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第四章・即位

 1


 ――天福六年、銭元權、そつし、銭弘佐立つ。 


 まだ十五にもならない少年王の誕生だった。 


    ★ ☆ ★


「ふう、……まずやらなくてはならないことが山ほどありますよ」


 弘宗は国の状況書類の束を弘佐の机においた。

やり遂げなくてはならない問題がまさに山のように。

 積み重なるほどある。 書類を一枚手にとり、


「まず、大火の後始末と、佞臣ねいしんの粛正、猾吏かつりの一斉検挙、税の削減……」 


 たんたんと読み上げる弘宗の声が、怪訝をおびる。

「とくに、先王のもとで贅をこやしていた重臣の杜昭達としょうたつ章徳安しょうとくあん李文慶りぶんけいたちをどうにかしないと国が立ちゆきません。小者ではありますが、国庫を食い荒らすものでございます。それに彼らは兄上がまだ幼主だとみてあなどっている様子です」 


 弘佐は苦笑をうかべ、けれど瞳は真剣な色が浮かんでいる。


 「前途多難か……、だがこれを乗り切らねば、私たちが望む国は作れない。私たちはまだ若い。時間はあるが、だからと行って先送りはできない。迅速かつ着実に対処ていかなくてはな」

「そうですね」 

 弘宗は強く微笑んだ。

 自分たちを子供だと侮る者が内外に多いが、大人たちの凝り固まった考えでは発想もつかないことも柔軟に考えられる。 若さが最大の武器だ。


 弘宗は、その言葉に笑みを唇に刻み、ふと、重要なことを思い出した。


「あと、兄上を攫ったものがわかりました」

「だれだ?」

「杜昭達です。本当は私の母が犯人だとふんだのですが、違いました」

「なぜ、義母上だと?」

「幼いとき兄上を殺すよう命じたのは私の母だったからです。事なきをえましたから黙っていましたが。だからまた母の仕業かとおもい問い質したのです。

 でも違いました。 母は『お前は心より敬愛する兄を支えるのが向いているのですね』とあきらめ半分で呟いてました――父王が亡くなり気落ちしているようでした…。」


「そうか……私の母もだ」 

 父を嫌いになれないのは、家族に優しかったからだ。

  とくに自分の妻妾たちには事細やかだった。


(しかし、自分のために息子の命もうばう冷酷で愚かな部分もあった) 


 けれど、『ためらい』があったと思いたい。 あの時、父子の情を感じたのだから……。


  しんみりした空気が漂ったが、弘宗が話をもどして苦笑をうかべる。

 「それにしても大兄上たちがいてくれたら少々違ったかもしれませんね、特に晁衡どの。彼は欲しい人材ですよ、実に」「たしかに」 

 弘佐もくすりとわらった。 弘純と晁衡は新王即位のごたごたにまぎれて呉越をでていってしまった。


  どこへ行ったのかも教えてくれなくて、寂しく思ったが、彼らが使用していた室の卓の上には置き手紙と、弘佐が晁衡に頼んであったものがおいてあった。 


 手紙には、 


 すこし他国を見て歩く。

 応援しているから、お前の望む国を俺たちにもしっかりみせてくれ。

 と。 


 兄上たちも陰ながら応援してくれる。

 弘佐にとってそれが嬉しく、心の支えになった。


(必ず)


 弘佐は弘純たちにむけて、心の中でつよく誓う。


 そしてその手紙の上にあったものは今、弘佐のふところの中にある。

 けれどそれを渡したい人がまだ弘佐の前にあらわれていないから渡せないでいるのだけれど。


 香霄 一体どこに……。


 船の一件以来、一度も姿をみていない。

 季節はもう冬を迎えようとしているのに。


 あの契約は父の代までだったのか? 


玉牡丹より、よいものを香霄にあげると約束したのに。


 そのとき。

 弘佐はただよってきた金木犀のあまい香りに、ハッと顔をあげる。


 視線の先には、金髪碧眼の少女が空に浮いて微笑んでいた。

 声を上げそうになった弘佐に、血色の良い唇に人差し指をあてて「しずかにね」と合図をおくり片目を瞑った。


 2


 濃紺色の空に星々が流れきらめき、夜風がさやさやとわたる深夜。


 弘佐は中庭に、新たに植えた金木犀のそばに腰をおろし、空高くあがる下弦の月をみあげながら、訊く。


「私は王になった。

 香霄は、私が王になること、前からしっていたのか?」


「ええ。でも強いて言えば直感かしら? 私もよくわからないのよね。――もう知っているだろうけど、私は金木犀の精霊じゃない。この国の社禝なのよ」


「社禝、か」


「昔約束したのおぼえている?」

「忘れるはずない」

「ならよかった。あのあと少しあなたの記憶を消したの」

「どうして、そんなことをする必要があったんだ?」

「……元潅が嫉妬するから」

「嫉妬?」

「彼は、私が自分にしか見えないことが誇りだったのよ。そのため、あなたの兄さん、弘純は国を追われてしまった、」

「そうか、だから、大火のとき香霄にあってもよく思い出せなかったんだ。……なんだか情けないな」

「でも思い出してくれただけでいいわ」


 香霄はくす、と小さく笑う。


「……――香霄にとってお祖父様や、父王はよい王だっただろうか?」

「……むずかしい、質問ね。答えて弘佐のためになるのかしら?」

「父王みたいなことはしたくないから」


 香霄は弘佐の瞳に怯える微かな光を見つけた。

 弘佐は気丈に振る舞っているが王として国を治めるのに不安があるのだろう。


「前の王なんて気にせず、弘佐は弘佐の思う国を創ればいい――私はそばにいて王の願いを叶えるのだから、それが香霄という社禝の役目……」


 風に弄ばれる髪を耳の後ろでおさえつつ、弘佐に訊く。

「弘佐は、この国をどうしたい?


 ――いいえ、あなた自身どうしたいの?


 国の領土をひろげて天下を手に入れたい? どんな願いでも私が叶えてあげる、国のためであるなら無償でね」

 弘佐はしっかりと香霄の瞳をみつめていった。


「……私は国を〈楽園〉にしたい」


「楽園?」

 香霄は首を傾げた。

「餓えのない、みんなが笑って心穏やかでいられる国……前から描いていたけれど、

大火に見舞われた街をみて自分が創りたい国が形を帯びて、いま明確にある」



 一時のものより永久なるものを。



「楽園とよばれる国を創りたい」

「それが弘佐の願いなの?」

「でもこれは香霄に願うものじゃない。

 この手で叶えるものなんだ。国が豊かになるのも疲弊するのも為政者いせいしゃの政治手腕の問題だろう?

 神に、どうにかしてくれっ! と祈るより自分の手で自分の強い意志でなるもだと私は思うんだ。実際にそうだろう?」

「じゃあ、他の願い事はないの?」


「ひみつ」


 弘佐はにっこりと人差し指を唇にあてていった。弘佐には珍しい悪童めいた笑み。

 それをみて香霄は息を飲む。


 銭鏐との血のつながりを感じたから。 


「まったく、弘佐の頑固さって鏐なみね!」

 香霄はぷう、と頬を膨らませた。

「そうだろうか?」

「そうよ、なら私はあなたの願いが決まるまで側にいる」

 弘佐はあごに拳をおいて笑った。

 そして懐にしまっていたものを取り出して香霄の髪に挿した。


「これは?」


 それは玉でできた金木犀の簪。

 金木犀の花汁に浸したもので漆で飴色にそめて良い香りが漂う。

 小花の中央には真珠がはめてある。

「約束しただろう? もっと良い物をあげるって」


「あ……」


 香霄はハッと口に手をやり息を飲む。

「晁衡どのにすこし細工をしてもらって、香霄だけのものにしてもらった。もう他の人に取られることはないとおもう」


「本当!」


 そのとき、香霄は年相応の少女のようにはしゃぎ、そして池の水鏡をのぞいて髪に挿してはぬいたりしてどこがいいかたしかめる。


「――こんなに喜んでくれるとはおもわなかった……」


 心がホッとして、じわりと幸せが広がる。

「とても大切にするね、弘佐——ありがとう」

 香霄は弘佐の頬に軽いキスをした。

 弘佐は目をしばたたき、とたん、顔が熱くなる。


 香霄が側にいてくれる。


(それが私の真の願い)


 叶って、といってるといってもいいのかもしれない。

 でもそれは密かな願いなのだ。

 密かで大切な……。


 翌年、天福七年、弘佐は国庫を貪ぼる佞臣を誅し、弟・弘宗を丞相に任命した。


 大火の立て直しに努め、国は良き方へと向かいはじめる。





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