①人類消滅
「そんな願いは却下だ」
ミオンの願いに、悪魔はその美麗な顔をニヤリと歪ませた。深紅の瞳が笑って彼女を見下ろしている。
まさか叶えてもらえないとは思わず、ミオンは声をあげた。
「なんで!」
「俺がわざわざ叶えなくてもいい願いだからだ」
この面倒くさがりの悪魔は、契約したのになかなか彼女の願いを叶えてくれない。
そこへ悪魔の使い魔である黒猫まで、ニャンニャン文句を言ってきた。
「ご主人様を煩わせないでください。自分の頭でちゃんと考えなさいよ」
「わかった」
あっさりと素直にうなずくミオンに、猫は拍子抜けしたようで、勢いが削がれる。
人間くさいしぐさで、前脚を上げて、ぶつくさ言った。
「まったくこの人間には調子を狂わされますね……」
ミオンの反応がいつも意外のようだ。
今までの生活環境のせいだろうか。彼女は感情があまり顔に出ない。
それはミオンにも自覚があり、なんとなく申し訳ない気分になる。
でも、文句を言っているわりに、黒猫は中空に地図を出し、ミオンの質問に答えようとしている。
もふもふの黒猫が後ろ脚で立って彼女を見上げる姿はかわいい。
「こいつの言う通りだ。願いを使わなくてもちょっと考えればわかる」
悪魔のほうもなにやらヒントを与えようとしているようだ。
なんやかんや言って、彼らは面倒見がいい。
かすかに頬をゆるめ、ミオンはこの悪魔と使い魔と旅することになった経緯を思い起こした。
*****
ここはミラージオ皇国。長く続く隣国との戦争で疲弊した国の中でも特にうらぶれた町プリメラの裏通りだ。
小石やゴミが転がる道の端を、着古したワンピースに身を包んだ少女がトボトボと歩いていた。肩からかけた大きめの布カバンに全財産を詰めて。といっても、小銭、数枚の服や下着、生活用具が彼女の持っているすべてだ。
彼女の名はミオン。
最近切っていない水色の前髪がうつむいたミオンの目もとにかかっていて、そこから覗く紺色の瞳はうつろだ。
「いつになったらこの戦争は終わるんだ?」
「つい最近、画期的な魔法が開発されたらしいぞ。それを使えば、タウーギ王国を滅ぼせるという話だ」
「そんな強力な魔法が?」
「魔法使いが総動員されて術を完成させようとしているらしい」
「待ち遠しいな」
通りすがりの人たちの会話が耳に入ってくるが、ミオンにはそれに注意を向ける心の余裕はない。
頭の中で(どうしよう? どうしよう?)と同じ言葉がぐるぐると回っている。
先ほど住んでいた部屋を追い出されてしまったばかりなのだ。
住む場所がない絶望を十五歳のミオンはよくわかっていた。
母は幼いころに亡くなり、魔力があった父は戦争に駆り出されて、帰らない人になった。
十歳のころだ。
頼れる人は誰もなく、途方に暮れた。
そんなとき、父の借りていた部屋の大家のおばあさんがミオンに同情して、物置き部屋を提供してくれた。そのときの安堵感といったらなかった。それ以来、雑用をこなしてお金や食べ物をもらい、なんとか必死で生きてきた。
だが、そんな日々も突然終わった。
おばあさんが亡くなり、跡を継いだ息子に家賃を払わないやつは出ていけと言われたのだ。
彼の告げる金額など払えるはずもなく、ミオンはとりすがった。
「お金はないけど働くから、ここにいさせて……!」
「たいした仕事もできないくせに……待てよ。チビでガリガリで色気もなんもないが、いちおう女なんだよな? 十五歳だったか? まぁ、顔は悪くない。こんなのが好みのやつもいるか……」
品定めをするように頭のてっぺんからつま先までジロジロ見られて、ミオンは気持ち悪さに身ぶるいする。思わず、一歩後ずさった。彼は身を売れと言っているのだろう。
「そ、それは嫌……」
「なら、出てくんだな」
冷たく言い放たれ、ミオンは荷物をまとめるしかなかった。
それでも、行くあてなどどこにもない。
胸がつぶれる思いで、町をさまようだけだ。
ドンッ
後からぶつかられて、ミオンはふらついた。
横をすり抜けていったのは彼女と同じくらいの背格好の子どもだった。
ぶつかった拍子に、なにか落とした。
気がついていないのか、そのまま行こうとするので、ミオンは呼び止めた。
「落とした」
でも、その子は振り返りもせずにすごい勢いで走り去る。
それを呆然と見送っていたミオンだったが、ふいに手首をつかまれ持ち上げられて驚いた。
「ひったくり犯を捕まえた!」
「ち、違う!」
そう言われて見たら、手にしていたものは財布だった。
拾っただけと言おうとしたけれど、衛兵を引き連れてくる人たちの姿が目に入り、怖くなる。
有無を言わさずに逮捕されてしまいそうだったのだ。
ミオンは財布をぽとりと落とした。
彼女を拘束していた相手がそれに気を取られた瞬間に、手を振りほどいて走り出す。
「おい、待てっ!」
制止されるが、止まるはずがない。
大きなカバンが揺れて邪魔だったので抱きしめるように持って、細い入り組んだ路地をひた駆けた。
後ろを気にしながら、ひときわ薄暗い小道に入ったとき、ふっと足もとの地面が消えた――。
「あっ!」
宙に投げ出され、落下するのを感じて、自分が古井戸かなにかの穴に落ちたことを悟る。
この高さではきっと助からないだろう。
落ちながら考える。
(私の人生、なんだったんだろう……)
父との淡々とした日々。その父も亡くなり独りぼっちでただ生きてきた。楽しいこともうれしいこともなにもなく。
誰も自分を必要としてない。
(私がいなくなっても世界は変わらない……)
ここで死んでも誰も気づかないし、もちろん彼女を探す人もいない。
とにかく孤独だった。むなしかった。
最期がこんな終わり方だなんて悲しすぎる。
絶望に涙がにじんだとき、誰かの温かい腕に受け止められた。
驚いて見上げると、それは特徴のない年齢不詳の男性だった。
やわらかな微笑みを浮かべた彼はそっとミオンを下してくれて、つぶやいた。
「うん、この子に託すか……」
「?」
「なんでもないよ。それより――」
なんのことかと目で問いかけるも、男性は首を振る。
彼がなにか言いかけたとき、深井戸まで届く強烈な光と爆音がした。
ビクッと肩を上げたミオンを包み込むように身を盾にしてその男性は庇ってくれる。
(温かい……)
誰かに抱きしめられたことなど、はるか昔の記憶しかない。
でも、視線を上げたミオンは異変に気づいた。
男性が透き通っていっているのだ。
「どうして……?」
「今、大魔法がぶつかり合って暴発したんだ。人類を消す魔法が」
「人類を消す?」
「そう。愚かな国同士が使った魔法により、今、人類のほとんどすべてが消滅した」
「……っ!」
ミオンは口を開いた。でも、なにも言葉が出てこない。
なぜそんなことがわかるのかという疑問の前に、あまりに荒唐無稽すぎて絶句したのだ。
自分が消えていく様子を気にもかけず、男性はミオンの両肩をつかんで顔を覗き込んでくる。
「お願いだ。時を巻き戻してくれ。人類滅亡を阻止してほしい」
「そんなこと、できない」
「お願いだ……!」
今にも消えそうな彼にすがられて、ミオンはうなずいた。
そんな大それたことを自分ができるとはとうてい思えなかったが、消えゆく彼を安心させたかったのだ。
「わかった。がんばる。でも、どうすれば……?」
「声……声を辿りなさい」
「声?」
聞き返すも答えはなく、慈愛に満ちた表情で彼は消えた。ミオンの頭をひとなでして。
呆然としたまま、彼女は彼のいたはずの空間を見つめた。
目の前で起こったことだけど、人が消えるなんて信じられなかった。
夢でも見たのではないかと思うが、頭のはるか上に見える空を考えると、あの高さから落ちて無事でいるはずはない。
やはり、ここに男性がいて、消えたのだ。
出会ったばかりの彼女を庇って。
「なんで?」
ぺたんと座り込んだミオンは顔を覆った。
強烈な親切心を示されて、その相手を一瞬で失った。
胸が苦しくなってうずくまり、ハァハァと肩で息をする。
猛烈な喪失感に襲われ、どっと涙が出た。
「なんで? なんでみんないなくなっちゃうの?」
理不尽な状況に置かれ続けれきた人生。
今までのうっぷん、さみしさが我慢しきれなくなってこぼれ落ちた。
消えるのなら自分のほうでよかったのに。
やるせない気分で泣き続けた。
しばらくそうしていたミオンだったが、少し落ち着いてきて、ふとあの男性の言っていた言葉を思い出す。
(それなら、本当に人類は消滅したの……?)
半信半疑であったものの、男性が消えたのを見たあとにはありうるとも感じた。
それでもいつまでもここにいるわけにもいかない。
顔を上げたミオンは薄暗い辺りを見回した。
すると、どこかに続いている通路が目に入る。
垂直の壁をよじ登るのは不可能だから、彼女にできるのはその道を行くことだけだ。
ゆっくりと立ち上がったミオンは、足を踏み出した。
細く傾斜のついた道をたどっていくと、地上に出た。
そこは、ミオンが落ちた地点から離れた裏路地だった。
そっと大通りのほうを窺ってみるも、誰もいない。
大通りを通って市場へ行ってみる。
しかし、行く道中も着いてからも人っ子一人いない。
「ウソ……」
――今、人類のほとんどすべてが消滅した。
男性の声が脳裏によみがえる。
それでも信じられずに、ミオンは歩き回って人影を探した。
ニャーとのんびりと鳴くネコや地面をつつく鳥の姿はあるが、ものの見事に人だけいない。
よくよく見ると、屋台には食べかけの肉串や作りかけの料理があり、一瞬にして人だけが消えてしまった状況を示しているかのようだった。
「誰か……誰かいない!?」
声を張り上げるもそれに応えるものはなく、ミオンは力なく立ち尽くした。
(そんな、これからどうしたらいい?)
これまでも一人でいたけれど、世界にたった独り取り残されてしまうとは思わなかった。
自分が残った意味を考える。
――時を巻き戻してくれ。人類滅亡を阻止してほしい。
「ムリ。できない」
あの男性はそう言ったけれど、ちっぽけな自分にできることはない。
それでも、ミオンは約束した。
自分の言葉を思い出し、思い直す。
庇ってくれた彼に報いたい。そのために、なにかできることを探す必要を感じた。
なにより、目の前のさみしい風景をなんとかしたかった。
(声を辿るって言ってた。どこかに生き残りがいるかもしれないってこと?)
告げられた言葉に一縷の望みをかけて、ミオンは人や方法を探しに行くことにした。
幸い、荷物はぜんぶ持っている。
意を決して彼女は歩き出した。




