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さあ踊りましょう


「で、ユウキくんとは上手くいってるの?」


 母がそんな事を聞いてきたのは、夕食が終わってコーヒーを飲みながら一息ついている時だった。

 神城くんは今日は部活にもジムにも行かなかったので、体を動かし足りないのか何処かへ走りに行ってしまっている。ご飯を食べた後にすぐに走って、お腹が痛くなったりしないのだろうか。


「上手くいってる……と思う」


 実際の所は特に何も進展していないのだけれど、最初にあった微妙な距離は少しずつ無くなっていると思う。

 たまに気まずくなる時もあるけれど、そういう時は大抵マコトがフォローしてくれるので、その辺りは本当に助かっている。


 もっとも私達の牛歩を見ているマコトは「おまえら小学生か」と事あるごとに文句を言っているのだけれど。文句を言いつつも世話をやくのが彼女らしい。

 けれどそんなマコトが一緒なせいで、神城くんの頼りない印象が強くなり、気になりつつも恋の段階には進まないのかもしれない。

 私がそう言うと、母は「あの歳でしっかりしてる子の方が珍しいわよ」と何やら楽しそうな様子で言った。


 何がそんなに面白いのかと聞いてみると、何でも神城くんのお父さんも昔は地味で頼りなく、今のようになったのは神城くんのお母さんと出会ってかららしい。

 恋は人を変えるという事だろうか。


「だからユウキくんが頼りないなら、あなたが変えてあげればいいじゃない」


 そう笑って言う母さんの提案は、神城くんを変える前に私が変わらないとどうしようもない、果てしなく遠く感じる案だった。



 五月も下旬に入り高校生活にもようやく慣れてきた頃、ついに学生にとって試練とも言える中間テストが始まった。

 僕は普段から予習復習をして試験勉強はあまりやらないタイプなのだけど、どちらにせよ勉強はやる破目になる。普段は強気な幼馴染が、この時ばかりは涙目になりながら「助けてくれ」と勉強を教わりに来るから。


 マコトは頭は悪くない。悪くないのだけど、一人では勉強が出来ないタイプらしい。

 誰かが見張るなり教えるなりしないと、すぐに集中力が切れて眠くなるという、典型的な勉強嫌いだ。まあ人に教えるというのは、自分も理解出来てるかどうかの確認になるので、願ったりかなったりだったりするのだけれど。


「おーわった!」


 そして最後のテストが終わるなり、両手を拳にして天に掲げるマコトを見て、僕は苦笑し、カナタさんは呆れたように溜息をついた。

 今回は僕とマコトだけでなくて、カナタさんも巻き込んでの勉強会だったのでけど、最後の方はカナタさんの方が教えている時間が長かった。

 やはりマコトは、僕よりもカナタさんとの相性がいいのかもしれない。


「終わったのはいいけど、明日から林間学校だって覚えてる?」


 ストレスを雄叫びと一緒に吐き出しきったのか、満面の笑みでこちらへとやってくるマコトに、僕は呆れながら聞いた。

 それにマコトは「覚えてるぞ」と笑顔のまま答えたけれど、急にキョロキョロと辺りを見回すと「清家はどこだ?」と聞いてきた。


 清家というのは、林間学校で僕たちと同じ班になった男子だけど、マコトが彼を誘った理由は「なんかカナタに似てるから」という事らしい。

 それにカナタさんは若干渋い顔をしたけれど、清家くんの人となりを見て確かにと思ってしまった。


 無口でつり目で近付きがたい。二人を簡単に言葉で表そうとしたら、若干の差異はあってもそうなると思う。

 そんな男版カナタさんな清家くんだけど、どうやら既に帰ってしまったらしく、彼の姿は無ければ鞄も机に無かった。


 それを聞いたマコトは「付きあい悪いな」と愚痴ったけれど、清家くんからしたら同じ班になったくらいで、日頃から仲良くする気にはならないのかもしれない。

 カナタさんだって今は僕とマコトが一緒だけど、他の生徒とはそれほど仲がよくないし、それを気にした様子も無い。もし僕とマコトが居なければ、カナタさんも清家くんのように、学校では一人で静かにしているタイプなのだと思う。


 そんな清家くんの事は置いておいて、とりあえず帰ろうとしたのだけど、教室に残っていた生徒の一部が遠巻きに僕たちを見ていてある可能性に気付いた。

 もしかしたら清家くんが付き合いが悪いのではなくて、僕たちがクラスから浮きすぎているから、さっさと距離を取られたのではないかと。



「目的地に着くまでゴミ拾いって、何の罰ゲームだよ」


 林間学校に着くまでの山道の中、そう愚痴りながらもきちんとゴミを拾うマコトは、やはり見た目に反して良い子だと思う。


 市内から少し離れた山奥にある林間学校は、木造のよく言えば趣のある、悪く言えばボロい廃校を再利用したものらしい。

 周囲は完全に山と森に囲まれていて、正に林間学校という感じなのだけれど、夜中にどれだけ虫が出てくるのだろうと考えたら憂鬱になってくる。まだ夏というには早すぎるので、蛾などが飛んでくることは無いだろうけれど。


 そうやってゴミを拾いながら目的地まで半分ほどとなった所で「自転車捨ててあんぞ」「だれか拾えよ」という男子の話し声が聞こえてきた。

 気になって前の方をよく見てみると、そこには確かに前輪の外れた自転車が放置され、草の中に埋もれていた。けれど流石に自転車を担いで山登りはしたくないのか、前を歩いている人は誰もが無視して先へ進んでいる。


 そんな状況の中で「よし、拾えユーキ!」と命令するマコトは、変な所で負けず嫌いだし「うん分かった」と返事をする神城くんは妙な所で素直すぎると思う。


 いくら体を鍛えていても、それほど大柄というわけでもない神城くんが自転車を運ぶのは無茶だと言おうとしたのだけれど、神城くんは持っていたゴミ袋を清家くんに渡すと、自転車を軽々と右肩に担いで歩き始めてしまう。

 みんなが自転車を拾うのを躊躇したのは、注目されるのが恥ずかしいという理由もあったのだろうけれど、神城くんは他の生徒の視線も気にせずにさっさと山道を登っていく。

 もしかしたら神城くんは、私が思っている以上に大物なのかもしれない。

 私がそんな感想を漏らすと、マコトがニヤニヤと笑いながら「ユーキが大物なのは、半分は私のせいだけど、半分はおまえのためだぞ」と言う。


「泣き虫で情けなくて弱気なユーキが私から自立しだしたのはな、婚約者が居るって知ってからなんだよ」


 そう言って笑うマコトはどこか誇らしげで、やはり彼女と神城くんの間には、普通の幼馴染以上の強い絆があるのだろうなと思わせた。

 最初にネガティブな単語を三連続で出した事といい、神城くんとマコトの関係は、友人と言うより姉弟に近いものなのかもしれない。

 そしてその話を聞き、私は母さんの言っていた事を思い出して納得した。


 神城くんのお父さんがお母さんと出会って変わったように、神城くんも私という婚約者の事を知って変わった。

 まったく似ていないように見えるけれど、根本的なところでは似ている。似たもの親子という事だろう。



 林間学校は一泊二日の間行われ、初日のお昼ご飯は各自が持ってきたお弁当で、夜には定番のカレーを作る事になっている。


「だからって何で飯盒炊飯しなきゃいけないんだよ。しかも焚き火で」


 飯盒のつり下げられた下で燃える火を、マコトが「面倒くせえ」という感情を隠そうともせずに枝で突いている。

 カナタさんと清家くんは、二人で近くのテーブルにお皿を並べると、カナタさんがお茶を取りに行き、清家くんが先に出来ていたカレーを鍋ごとテーブルへと持ってくる。

 その間二人は無言。無口にも程があるというか、何で一言も話さずに役割分担が出来ているのだろう。やっぱりマコトの言う通り、似たもの同士なのだろうか。


 そんな事を考えていると、隣で焚き火をしていた班から「うわっ米硬!?」という悲鳴が聞こえてくる。どうやら水の配分を間違えたらしい。


「……私たちの米は大丈夫だろうな?」

「計量の時点でマコトが手を出してないから大丈夫だと思うよ」


 受験の合否と同じくらい真剣にご飯の心配をするマコトに、振り返りもせずに答えると、反応する暇も無い速さで頭に拳が落ちてきた。

 そういう事をするから、クラスメイトに怯えられると思うのだけど、最近ではむしろそれが良いという男子が出現し始めたらしい。実際に殴られたら、そんな事を思っている余裕が無いほど痛いのに。


「もう吹きこぼれてないから大丈夫じゃない?」

「ん? じゃあ開けてみるか」


 やる事のなくなったらしいカナタさんに言われて、軍手をしたマコトが二つの飯盒の内の一つを焚き火の上から取ると、ゆっくりと変な形の蓋を開ける。

 最初に中身を見たマコトは「お、大丈夫だ」というと僕らに飯盒の中を見せてきた。

 そしてそれに安堵していると、不意に焚き火の中から黒い物体がふわりと舞い上がり、マコトの持っていた飯盒の中へとジャストインした。


「火種に使った新聞紙の灰だな」


 今まで無言だった清家くんが、絶句している女子二人の代わりのように、黒い物体の正体を教えてくれた。

 何故そんなに冷静なのだろう。僕にはこの後の展開が容易に想像できて、憂鬱で仕方ないというのに。


「……じゃあこれは男子の分だな」

「うん」


 しばし沈黙した後に、当然のようにマコトが宣言し、カナタさんが灰入りご飯を僕と清家くんの皿によそっていく。

 僕は僅かな希望にすがって「いいの?」と聞いたのだけれど、清家くんは「死にはしないだろう」というクールな答えを返してくれた。

 とりあえず、カレーをこれでもかとまぶしても苦かったご飯が、一生の思い出に残るのは確実だった。



 ちょっとしたハプニングのあった夕食が終わると、数人がかりでグラウンドの真ん中に木組みが作られ、日が暮れると共にキャンプファイアーが始まった。

 その炎の近くで、演劇部やコーラス部といった部活に入っている人の出し物が始まったのだけれど、高校に入ってから始めたという人も多いらしく、所々たどたどしい様子が見ている生徒の苦笑を誘った。


 しかし苦笑で終われば良かったそれは、燃え上がっている炎はよそに、場の空気を著しく冷やす事に成功してしまったらしい。


「おーい! 参加したいやつ居ないのか? 女子の手握るチャンスだぞ男子!?」


 全ての出し物が終わり、最後は希望者を募ってオクラホマ・ミキサーを踊るはずだったのだけれど、前に出ると晒し者になるという雰囲気が出来てしまったために、生徒は誰も参加しようとしない。

 学年主任の顔は恐いけれど気さくな先生が、精一杯場を盛り上げようとしているのだけれど効果はなく、流れるBGMがとても虚しく聞こえる。


 こういった時は誰か一人でも出てしまえば、自然と他の人も出やすくなるものだけれど、残念ながらそんな勇気を持ち合わせた人間は居ないらしい。

 周囲の女子たちが「あんた行きなよ」とか「無理。恥ずかしすぎだって」とか言っているのを聞き流しながら、参加者が居ないのなら終わりにすればいいのにと、どこか他人事のように思う。


 しかしそんな他人事のような態度が悪かったのか、今まで静かだったマコトがいきなり私の右腕を掴んできて、引っ張り上げられるように立ち上がらされる。

 私が何事かと振り向くと、マコトはニヤリと最近見慣れてきたチェシャ猫のような笑いを浮かべ「ユーキが誘いに来ると思ったんだけど、来ないからおまえから誘いに行け」とそれこそ罰ゲームのような事を言い出した。


「……何で?」

「面白そうだから」


 その笑顔は、本当にチェシャ猫のように憎らしかった。

 実際の所は、今までと同じようにお節介を焼いているだけなのだろうけれど、今のこの状況で神城くんを誘うというのは、傍から見たら告白にしか見えないので流石に許して欲しい。

 それにオクラホマ・ミキサーは、順々に踊る相手を変えていくのだから、誘う意味などあまり無いと思うのだけれど。


 だけどそんな私の懇願は聞こえないふりをして、マコトは周囲の女子がいぶかしむのも構わずに、私の背をグイグイと押してくる。

 必死に抵抗してみるものの、神城くんを片手で持ち上げるようなマコトの力に、私が敵うはずも無い。マコトは一瞬力を弱めると、勢いをつけて私の背中を両手で突き飛ばし、結果私はキャンプファイアーを囲む生徒の輪から一人弾き出されてしまった。


 前で話していた先生が驚いた様子で私を振り返り、生徒達の視線が一斉に私に集中する。

 私はその状況を作ったマコトに恨み言を言う余裕も無く、動揺を表に出さないように意地を張りつつ、内心あたふたとしながら神城くんの姿を探した。



「神城、国生さん誘って行かないのか?」

「誤解が加速するからやだよ。よっしーが誘えば?」


 前でドワーフみたいな体型の教師がフォークダンスの参加者を募るのを眺めながら、よっしーこと吉田くんが茶化すように聞いてきたのに手を軽く振りながら答える。

 どうも一部生徒の間では、僕とマコトが付き合っているという噂が流れているらしく、ここ最近男子から事の真偽を尋ねられてばかりだ。否定しても信じない人が少なからず居るのだけど、完全に否定するためにカナタさんとの関係を暴露するわけにもいかず、こうやってからかわれる事がたまにある。


 まあ実際の所、カナタさんとの関係を親が決めた婚約者以外にどう説明するかといわれたら、恋人ではないし友人とも言いがたいとても不思議な関係なのだけど。

 今のところは、僕の片思いというのが一番正解に近いのだろうか。カナタさんの僕への感情が、恋へと変わる兆候は今のところ無いのだから。


「あれ、美藤さんじゃね?」

「なにぃ!? 相手は誰だ!?」

「いや一人だけど」


 美藤という名前を聞いて反射的に視線を上げると、放置されて悲痛な叫びを上げていた先生の近くに、カナタさんが居るのが目に入った。

 炎に赤く照らされたその表情はいつもと変わらないように見えたけど、周囲を見る視線は落ち着きが無く、どこか心細そうに見えた。

 それも当然かもしれない。カナタさんの性格を省みるに、注目されているのを嫌っているふしがあるし、突然こんな場所で目立つ真似はしないだろう。マコトにでも押し出されたのだろうか。


 そうやって僕が現状を把握していると、カナタさんが僕のほうを向いてほっとした表情を浮かべるのが目に入った。

 そしてカナタさんはこちらへ近付こうとしたけれど、何かに戸惑うように立ち止まり、そっと右手を差し出した。


 それは殆ど条件反射だった。カナタさんが呼んでいると思ったから、僕は今の状況も周囲のざわつきも気にせずに、歩いて彼女の下へ向っていた。

 何も言わずに差し出された右手を取り、他の生徒からひやかしの声が上がるのを聞きながら、次はどうしたものかとカナタさんと見つめあいながら考える。

 この時になってようやく正気に戻った僕は、実に困った事になっていると気付いた。


「先生。踊り方が分かりません」


 運が悪いというのか、僕が今まで通ってきた小中学校では、運動会でも文化祭でもフォークダンスをする機会が無かった。今流れている曲だって、聞き覚えはあるけれど題名すら分からない。

 僕の言葉を聞いた先生は、しばらく唖然とした後に笑い出すと、手招きをして近くに居た女の先生を呼ぶ。そして踊り出した先生たちの隣で、僕とカナタさんは一度顔を向き合わせると、見よう見真似で踊り始めた。


 一巡目は先生たちを見ながら、二順目はぎこちなく、交代する相手もいないので延々と二人で踊り続ける。

 ようやくぎこちなさがとれても、カナタさんの方が背が高いので、もしかしたら見た目はあまり様にならなかったかもしれない。


 そんな事を考えるほどに余裕が出来てきた頃に、いつのまにか隣で炎より濃い赤い髪が揺れているのに気付く。

 無理矢理つれてこられたのか、どこか憮然とした様子の清家くんが、マコトに引き摺られるように踊っている。少し離れた場所では、委員長がよっしーの手を引っ張ってこちらへ来るのも見える。

 どうやらこの学校の生徒は、男子よりも女子の方が積極的らしい。


 少しずつ参加者が増えていくのを確認し、カナタさんへと視線を向けると、調度カナタさんも周囲を見ていた視線をこちらへと向けてきた。

 お互いに無言。だけど何故だか笑みが浮かんできて、それにつられるようにカナタさんも微笑む。

 それが嬉しかった。


 普段あまり笑わないカナタさんのその微笑が、僕に向けられている事がたまらなく嬉しかった。

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