第四報 孔儀礼の成立 ―竹輪信仰の起源に関する試論―
本研究について
本研究は、竹輪を起点として「孔」という概念を構造的・文化的・宗教的・宇宙論的観点から検討したものである。
本研究はフィクションであり、実在する研究機関・学術団体・研究者・査読制度等とは一切関係ありません。
なお、本研究を読了したことにより、竹輪を見るたびに孔を意識してしまう等の認知的影響が生じる可能性がありますが、著者は責任を負いかねます。
孔原 透¹
¹日本孔構造研究センター 家庭内孔循環研究部
要旨
第一報から第三報にかけて、竹輪を人工孔媒体と位置付け、人体・家庭・社会を接続する孔供給網の存在について検討した。
しかし、社会に供給された孔が、なぜ継続的に人体へ受容され続けるのかについては未解明であった。
本研究では、竹輪の摂取を栄養摂取ではなく儀礼的行為として再解釈し、日本社会における孔文化の形成過程について予備的考察を行った。
1. はじめに
第三報では、日本社会に人工孔を供給する構造として「孔供給網」を提案した。
しかし供給だけでは社会は成立しない。
供給された孔を、人間が自発的に受容する理由を説明する必要がある。
本報では、その背景に孔儀礼の存在を仮定する。
2. 儀礼としての反復
人は竹輪を繰り返し購入する。
理由として、
・安価
・高タンパク
・低カロリー
などが一般に挙げられる。
しかし、それらは摂取行動を合理化する後付けの説明である可能性がある。
重要なのは、「繰り返されること」である。
儀礼とは、意味より先に反復される行為である。
3. 幼児における孔儀礼
幼児は竹輪を見ると、摂食より先に孔へ指を通そうとする。
この行動は教育によるものではない。
第二報で示したように、人間には孔を認識する傾向が存在する。
本研究では、この行動を「初期孔儀礼」と呼ぶ。
竹輪は食べ物として認識される以前に、孔として認識されている可能性がある。
4. 意味の消失
現在、多くの人は竹輪を食品として理解している。
しかし、「なぜ孔を持つのか」を意識して食べる者はほとんど存在しない。
これは儀礼研究でいう意味の忘却と一致する。
行為だけが残り、本来の意味は失われた。
しかし儀礼は継続している。
5. 竹輪信仰の痕跡
本研究では、以下の現象を竹輪信仰の痕跡と考える。
・家庭への常備
・特売による大量購入
・竹輪天の全国的普及
・幼児の孔通過行動
・高タンパク食品という説明
これらは独立した現象ではない。
人工孔を人体へ継続的に供給するため、社会に残存した儀礼である可能性がある。
6. 考察
宗教とは、超自然的存在を信じることではない。
意味を忘れてもなお繰り返される行為、である。
竹輪を購入し、冷蔵庫へ保管し、人体へ通過させる。
この一連の行為は、現代社会において最も広く継承されている孔儀礼の一つである可能性がある。
人々は竹輪を食べているのではない。
孔を継承している。
結論
本研究では、竹輪の摂取行動を儀礼として再解釈した。
竹輪は食品として残ったのではない。
孔を継承する文化装置として今日まで伝承された可能性が示唆された。
研究の限界
本研究では日本文化のみを対象とした。
海外における孔儀礼の有無については十分な調査を行っていない。
また、竹輪以外の人工孔媒体が果たす文化的役割についても、今後の比較研究が必要である。
今後の課題
本研究では竹輪を中心に孔文化を検討した。
しかし、孔という概念は食品、生物学、建築学、物流、文化人類学のみならず、神話学にも応用可能であると考えられる。
孔学の体系化に向けた理論整備が期待される。
査読のお願い
本研究には、著者自身も把握していない理論上の飛躍、孔の見落とし、あるいは未発見の孔が含まれている可能性があります。
読者諸氏による建設的なご意見・ご指摘・反証・追加文献・新たな孔保持食品の報告を歓迎いたします。
また、「人体以外にも孔構造体が存在する」「宇宙孔理論にはこの視点が不足している」等の学術的議論も歓迎します。
査読コメントはお気軽にどうぞ。
利益相反
著者は竹輪メーカー各社との利益相反はありません。
ただし、4本入り竹輪8袋198円(税込214円)の特売には強い影響を受けています。
倫理審査
本研究は、著者の台所において実施されました。
倫理委員会の承認は得ていません。




