気を含んだ視線で睨む少年であった。
その目つきの鋭さに俺は一瞬言葉が詰まりかけるも、かろうじて口を開いて事の成り行きを話した。
「……実は、俺にも何が何だか分からねぇんだ。気づいたら森の中にいて。それから森の入り口を探って歩いていたら川に出て……、あぁ!! そうそう、君さ。このあたりに住んでるんだろ? ならさ、滝壺辺りで水浴びしていた女の子を知らないか?」
「し、知らない!! ……にしてもお前は一体どこの国の者だ? 少なくともこの村や隣村の者ではないな。そのような奇怪な装いをした者を見たことがないし、それにこの辺りに住む者ならば、この山に不用心に近づかないはずだからな」
「……そうなのか。というか、俺にしてみたらアンタやさっきのおっさんらの出で立ちの方が珍しいんだけど」
と、俺はジロジロと不躾ながらも少年の全身を舐めるように見つめ、まるで時代劇からそっくりそのまま出てきたような格好に目を見張った。
麻で出来た着物に山吹色に染められた帯、それに草で編まれた草鞋―――――、とまんま昔話に出てきそうなどこかの村に住む子供みたいな装いである。
こんな着物、今時の子供すら着ないよなぁ。というか祭りのときでさえ着物というか浴衣を着ている人も年々少なくなってきたしな。
と、容赦なく浴びせられる俺の視線に気づいた少年は、何故か両腕を胸の前で組んで、俺の視線から逸らすように体を捩りながら、妙に赤くなった顔をこちらへと向けつつ口を開く。
「――――――――そ、そんなに見つめるな。恥ずかしいじゃないか。というか、お前は本当に面妖な奴だな」
「面妖って……、いやに難しい言葉遣いで喋るんだな。あぁ、そうか。その格好にその喋り方といい……、今流行りの”中二病”ってやつか。俺の周りにもいるよ、そういう奴。いやぁ、それにしても最近のは手が凝ってるな~」
「ちゅうに? 何を分からないこと……。むむむ、先ほどから怪しい言葉を放ちおって。―――――――――このままでは埒が明かんから一緒に来てもらうぞ」
要領を得ないとばかりに眉を潜めた少年は、俺の了承を得る前に再び強引な手つきで俺の手を掴みにかかる、が。
さっきと違い、幾分余裕があった俺はその手が触れる前に手を引っ込める。
「……おぉと! 助けてくれたところは感謝するが、これ以上会ったばかりの奴とは深く付き合わねぇ主義なんだ俺は。まっ、この際アンタでもいいからちょっと道を教えてくれねぇか?」
当初の目的を思い出し、俺は少年にここがどこなのか尋ねる事にした。道さえ聞ければこの少年に構う必要もない。礼を述べ早々にこの場を立ち去ればいい筈だったのだが……。
「……道を? なるほど、お前は旅人だったのか。ここは、播磨国の山沿いにある小村だ。この道を進めば明日の夕刻には城下町に「ちょい待ち!!
ちょい待ち!!」どうした? 人の話の腰を折って」
「いや、その……、もう一回だけ言ってくんないかな。少し考え事しててさ、話聞いてなかったから」
と、嫌な単語が耳に入ったような気がした俺は、少年の言葉に割り込むようにして再度聞き返す。
少年は少し不機嫌そうに顔を顰めつつも、
「……一度だけだからな。ここは播磨国の山沿いにある小村で、お前は道に迷って誤ってこの山に立ち入ってしまったのだろう。だが、安心しろ。この道を真っ直ぐに行けば、明日の夕刻には城下町に着くであろうから、って。どうしたんだ? いきなり膝をついて?」
俺の問い返しに律儀に答えてくれた少年には悪いが、少年の話を聞き終わった俺は深い絶望感に全身を苛まされた。
えっ? ハリマクニ? なにそれ、いつの時代だよ? 兵庫県じゃなく? というか教科書の中の地名じゃないの?
俺はあまりのショックに意識が遠のくを感じつつ、意識を失う前に最後に見たのは、少年の端正な顔が驚きと悲しみに歪んだことであった。