第六章・福州へ
とりあえず、コピペ。ゆっくり校正します。外字がケータイでみられないところがあるとおもうのでそこちらほら
閩に駐屯する南唐軍の兵は約十万、そして呉越の兵は三万。
明らかに、兵力において負けている。
しかし、南唐軍は閩の残党討伐や呉越との国境付近に兵を割き、福州に駐屯している兵は少ないだろう。
いや、実際に薄手になっていることは弘純の報告をうけている。
陸から攻撃すると見せかけて、閩江をさかのぼり南唐軍のふいをつく。
兵を水陸二手に分け、弘佐自ら出陣する。 統軍史は張筠、趙承泰を推した。
南唐軍に怯えている老将より若く、腕の立つ将ものを弘佐は選んだのだ。
――十二月、船艦三百を率いて杭州から閩へたつ準備が整った。
2
「兄上」
明日の出陣に備えてはやく休もうと寝室に向かうところを弘倧に引き止めた。
弟はどこか緊張した面持ちで、兄をみつめる。
「どうした、隆道? なにか問題がおこったのか?」
「そうではありませんが、すこしお訊きしたいことがあって……」
「そうか、では」
弘佐は人を呼んで茶を用意させるが弘倧は首を振る。
「その必要はありません。これを」
弘倧は弘佐に薬をみせた。
弘佐は内心ハッとしたが、表おもてではホッと安堵のため息を吐いてみせる。
「ああ、隆道がもっていたのか、薬が足りなくてさがしていた」
「なんの薬ですか?」
「……これは単なる咳止めの薬だ。私が喘息ぎみなのはしっているだろう?」
「にしてはこの薬の成分は強すぎる。兄上、私には嘘をつかないでください。 もしかして……兄上は病をわずらっておいでなのでは! もしそうならこの出陣はとりやめてください!」
「できない」
「できないなら、私が代わりに兵を率います!」
「お前にはこの国の守備を命じている、その命に背くことは許さない」
厳命に弘倧は唇を噛む。
臣たちは弘倧のほうが厳しく清廉な印象イメージが強いが、しかし、一番厳しいのはこの兄の方だ。
普段ふだん穏和で優しい弘佐は、自分の命に反する者には非常に厳しい。
「兄上……」
弘倧はそれ以上言葉ことばを継ぐことができなくうつむくのを弘佐は微笑で、肩に両手を強くおいて、弘倧の不安をやわらげる。
「私は必ず無事に帰ってくる。そう心配しないで吉報をまっていてくれ。もし無傷でなかったらののしってくれてもかまわない」
「ののしるだなんて……」
「お休み、」
弘佐はそういい寝室に入ろうとするのを弘倧はもう一度呼び止める。
「あ、あの兄上!」
「なんだ?」
「兄上はいまも〈金木犀の精霊〉を信じておいでで?」
その質問に弘佐は目を見張る。
そう訊ねてくるとは思ってみなかった。
しばらくどう答えようか迷ったが、弘佐はとりあえず口元を微笑み頷いてみせる。
「ああ、信じている。その証拠に院庭なかにわの金木犀の花が枯れないだろう? そこに精霊が住んでいるのだ」
……といっても、想像することが好きな弘俶ならともかく現実主義の弘倧は一笑に伏してしまうだろう、実際、弘俶は信じたが。
「…………私もその金木犀の精霊を見ました」
「え?」
「金髪碧眼で、女神のような娘、そうでしょう?」
「どこで……見た?」
「あ、その」
とたん、弘倧の頬に朱がのぼり、歯切れが悪くなる。
「兄上が中庭の金木犀の前で、その娘と、語らっていたのを見かけて……」
弘佐は苦笑して意地悪げに見やる。
「みていたのか? 睦言を」
「そういうわけではっ、兄上を探してて、偶然みかけただけでのぞき見なんて!! そ、そんなことより、あの女性が兄上がおっしゃる金木犀の精霊ですか?」
「ああ、…そうだ」
弘佐は目を閉じ、頷く。
(私の次に香霄の主になるのはこの隆道、か)
香霄は知っているのだろうか、そのことを……。
弘倧も自分と同じように香霄に好意こういをもったのだろうか?
だとしたら、少々やけるかもしれない。
「彼女をみてどう思った?」
「私にはまがまがしい者に、見えました」
「まがまがしい?」
意外な言葉に弘佐はつい聞き返す。
弘倧は不快な様子でいう。
「しかし、どこがとは言い切れない。
—美しく、たしかに惹かれますが、それが私には受け入れられないのです。まるで<紅娘>とでもいうのでしょうか……」
「紅娘、それはひどい言い方だな」
弘佐はムッとした。
『紅娘』とは男を色香で惑し精気を吸い取り魂を喰らう妖魔のことだ。
弘倧にはそう見えたなんて。
弘佐は密ひそかにため息を吐いていう。
「私には必要な女だ。だから彼女が何者であっても私は構かまわない、たとえ人でなくとも」
「兄上が幼い頃より想いつづけていた者だからですか?」
「ああ、そうだ。それに彼女は紅娘ではない。社禝だ」
「社禝?」
弘倧は理解に苦しむ表情をしたが、弘佐は微笑んでいう。
「彼女は代々王のそばにいて王を、そしてこの国を見守っている存在なんだ」
「よく、かわりません」
「いずれ…わかる、」
――そう、いずれ……。
3
「閩に向かうのね、弘佐」
弘倧と別れて寝室にはいると香霄が壁に背を預け、開口一番、そうに訊ねた。
弘佐は首を傾げて袍を脱ぎながら問う。
「香霄は私が負けるとおもっているのか?」
「全然、あなたは強いもの」
けれど、その眼差まなざしは不安に揺れているのを見て弘佐は微笑み、香霄の頬にふれる。
「心配ない。私には君という神がいるのだから」
「一緒に、行けないのよ」
「どうして?」
「その地はまだ呉越ではないから。せいぜい、手助けできるのは国境までよ」
「そうか。なら私の実力で勝ち取るしかないか……」
そう呟いてみても、はじめから香霄に助けてもらおうとは思っていない。
これは呉越国王としての役目であり、国を存続させるための戦だ。
香霄は弘佐の瞳を真正面からみつめていう。
「願いなさい」
「え?」
「この戦に勝ちたいと、私に願いなさい。これは呉越のための戦で、あなたの命をとるものではないと約束するわ」
香霄は傲慢な語調でいい、じっと弘佐を見据える。
しかし、弘佐は頭を横に振る。
「私の願いは、ただ一つだから」
「ただ一つ? それはなんなの?」
うながす視線に弘佐は形良い唇に笑みを乗せて、
「秘密」
「こんな時まで、あなたは!」
香霄は怒りの拳を弘佐の胸に打ち込む。
弘佐は手首を取って回避する。
「どうして、そう願って欲しいんだ、香霄は」
「もし、戦で弘佐が死ぬようなことがあったら、私は存在する理由がなくなってしまう……」
弘佐の優しい瞳に鋭さが宿った。
そして強く胸に引き寄せて、細いあごをすくい自分の方に向かせる。
「それは、私とともに『逝ってくれる』ということか? それとも、私の宣下なしでは、次の王に仕えられなくなるからか?」
「弘佐」
「答えてくれ」
「……王とか社禝だからじゃない、それは関係ないの、ただ、あなたを愛しているからよ」
「誰よりも?」
「ええ、社禝をその腕で抱いてくれるのは弘佐だけだもの……それがなくなるのは寂しい」
「私も香霄だけあればいい」
唇を奪い、香霄を優しく抱きしめる。
「弘佐……」
あの夜から何度抱き合っただろう。
肌をあわせるここちよさ、そして安堵感。
けれど切ない。
もしかしたらこの夜が一緒にいられる最後かもしれないのだから。
明日弘佐は閩閩に出陣してしまう。
本当は戦になんか行かせたくない。
兵を挙げて欲しくない。
香霄が民を安んじ、養う神だから人が死に逝くのを忌み嫌うのかもしれない。
ふと、業火の中の怨嗟えんさが耳に痛くこだまする。
弘佐を抱きしめる手にふるえが走った。
(あのときは、元瓘の願いだったから、あえて大火を起こした)
……心からの願いだったから。
それでも、あの怨嗟の声が痛い。怖い。
だから大火をおこした季節きせつがめぐると香霄は深い眠りの中に逃げ出してしまう。
(自分で起こしたことだというのに)
社禝自ら民の命を奪ったという責任から逃れるように眠りに身を任せてしまう。
でも、弘佐がいつも私の眠りを覚まさせてくれる。
強く呼んでくれて、傍に来いと引き寄せてくれる。
鏐でも、元瓘でもなく、弘佐が。
神と、人――本来ならその〈壁〉を越えてはいけない。
愛をかわしてはいけない。
なぜなら、神は〈人の儚さ〉に耐えられないからというから。
でも弘佐ならいい。
弘佐が幼いとき泣いていた私を慰めてくれた。
私が視えるのは王か、霊力をもつものしかいない。
独りになると気持ちが暗い方へと落ちていく。
なぜ私が社禝なのか、と。
社禝であることが悔しかったときに。
弘佐が私をみつけて、優しいあの小さな手で涙を拭ってくれた。そして、
「私が、……私がもっといいものをあげるから泣かないで」
弘佐は約束通り私に、私だけの簪を送ってくれた。
約束を違えない弘佐。
それに答えないといけないのに、彼は私になにも願ってはくれない。
国を楽園にすることもそして福州に出陣することも弘佐自身の意思と行動力——私はただ彼のそばにいることしかできない。
でも明日からはそれもできない。
「かならず、私のために帰ってきて弘佐。あのときのように私を独りにしないで………」
耳朶みみもとにそう囁ささやく。
香霄の、切なる願いを。
4
閩に向かう三万の兵士たちが整然とならび、兵馬都元帥である弘佐を見つめた。
弘佐はきらびやかな明光鎧をまとい、赤いマントを風になびかせる。
腰には鮮やかな朱鞘の刀。
それは弘純ひろずみからもらいうけた日本刀。
若いながらも威風を放ち兵馬都元帥として兵を率いるのにふさわしい勇姿。
「我が軍は今から福州を攻略する、――出陣!」
高々と通る兵馬都元帥の号令に、鬨の声をあげ銭塘江を幾百艘の船艦が海へとすべりでていく。
白帆をあげて行く船は、壮麗としかいいようがない。
肌寒い二月の陽射しは眩しく、海面が太陽の光を煌めき弾く。
弘佐はふと、どこまでも高く青い空を見上げ目を見張った。
そこに、香霄が浮いていた。
彼女がはおる鴇色の袍は、青の虚空にまう桃の花に似て、鮮やかに目立っている。
しかし弘佐にしか香霄の姿はみえない。
「香霄、なぜここに」
たしか彼女は海へでることはできないのではないのではないか?
また無理してきているのだろうか?
弘佐の心配をよそに彼女は不敵に微笑む。
「呉越に、勝利を!」
いうや、香霄は風を喚ぶ。
帆が風を受けとめ船足が速くなる。
香霄は弘佐の元に降りたって強く抱きしめた。
弘佐も同じように返すけれど彼女は風に融ける。
弘佐はその余韻よいんを心の底から愛しく思い、さらにつよく抱きしめた。
国のためにも、そして香霄のためにもかならず生きて戻る。
★ ☆ ★
夕暮――赤い陽射しをあびて東海の方から船団が現れたと報告があった。
奇襲か!
と、ざわめく兵士たちを弘佐は一言の下、制して船団を凝視する。
百艘をもひきいる船団……。
統制がとれているが軍船としては少々粗末な雰囲気がある。
海賊船? いやちがう。
「あれは……」
「呉越王に加勢する!」
高々と声が海に響き渡った。
聞き覚えのある声。
それは弘純だ。
弘佐は船に要塞を築くように命じ、弘純を出迎えた。
「弘純兄上! それに晁衡どの!」
「オウ! 約束通り加勢にきてやったぞ、このために鍛えた奴らばかりだ。福州攻略の先鋭として働く所存だ」
膝をついて弘佐に礼をとるが、顔をあげて弘純はにやりと笑った。
弘佐も力強く笑い返す。
「この戦はきっと勝てる」
5
福州に突如、鬨の声が響き、大地を震えわせた。
「何事だ!」
福州を任されていた蔡遇はおどろき飛び起きる。そして女墻から外をみやり、目をみはる。
夜も明けぬ時分に港の方面に火の手が赤々と燃え上がっているからだ。
将校が慌てて駆けつけ、膝をつき報告する。
「ご、呉越の船団が港を占領し、軍が押し寄せてきています!」
「応戦しろ!」
蔡遇は甲冑を身につけ城外に出る。
まだ明けない空を塗りつぶすのは黒煙とまがまがしい紅蓮。
南唐の船艦大半が焼かれ燃えている。
「なんと言うことだ!」
ただちに蔡遇と楊業は手勢をひきつれて戦場に向かう。
多くの呉越兵がなだれこんでくる。
南唐の兵は浮き足たって混乱を期していた。
呉越軍は陸路で閩閩にせめて繰るという報告をうけていたからだ。
蔡遇は兵卒らを鼓舞する。
「弱小の呉越の兵に負けるはずがない! 圧してかかれ!」
負けてははならぬぞ!
しかし鼓舞に応じる声はとても弱々しいものだった。
6
弘佐は自ら血路をひらき、兵を率いる。
人を斬ることをここちよい、とはおもわない。
おもったらそれこそ血だけをもとめる殺戮者にすぎない。
生きるか死ぬか、
呉越を守れるか守れないか、この一戦にかかっている。
剣が閃き兵士を絶命させる。
降参する兵は相手せずにただ刃向かう者だけを倒す。
鬼神か!
と、弘佐の戦いぶりをみて叫ぶ声は味方か敵からもあがった。
弘佐の指揮のもと南唐兵はつきづきと倒れ又は捕虜となり兵を指揮する楊業・蔡遇たちは追いやられ、そして追いつめられていった。
業を煮やした蔡遇が楊業が止めるのもきかずに弘佐の姿をみつけて、斬りかかる。
弘佐は血に濡れて切れ味の悪くなった剣を捨てて、腰に差した日本刀を瞬時に抜刀する。
キイィンと金属音が高くこだまし、剣を弾いて後に飛び退き、対峙する。
そして双方、血煙あがる地をけって、二閃、三閃と繰り出す。
「これは、いい」
弘佐は日本刀の使いかっての良さに内心感歎をもらした。
剣よりも軽い日本刀がしっくりきて素早く攻防を繰ることができた。
数合、撃ち合い火花が散る。
弘佐の刀の切っ先が蔡遇の甲の緒をきり、地面に甲が転がる。
蔡遇が少し躱すのが遅かったら首を刎ねられていた。
優劣瞭然。
蔡遇は弘佐の剣撃を避けるのに手一杯で、反撃ができない、呼吸が乱れ、弘佐のリズムに乗ってしまっている。
刹那、弘佐はマントを翻し蔡遇の視線を遮った。
「ぐっ」
蔡遇は目隠しを切り裂くが、剣をはねあげられ、スッ、との喉元に弘佐の刀の切っ先が突きつけられ身動きを奪われた。
「勝負あったな」
弘佐はニヤリと笑い兵士たちに捕らえさせる。
蔡遇は観念して剣をおろし、降参した。
そして息を大きく吸って吐く弘佐を振り仰ぎ名を訊く。
「お主、若いのになかなか見事な太刀さばきだった。ぬしは一体何者だ?」
眉目の整った顔、理知を感じさせる茶色の瞳は思わず見入ってしまう。先の戦いでは猛将を思わせたが。
まさか。
呉越王は二十歳そこそこの若者だと聞く。
先までの勇猛さがおもむろに穏和なものにかわり、弘佐は蔡遇に微笑み名乗る。
「……天下兵馬都元帥、銭弘佐だ」
★ ☆ ★
開運四年(九四七年)、三月。
弘佐率いる呉越軍は張筠らの活躍により南唐軍を大敗させる。
挙げた首は一万、楊業・蔡遇等をとらえて福州を獲得する。
これにより、不満をもっていた諸将は弘佐に服すことになった。
だが。
7
「なに! 福州が呉越の手に落ちただと!」
李景は、報せにきた官吏を怒鳴りつけた。
「途中まではうまくいってたはずではなかったのか!」
事実上、ビンは滅び、南唐の手中にあった。
だが、福州節度使に任命した李仁達が呉越に亡命し助けをもとめた。
福州救援と大義名分を掲げられ、呉越に福州および貿易の要の土地を奪われ、南唐軍は生産を生まない山岳部においやられた。
思い描いていた版図が呉越の若輩者に踏みにじられるとは!!
普段穏やかな彼が怒りの形相に染まるのをみて官吏は目を見張り青ざめるが、李璟はハッとする。
「もしかしたら呉越は我が国をも取ろうとしているのではないか?」
兵を割て薄手の、今を。
それにいまだ国内にも不満分子がおり反乱の期を虎視眈々とねらっている。
思い描くことのできる『幻の版図』をみているうちに足下をすくわれてしまうのではないか?
李璟はただちに国の警備をかためるよう諸将に命じた。
★ ☆ ★
――弘佐どうか無事で……。
香霄は弘佐からもらった金木犀の簪をつよくにぎって、祈る。
神が無事を願うというのも不思議だけれど、呉越の土地にしかいられない香霄は祈ることしかできない。
香霄には人の寿命を知る能力は無かった。
もうすこし、格の高い神ならば人の生き死にを知ることはできただろう。
でもだからそこ香霄は人の生き死にを悲しく哀れに想い民たちを大切にできる。
弘佐が帰ってくる、それは疑わない。
でもなぜ、こんなにも胸騒ぎがするの……。
「弘佐……」
そのとき、ピシ、と手の中で小さな音が爆ぜる。
「え?」
手の中に握りしめていた簪に、いきなり罅がはいった。
――どうして? まさか。
香霄は血の気が引いた。
不吉な予感に。
8
弘佐はただ西の空に沈む夕日を見つめていた。
空が燃えるように赤い。
閩江の水面を照らす煌めきの赤い江かわ。
「これで南唐が呉越を攻めることはない、そして」
(私が王としてやり残したことはない)
一時的だが国を守ることができた。
そう安堵した途端、急にだるさが襲って意識が遠のく。
何度かあった感覚だった。
その度に自分が倒れたらいけないと言い聞かせた。
必死に意識を握りしめる。
けれど、抗えない。
――いけない、ここで倒れては……。
「弘佐、ここにいたのか」
弘純に呼びかけられ、ふりかえると赤い陽射しが眩しく目にはいりすべてを緋色にそめた。
弘純の姿がおぼろげに捉えることができたのは奇跡に近い。
もうひとりいる、晁衡だろうか?
それでもすべてが緋色の中。
「やったな、弘佐」
「ええ……」
「どうした弘佐、顔色が悪いぞ?」
「いえ、なんでもありません。疲れたのかもしれません、すみませんが少し休ませてください」
弘佐は踵を返そうとしたとき突然胸が苦しくなり、血を吐く。
息ができない――苦しい――。
「弘佐!」
死ぬのだろうか。
意識がとぎれる前に、香霄の笑みが声が耳によみがえる。
必ず、帰ってきて私のもとに。
ああ、帰る。
香霄のもとに——。
身体が朽ちても魂は貴女あなたのもとに。
――遠い昔にも約束した、巫女、、と……。
「弘佐、しっかりしろ、弘佐!」
弘佐のもうろうとした視線は弘純をみていない。ただ誰かの名を、香霄の名を呼んでいる。
「おい、しっかりしろ弘佐!」
「仰向けにさせるな! 窒息する!」
晁衡は弘純の腕から弘佐を奪い、横にさせる。
「弘佐、弘佐っ!」
「しずかにしろ、兵に知られたら事だ。せっかくの志気を落としかねない」
「しかし、弘佐が!」
「静かにしろと言っている!! まったく、お前はこういう場面に弱い!」
晁衡の迫力に呑まれて、弘純は膝を折り、不安そうに弘佐を見つめる。
晁衡は切なくため息をついて処置をおこなった。
「無理をなさるからだ……自ら寿命を減らすことはないだろうに、」
その言葉の意味をさっして弘純は晁衡をみやる。
「お前、弘佐が病だと言うことしっていたのか、しっていて止めなかったのか!」
「身体が朽ちても、魂までも朽ちたくはないだろとおもってな」
「貴様!」
弘純は胸ぐらを掴もうとするが、晁衡はそれを払いのける。
「大丈夫だ。死相はきえぬが、濃くはない。お前は張筠どのをよんで事を最小限におさめろ、弘佐どののことは私が何とかする」
晁衡は弘佐の血を拭い、寝台へと運んだ。
そして切なく弘佐をみつめて呟く。
「過去世の約束、か……」




